第21話 食事
お夕飯に、他の人も呼んでいいですか、と尋ねると、犬神の青年は渋面をした。
まずかっただろうか、と考えていると、その相手は人間か、と問われた。
なので、人間ではありませんと応えると、渋々といった様子ではあったが、無事頷いてもらえた。内心胸を撫で下ろして、私は侑李さんに是の返事をしたのだった。
早速、その日の夜に、侑李さんを伴って犬神の青年の部屋を訪れた。
「今晩は、良い夜ね」
侑李さんは、ニコニコとしながら青年に話しかけている。私は、その横で青年の膳を手渡した。
青年は、普段よりいくらか不機嫌そうな顔をしていた。その表情が気にかかりはしたが、取りあえずはいつものように手を合わせて、「いただきます」とみんなで唱え、食事を始めた。
「んー……! 今日のご飯も美味しそう! 澄ちゃんの作るご飯、美味しいでしょう?」
明るい侑李さんの声は、明らかに青年に向けられたものだ。
けれど、青年は、無言で箸をおかずに伸ばしては、咀嚼の繰り返しをするばかりで、返事をする様子がない。
私は一人で慌ててしまったのだけれど、私が焦ったからといって何が変わるわけでもなかった。
「……私、やっぱり嫌われちゃってる?」
侑李さんが眉を下げた。
やっぱり? 何か、心当たりがあるのかな?
言い回しが引っかかった私は、自然と侑李さんを見つめてしまっていたらしい。ふと、目が合って、侑李さんは苦笑した。
「ほら、犬ちゃんが家にやって来た時、雛ちゃんが悲鳴をあげて、私がこの部屋に来たじゃない。実は、雛ちゃんが部屋を出てから、ちょーっときつく忠告しちゃったのよね。だから、それで嫌われちゃったのかもしれないわ」
「あ……あの時……」
そんなことがあったのか、と思う。同時に、私のせいでふたりの間に亀裂が入ったというのなら、申し訳ないなという気持ちでいっぱいになった。
私のせいなら、私がふたりの仲を取り持たないと!
心の中で気合を入れて、私は青年に声をかける。
「私に、貴方と一緒に食事をとってはどうかと勧めてくださったのは、実はこの侑李さんなんですよ」
青年の耳がピクリと動いた。どうやら、気になる情報だったらしい。
「……どうして?」
「え?」
青年の目が、ひたりと侑李さんに向けられた。
「どうして、一緒に飯を食えと言った?」
侑李さんは、豪快な笑い声をあげた。
「やだ、そんなに真剣な顔で聞くようなことじゃないわよ。同じ釜の飯を食う仲って言うでしょう。仲良くなるなら、一緒にご飯を食べるのが一番なのよ。それに……」
「それに?」
「誰かと一緒に食べるご飯は、温かいでしょう」
穏やかな微笑みを浮かべる侑李さんの顔を、青年はじいっと見つめた。
それから、何度か確認するみたいに頷いて、小さく笑った。
「……うまい」
はにかんだ青年の顔は、非常に愛らしかった。
侑李さんにも、そう思わせたのだろう。あらやだ、とか、可愛いじゃない、とか。彼は言いながら笑った。
食卓の空気は、一気に明るいものになった。
侑李さんは、大げさな程美味しい美味しいと言ってご飯を食べたし、犬神の青年も、いちいちそれに頷いて返した。何か、意味がある会話をしたわけじゃないのに、凄く大切な時間だったように思う。
食事を終えて、お茶を用意する頃には、侑李さんにも青年にも、既に緊張は見られなかった。
「そういえば、不便じゃないの?」
手渡した湯呑からずずっとお茶を啜った侑李さんが、急にそんなことを言い出した。
一体何の話だろうか、と、青年と二人首を傾げる。侑李さんは、そんな私たちを見て苦笑した。
「名前よ、名前。雛ちゃん、ずっと犬神さん、とか。貴方、とかって呼んでいたじゃない。そういう私も、犬ちゃんって呼んでるわけだけど」
「そういえば、識別番号を教えたのに、お前は使わないな」
どうしてなんだ、と問う様に、青年が此方を向いた。その顔は、純粋に不思議そうで、自分が番号で呼ばれることに、特に抵抗はなさそうだった。
それが逆に、痛々しく感じる。
「だって、番号だなんて……」
「どうせ名前なんて、記号でしかないだろう」
今だけは、彼の真っすぐな目が苦しくて仕方なかった。記号でしかない、だなんて。とても悲しい話のように感じたのだ。
けれど、今感じている自分のこの感情が、どう言えばちゃんと彼に伝わるのか、わからなくて、私は唇を噛み締めた。
「そんなことはないわ。名前っていうのはね、願いと祈りの贈り物なのよ。だからこそ、自分の指針にもなる」
侑李さんの柔らかな声が耳朶を打って、私は顔を上げた。
優しい顔をした侑李さんは、内緒話をする時みたいに、声を潜める。自然、よく聞こうとした私と青年は、ぐっと息を詰めて、耳を澄ました。
「私の名前も、ある人に付けてもらったものなの。ひとを助け、支えられるように。そうして、豊かな生を送れるようにと、祈りを込めてくれたのよ」
「そんな意味があるんですね……。素敵です。それに、侑李さんにぴったりだと思います」
感激しながら告げる。
「ありがとう。私もとっても気に入っているの。あの人が願いを込めてくれた名前を、汚さないようにしたいと思っているわ。だからこそ、名前に恥じない自分になれる様に、私は迷わずにいられる。……名前って、そういう力があるのよ」
素敵な話だ、と思った。
それと同時に、私の名前には、一体どんな願いや祈りが込められているのだろう、とも思った。
けれど、すぐに頭を振って、そんな考えを頭の中から追い出す。だって、捨てられるような子供に、願いも祈りも、あるはずがないのだ。




