表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/47

第21話 食事

 お夕飯に、他の人も呼んでいいですか、と尋ねると、犬神の青年は渋面をした。


 まずかっただろうか、と考えていると、その相手は人間か、と問われた。


 なので、人間ではありませんと応えると、渋々といった様子ではあったが、無事頷いてもらえた。内心胸を撫で下ろして、私は侑李さんに是の返事をしたのだった。


 早速、その日の夜に、侑李さんを伴って犬神の青年の部屋を訪れた。


「今晩は、良い夜ね」


 侑李さんは、ニコニコとしながら青年に話しかけている。私は、その横で青年の膳を手渡した。


 青年は、普段よりいくらか不機嫌そうな顔をしていた。その表情が気にかかりはしたが、取りあえずはいつものように手を合わせて、「いただきます」とみんなで唱え、食事を始めた。


「んー……! 今日のご飯も美味しそう! 澄ちゃんの作るご飯、美味しいでしょう?」


 明るい侑李さんの声は、明らかに青年に向けられたものだ。


 けれど、青年は、無言で箸をおかずに伸ばしては、咀嚼の繰り返しをするばかりで、返事をする様子がない。


 私は一人で慌ててしまったのだけれど、私が焦ったからといって何が変わるわけでもなかった。


「……私、やっぱり嫌われちゃってる?」


 侑李さんが眉を下げた。


 やっぱり? 何か、心当たりがあるのかな?


 言い回しが引っかかった私は、自然と侑李さんを見つめてしまっていたらしい。ふと、目が合って、侑李さんは苦笑した。


「ほら、犬ちゃんが家にやって来た時、雛ちゃんが悲鳴をあげて、私がこの部屋に来たじゃない。実は、雛ちゃんが部屋を出てから、ちょーっときつく忠告しちゃったのよね。だから、それで嫌われちゃったのかもしれないわ」

「あ……あの時……」


 そんなことがあったのか、と思う。同時に、私のせいでふたりの間に亀裂が入ったというのなら、申し訳ないなという気持ちでいっぱいになった。


 私のせいなら、私がふたりの仲を取り持たないと!


 心の中で気合を入れて、私は青年に声をかける。


「私に、貴方と一緒に食事をとってはどうかと勧めてくださったのは、実はこの侑李さんなんですよ」


 青年の耳がピクリと動いた。どうやら、気になる情報だったらしい。


「……どうして?」

「え?」


 青年の目が、ひたりと侑李さんに向けられた。


「どうして、一緒に飯を食えと言った?」


 侑李さんは、豪快な笑い声をあげた。


「やだ、そんなに真剣な顔で聞くようなことじゃないわよ。同じ釜の飯を食う仲って言うでしょう。仲良くなるなら、一緒にご飯を食べるのが一番なのよ。それに……」

「それに?」

「誰かと一緒に食べるご飯は、温かいでしょう」


 穏やかな微笑みを浮かべる侑李さんの顔を、青年はじいっと見つめた。


 それから、何度か確認するみたいに頷いて、小さく笑った。


「……うまい」


 はにかんだ青年の顔は、非常に愛らしかった。


 侑李さんにも、そう思わせたのだろう。あらやだ、とか、可愛いじゃない、とか。彼は言いながら笑った。


 食卓の空気は、一気に明るいものになった。


 侑李さんは、大げさな程美味しい美味しいと言ってご飯を食べたし、犬神の青年も、いちいちそれに頷いて返した。何か、意味がある会話をしたわけじゃないのに、凄く大切な時間だったように思う。


 食事を終えて、お茶を用意する頃には、侑李さんにも青年にも、既に緊張は見られなかった。


「そういえば、不便じゃないの?」


 手渡した湯呑からずずっとお茶を啜った侑李さんが、急にそんなことを言い出した。


 一体何の話だろうか、と、青年と二人首を傾げる。侑李さんは、そんな私たちを見て苦笑した。


「名前よ、名前。雛ちゃん、ずっと犬神さん、とか。貴方、とかって呼んでいたじゃない。そういう私も、犬ちゃんって呼んでるわけだけど」

「そういえば、識別番号を教えたのに、お前は使わないな」


 どうしてなんだ、と問う様に、青年が此方を向いた。その顔は、純粋に不思議そうで、自分が番号で呼ばれることに、特に抵抗はなさそうだった。


 それが逆に、痛々しく感じる。


「だって、番号だなんて……」

「どうせ名前なんて、記号でしかないだろう」


 今だけは、彼の真っすぐな目が苦しくて仕方なかった。記号でしかない、だなんて。とても悲しい話のように感じたのだ。


 けれど、今感じている自分のこの感情が、どう言えばちゃんと彼に伝わるのか、わからなくて、私は唇を噛み締めた。


「そんなことはないわ。名前っていうのはね、願いと祈りの贈り物なのよ。だからこそ、自分の指針にもなる」


 侑李さんの柔らかな声が耳朶を打って、私は顔を上げた。


 優しい顔をした侑李さんは、内緒話をする時みたいに、声を潜める。自然、よく聞こうとした私と青年は、ぐっと息を詰めて、耳を澄ました。


「私の名前も、ある人に付けてもらったものなの。ひとを助け、支えられるように。そうして、豊かな生を送れるようにと、祈りを込めてくれたのよ」

「そんな意味があるんですね……。素敵です。それに、侑李さんにぴったりだと思います」


 感激しながら告げる。


「ありがとう。私もとっても気に入っているの。あの人が願いを込めてくれた名前を、汚さないようにしたいと思っているわ。だからこそ、名前に恥じない自分になれる様に、私は迷わずにいられる。……名前って、そういう力があるのよ」


 素敵な話だ、と思った。


 それと同時に、私の名前には、一体どんな願いや祈りが込められているのだろう、とも思った。


 けれど、すぐに頭を振って、そんな考えを頭の中から追い出す。だって、捨てられるような子供に、願いも祈りも、あるはずがないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ