第12話 逃げない
「餓えた犬を土に埋めるんだよ。生きたままね。こう……首から上だけが地面から出るようにね」
いつきさんは、首のあたりに、床と水平になるように倒した手を当てて見せた。
首と体を区切るように当てられた手は、まるで首を切っているようにも見えて、ゾッとした。
「えっ!」
衝撃を受けて声を出してしまった。犬を生き埋めにするだなんて、話の入りから既に物騒すぎる。けれど、話はまだまだ終わっていなかったらしい。
いつきさんは、ちらりとこちらに視線を投げてから、すぐにまた口を開いた。
「それから、餌をギリギリ届かない場所に置く。すると勿論、餓えた犬はどうにか餌を食べようと、思い切り首を伸ばすだろう? ……その首を、切り落とすんだよ。真っ二つにね。そうすれば、首が飛んで餌にたどり着く」
「ひっ」
思わず息を呑む。
先に犬神の青年を見てしまっているせいで、彼の首がごとりと地面に落ちるのを想像してしまった。
「その首を祀るのさ。そうすると、犬の怨念がこもった霊体ができるわけだ。それが犬神。犬の首を切り落とした一族は代々、犬神憑きの血筋となって、犬神憑きの怒りを買うと、心身を狂わされるって話だ」
「ということは……あの青年は、霊なんですか?」
さあっと顔から血の気が引くのを感じる。けれど、いつきさんには「いまさら何を言っているんだ」と呆れた顔をされるだけだった。
「本来は、憑き物だからね。その体は宿主となる人間ということになる。けれど……あやかしの存在は、どんどん曖昧になってきているからね」
「曖昧に」
「ああ。人間は、あやかしの姿を忘れてきている。結果として、犬神は犬神というあやかしの姿を、独立して取っているのだろうね」
いつきさんの説明はいまいち掴みづらかったけれど、あやかしの姿、というより、その在り方が変わってきていると。そういうことなのだろう。
確かに、犬神といわれてその正体がどんなものなのか、すぐにわかる人など稀だろう。
人間があやかしを作ったのに、人間があやかしの正体を忘れている。だからこそ、その形が変化してきている、ということなのだろうか。
なんとなく理解したような気になって、一人でうんうん頷く。それから、あれっ、と思って顔を上げた。
「犬神が危険なあやかしっていうのは、犬神憑きの怒りを買うと、心身が狂わされるって部分からですか?」
「キミ、本当にちゃんと話を聞いてた?」
首を傾げると、大きなため息を吐いたいつきさんが、呆れた顔をこちらに向けた。
今日はなんだか、いつきさんの呆れた顔ばかり見ているような気がする。いや、気のせいじゃなくて、れっきとした事実なんだけど……。
けれど、呆れた様子を隠そうともしないくせに、説明だけは丁寧にしてくれるのだから、なんだかんだで彼もひとが良いのかもしれない。
「犬神は、人間の非道な手段によって作り出されたあやかしなんだ。つまり……人間に恨みを持っている」
「あっ」
いつきさんの言葉に、血の気が引くのが分かった。
確かに、そんな酷いことをされたのなら、人間を恨むのも当然だろう。
それに加えて、彼を使役していた祓い屋も、粗雑な扱いをしていたようだし、人間が嫌いだと言っていた。
だとすれば、人間である私に対して、攻撃をしてきてもおかしくないのだ。
「雛ちゃん……澄ちゃんは、ああ言ったけれど。正直雛ちゃんがあの子の面倒を見るのはおすすめしないわ」
顔を顰めて、侑李さんが言う。それは本当に、心の底から私を心配して言ってくれているのだということは、流石の私にもすぐに理解できた。
やめた方がいいのかもしれない……。
そう思った。何よりも先に、恐ろしかったのだ。
それに、そんな風に人間に対してマイナス感情を抱いている相手に対して、私ができることなんてなにもないんじゃないのかな……。
やっぱりやめておきます、と言おうと、自然と下がっていた視線を上げる。
すると、いつきさんの目が視界に入り、その瞬間、私は吐き出そうとした弱音を飲み込んだ。
怖いほど冷めた目だった。
何も言わずとも、その目が「逃げるのか」と語っていた。
自分たちあやかしから散々逃げておいて、ついには自分から申し出た澄子さんの手伝いからも逃げるのか、と。
私には、恩がある。その恩を、返さねばならない。そう思っている感情でさえも、嘘なのかと。そんな風に、疑われている気がした。
いつきさんが私に向ける言葉や態度は、いつだって辛いと感じる。何故ならそれが、いつも図星だからだ。
「……いえ、大丈夫です。やります。やれます」
気が付けば、口からそんな言葉が放たれていた。
いつだって、いつきさんの目に黙り込んできたけれど、ここだけは。
私が、綾部家の人たちに対して、恩を返したいと思っているということだけは、嘘だと思ってほしくなかったのだ。
無意識の内にしてしまった発言だったけれど、私は唇を噛み締めて、気合を入れなおすことで、前言を撤回することを防いだ。
「一度は自分からやると言い出したことですし、それに……彼が人間を嫌っているのは、最初からわかっていたことです。私の目には、憎しみより恐怖が強いようにも見えました。だから……せめて、その恐怖が和らぐ様に、見てあげたいんです」
私の言葉を聞いたいつきさんが、眉を上げて口の端を上げた。
「へえ……。意外だね、てっきりキミは直ぐにやっぱりやめる、と言い出すと思ったのだけれど……。でも、そう言うのならば、せいぜい気を付けるべきだね。くれぐれも、澄子に迷惑をかけないよう」
「ちょっと、いつき!」
いつきさんを咎める侑李さんの厳しい声を聞きながら、私は再び唇を噛んだ。
いつきさんが、私にこういう物言いをするのは、私の今までの行動によってのものなのだ。
ならば、私がすべきことは、言葉を返すことではなく、行動で示すことなのだろう。
いつきさんの目をまっすぐ見つめて、そう思う。面白そうな顔をしたいつきさんが、「見ものだね」と口笛を吹いた。




