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第10話 あなたのお名前は?

「あの、入っても大丈夫でしょうか?」


 襖越しに、控えめに声をかけるけれど、返事はなかった。


 多分返事はないだろうって、澄子さんに聞いていて良かった!


 恐らく、事前情報がなければ心が折れて、すごすごと自室に戻っていたことだろう。


 けれど、今日の私は一味違うのだ。


「あの、入りますね」


 今度は確定形で言い切って、襖を開ける。部屋の中では、運ばれてきた日より随分と身綺麗になった青年が、枕を抱いたまま座り込んでいた。


 すぐに視線があって、その瞬間、彼がびくりと体を震わせたのが分かった。


 やっぱり怯えている、のかな……。


 聞いていた話と少し違うな、と感じた。澄子さんの話からすると、怯えるというよりも、もっと攻撃的な様子を思い浮かべていたのだ。


 けれども、実際に目の前にいる青年は、威嚇すると言うよりも、単純に恐れているように見えた。


 それは、あの日……青年の唸り声に導かれて、彼の部屋に訪れた時に感じたのと、同じ印象ではあった。


 家に運び込まれたばかりで、慣れない場所で目を覚ましたせいかと思っていたけど……。もしかすると、今のこの、怯えた様子でいる彼の姿こそが、本当なのかもしれない。


 青年が怯えて震えている様子は、あやかしと関わることに対して怯えていた私の心を、少しだけ落ち着かせた。


 お化け屋敷なんかで、自分より怖がっている人を見ると、冷静になることがある。私は、その時の気持ちに、よく似た感覚を抱いていた。


 私は、両手を小さく上げて、敵意がないことをアピールしながら、部屋の中に足を踏み入れた。


「あの……私は、貴方に害意はありません。ですので、その……怯えないでいただけると嬉しいのですが」


 意識して発したおかげで、自分の中で一番柔らかい声を出すことができた。けれど、返ってくる声はない。


 私はいよいよ困ってしまって、視線をさ迷わせた。けれど、澄子さんの、あの困った顔を思い出して、諦めてしまいたいと考える自分と戦う。


 ふと、私はあることを思いついて、部屋から一歩出て、襖を閉めた。そうして、部屋の外からそっと言葉を投げかける。


「これでも、怖いでしょうか。ここからなら、私は貴方に何もできません。……貴方と少しでも、お話がしたいんです。どうか、お願いします」


 両手の指を組んで、必死に言いつのる。最早、お祈りをするような気持ちだった。


 私の姿は見えていないはずだが、声に込めた気持ちが伝わったのだろうか。一呼吸間をおいてから、唐突に言葉が返ってきた。


「……俺は、人間が嫌いだ。どっか行け、人間」


 素気無い言葉だったけれど、一言でも返事があったことに、私は心底安堵した。


 よかった。これで少しは、澄子さんの役に立てそうだ。


「何故、人間がお嫌いなのでしょうか。……既に聞いているかもしれませんが、倒れている貴方をここへ連れてきた方も、人間です。貴方は、人間に救われてここにいるのです。勿論、感謝をしろとまでは言いません。ですが、貴方がなんというあやかしかくらいは、ここに身を置いている以上、教えていただけませんか?」


 少し、強引だっただろうか。ちらりとそう思った。


 けれど、何もわからないまま、得体のしれぬあやかしを、同じ屋根の下置き続けている現状が、私にとっては恐ろしかったのもあり、言葉がするすると口から出ていた。


 多分、澄子さんはそんなこと、気にしてないのだろうけれど。


 澄子さんの、優しい笑顔を思い浮かべる。けれど、やはり私は、澄子さんのように、あやかしを身近には思えないのだ。


 私の言葉に、何か感じることでもあったのだろうか。


 青年は、考え込むように何拍か黙り込んだ後、「わかった」と小さな声で言った。了承の意を示す言葉に驚いて、顔をあげるけれど、視界に入るのは見慣れた襖だけだ。


 彼は一体、どんな顔をしているのだろうか。


 思い描いてみようとしたけれど、全く想像がつかなかった。


「……俺は、犬神だ」


 もしかすると、聞き間違えだったのだろうか。そう思い始めた瞬間、青年の声が聞こえてきた。


「犬神、ですか? ではやはり、犬のあやかしなのですね」


 侑李さんたちの予想はあっていたらしい。


「では、お名前は?」


 この調子で、まだ聞き出せるかもしれない。そう考えて、すかさず質問を追加する。


 けれど、今度は返事がなかった。調子に乗りすぎた、ということだろうか。


 私は、「時間をかけて、根気よく声をかけ続ける」という澄子さんの言を思い返す。今日は、これまでにするべきだろうか。


 けれど、そんな私の考えを打ち砕くように、青年は再び言葉を発した。


「名前? 名前なんて、ない。……もしかして、識別番号ってやつか? それなら、七だ。七番だ、俺は」


 それは、私の感情を乱すのには、十分すぎる内容だった。

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