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第15話 笑顔

 ここにやって来た日も、確か魘されていたよね……。嫌な夢でも、見ているのかな。


 可哀想に思って、つい、その頬に触れると、異様なほど青年の体温が高いことに気が付いた。熱を出しているのかもしれない。


 そう気が付いた私は、慌てて部屋を飛び出し、台所に向かった。


 台所にあった、前回青年を看病した際にも使われた桶をひっつかみ、水を入れてタオルを沈める。


 それから、冷蔵庫の中にあったスポーツドリンクを取り出し、食糧庫の桃の缶詰を、冷蔵庫に入れ替えるように入れた。


 綾部家では、熱を出すと、桃の缶詰を出してもらえる。だから自然と、青年にもあとで桃を出してあげようと思ったのだった。


 ぱたぱたと音を立てながら、水とタオルの桶と、スポーツドリンクを手に階段を上がって青年の部屋へと向かう。部屋に入っても、青年は魘されるばかりで、目を覚ます気配はなかった。


 青年の汗を、水にぬらしたタオルで拭ってやりながら、私は不思議な心地がしていた。


 私はずっと、この家の中で、あやかしに深く関わらないように注意して過ごしていた。それなのに、今こうやって、あやかしである青年の汗を拭いて、必死に看病しようとしているのが、どうにもおかしく思えたのだ。


 どうしてなんだろう。


 勿論、澄子さんを助けたいという一心からだ。彼女たちに受けた恩を、返さなければならないと思ったからだ。


 ……でも、それだけじゃない気がする。


 思い出すのは、あの日。今日のように、青年の汗を拭っていたあの夜に見た、あのアイスブルーの瞳。あの目を見てから、私は何故か、彼のことが気になって仕方がなかった。


 あの怯えた、綺麗な瞳を見て、守ってあげたいって……。どうしてか、そんな風に思ってしまったのだ。


 それに、毎日襖越しに聞いていた声が、優しかったせいでもあると思う。怯えや恐怖を感じていない、穏やかな青年の声は、気が付けば、私の心を癒してくれていた。


 あやかしがおそろしくなくなったわけでも、ましてやこの青年が恐ろしくなくなったというわけでも、決してない。


 けれど、あの瞳が、まるで、私という人間を作り替えてしまったように。彼に関わることを、やめようとは思えなかった。


「どうしてなんでしょう」


 呟いた声に反応したのか、青年が瞼を持ち上げた。目が合って、私は全身を震わせる。


 けれど、どうやら青年は意識が朦朧としていたようで、私に怯えた目を向けることも、体を離そうとすることも、威嚇してくることもなかった。


 ただ、ぼんやりとした瞳が私を捉えて、捕らえて。その口元が、うっすらと笑みの形を作った。


 わ、笑った……⁉︎


 それは、恐らくここに来て初めて見せた、青年の笑顔だった。


 私は、全身に稲妻が走るような衝撃を受けた。


 その笑顔は、あやかしは恐ろしいものだと思う、私の固定概念を壊すような、可憐な笑顔だったのだ。


 けれど、すぐに青年は再び眠りに落ちてしまったようで、笑顔を見られたのは一瞬のことであった。


 青年の笑顔を、脳内で反芻する。ただひたすら、拒まれませんように、と願いを込めて、私は青年の世話を焼き続けたのだった。

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