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第18話 恋の予感?

 青年の看病をした日から、彼との距離は確実に縮んでいった。


 部屋の中に入っても、視線を逸らされるだけで、追い出そうとする素振りをすることも、体ごと避けようとすることもなくなった。襖越しではない雑談もできるようになって、私はいつしか青年の部屋に訪れることが、日々の楽しみになっていた。


 一方で、これ以上踏み込んだ話をしては、折角縮んだ距離が元通りになってしまいそうな気がして、怪我をした原因について、中々聞き出すことが出来ずにいた。


「本末転倒じゃない?」


 いつきさんの鋭い指摘に、私は胸を押さえて黙り込んだ。「ちょっと」と侑李さんがいつきさんを小突いている姿が見えるが、まさに図星をつかれていた。


 大学から帰って、居間に上がると、案の定、侑李さんといつきさんが各々過ごしていた。


 彼らは、住人たちの中でも、特に侑李さんといつきさんは、明石屋から出ることが少ない。


 侑李さんは、原稿用紙の前で唸り声をあげていて、いつきさんは静かに本を読んでいる様子だった。


 犬神の青年との関りについて、手詰まりを感じていた私は、これ幸いと二人に相談を持ち掛けたのである。


 案の定、いつきさんにばっさりと切られてしまったのだけれど。


「キミ、何のためにあの犬っころを手なずけようとしているわけさ。あの怪我の原因を探るため、ひいては、あの犬っころのせいで、澄子に危険が及ぶことがないか探るため、だろ?」

「はい、仰る通りです……」


 呆れたようにため息を吐くいつきさんに、反論できるわけもない。だって、全く持ってその通りなのだから。私はうなだれながら首肯する。


「でも、澄ちゃんがしたいのは、どちらかというと、彼の心のケアがメインでしょうから。雛ちゃんのしていることは、間違っていないと思うわ」


 優しい侑李さんは、励ますように私の肩をぽんと叩いた。


「何を甘ったれたことを言っているんだ。澄子達の害になるようなら、叩きださなければならない。だから、早く事情を聴きだしなよ。何なら、僕がやっても良い」

「いつきは本当、澄ちゃん絶対主義よねえ……。澄ちゃんが『家に置いておいて良いのか判断が付かない』って言っていたのは、リスク管理の為じゃないわ。待っている人がいるかどうか。あの子がいるべき場所がどこなのか。それが知りたいのよ。アンタもわかってるんでしょう」


 頬杖をつきながら、侑李さんが語る言葉は、まさに澄子さんの言いそうなことだった。


 いつきさんも、それはよく理解しているようだ。いきり立っていた様子から、少し落ち着いた様子で「フン」と鼻を鳴らしていた。


 いつきさんに話を聞きだすことを頼んでしまったら、澄子さん至上主義の彼のことだ。彼女が悲しむことより、彼女の安全を優先して、強引に話を聞きだすことだろう。


 あの、妙に素直なところがある、弟のように愛らしい彼に、そんな手法で迫るのは、看過できないと思えた。


「澄子さんには、私がお世話をしますと、約束しましたから……。だから、いつきさんに出ていただくことは、ありません」

 固く拳を握ると、いつきさんは面白くなさそうに「そう」とだけ返事をした。

「それにしても、キミ、あれだけ僕たちを避けてきたっていうのに。あの犬っころ相手には頑張っているじゃないか。……何か、あるのかい?」


 意味ありげな視線を向けられて、体が強張るのが分かる。


 けれど、私自身も、どうしてここまで彼に近づくことができるのが、不思議だった。


「あ……弟みたい、だからかもしれません」


 何故なのだろうか、と思案を巡らせている間に、ふと考え付いたのは、そんな内容だった。思いつくまま、言葉が口から飛び出す。


 私から、返事が返ってきたことに驚いたのか。それとも、その内容が予想外だったのか。


 顔を上げると、いつきさんも侑李さんも、目を真ん丸に見開いていた。


「弟みたい、だと……?」

「は、はい……」


 改めて言われると、なんだかちょっぴり気恥ずかしい。


 勝手にお姉さんぶって、バカみたいかな。


 肩を上げながら頷くと、額に手を当てた侑李さんが、「ちょっと待って」と、制するように手のひらを前に出した。


「ど、どうしてそう思ったの……?」

「犬神さん、私の前では、何だか怯えた仕草をすることが多いんです。彼の怯えた瞳を向けられるたびに、何だかとても可哀想な気持ちがして……。守ってあげたい、なんて思ってしまうんです。それに、もともとは素直なひとみたいで、何かをしてあげると、毎回ちゃんとお礼を言ってくれるんです。そういうところが、愛嬌があるというか……庇護欲がわくというか……」


 両手をぐっと握りしめながら捲し立てると、侑李さんはぽかんと口を開けた。なんだか珍しい、気の抜けた表情だ。


「雛ちゃんがそんなに熱く語っているのなんて、初めて見たわ……」

「そ、そうですか?」

「そうよ! もしかしてこれは……恋の予感?」


 キラーン、と侑李さんの瞳が光った。なんだか、嫌な予感がする。


「雛ちゃん、もしかしてあの犬ちゃんのこと、気に入っちゃったの⁉︎ 嫌だわ、雛ちゃんの浮いた話なんて初めてじゃない? なんだかドキドキしちゃうわね!」

「ゆ、侑李さん、落ち着いてください! あの、何の話ですか?」

「放っておきなよ。侑李は、何でもかんでもすぐ色恋に結びつけたがるからね。ま、それにしたって、キミの犬っころに対する入れ込みようはおかしいと思うけど」

「い、色恋⁉︎ おかしい⁉︎」


 なんだか、大変な話になってきている気がする。


 私はコホンと咳払いをして、強引に話題を戻すことにした。


「と、とにかく。犬神さんに心を開いていただくために、何かアイディアがあったら教えていただきたいのです」


 いつきさんは、まともに考えてくれる気はないようで、ひらひらと手を振る。


 それにがっくりと肩を落としながら、一縷の望みをかけて侑李さんに視線を投げると、彼はぱっちりとウインクをして「簡単よ」と胸を張った。


「仲良くなりたいなら、一緒にご飯を食べればいいのよ。ほら、同じ釜の飯を食った仲間っていうじゃない」


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