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第1話 民宿明石屋

「今時民宿って、まだあるんだねー。それって、収入でちゃんと生活できるものなの?」


 特に悪意もなさそうな、澄んだまあるい瞳でそんなことを言われて、思わず顔が引きつりそうになった。


 家が民宿を営んでいる、と言った私に対して、彼女が放ったのが、そんな言葉だったのだから、それも仕方がないだろう。


 口から飛び出しそうになる文句をどうにか飲み込んで、私は愛想笑いを浮かべ頬を掻く。


「う、うん……。うちの場合は、殆ど住み着いているようなひと達もいるし、割と安定してるよ」

「へえー……。そうなんだ。綾部さんの家って、なんかちょっと変わってるね」


 ラウンジで買ったのであろう、やたらゴテゴテとトッピングが盛られたデザートのような飲料を一口飲んで、対面に座った女性……大学の同期である瀬川さんは、にっこり笑った。


 やはり、これといった悪意がその顔に浮かんでいない様子を見るに、それが彼女の純粋な本音なのであろうことが理解できてしまって、私はどんな顔をすれば良いものか、わからなくなった。


「そ、そうかも」


 辛うじて作り出した笑みのまま、あはは、と笑い声をこぼす。すると、瀬川さんは早々に我が家から興味を失ったらしい。返って来たのは、生返事だった。


「あ、ねえ。それより知ってる? 来週の金曜に、あのブランドから新作のリップが出るらしいんだけど……」


 話が新作のコスメについてに逸れていくのをぼんやりと聞き流しながら、私は内心憤慨していた。


 何で貴女に、そんな風に言われなくちゃいけないの? 言い方、ちょっと失礼じゃない?


 そんな言葉が、私の喉元を暴れまわる。

 けれど、それを言ったら、どんな言葉が返ってくるのだろう。

 空気読めないね、とか。そんな風に言うことじゃなくない? とか。


いずれにしろ、白い目で見られるのは確実だろう。

 そう思うと、今にも口から飛び出したがっていた言葉たちが、縮こまっていくのを感じた。


 言ってしまったら、きっと。私は『いい子で優等生の綾部さん』では無くなってしまう。

 そうしたら、きっと。私は、綾部の両親の、自慢の娘ではなくなってしまう。


 それを想像すると、私の怒りは勢いを失くし、やがてへなへなと萎えて、ビー玉くらいの小さな塊になってしまった。

 結局、言いたかった本音は、喉の奥の方に、飲み込まれていくのだった。




「……あんな言い方しなくても、よくない?」


 まあ、そりゃあ、家について少しばかり隠し事もしている。それに、我が家は、ちょっとだけ変わった民宿である、ということも事実なのだけれど。


 心の中で言い訳をしながら、ぼそりと声を零す。それから、ハッとして周囲を見回した。


 いけない、完全に無意識だった。


 周囲に人影がないことを確認して、私はほっと胸を撫で下ろした。誰かに聞かれたりはしていないようだ。


 家はやたらと人目を集めがちなんだから、適当なことを噂されないように、気を付けないと。


 私は緩んでいた気を引き締めるために、頬を数回両手で包むように叩き、自宅に続く門に手をかけた。


 築数十年の古民家を大幅に改装、もとい、改造した我が家は、近所では綾部屋敷と呼ばれる有名なお屋敷だ。


一応、明石屋という号があるのだが、これといった主張をしてはいないので、ここら一帯では綾部屋敷と呼ばれることの方が多い。


 住宅街から少し離れた山間にぽつりと建てられた巨大な屋敷は、人目を集めるのには十分過ぎるほどの存在感を放っているようで、ご近所の注目を浴びがちだ。


 そのせいで、何かというと綾部屋敷が、と噂を流布されてしまう。当の屋敷に住んでいる身からすると、下手なことは出来ないな、と思わざるを得ないというわけだ。


 屋敷の周りは、建仁寺垣で囲まれており、爽やかな印象を与えつつも集まる人の目を拒絶するような印象を与える。


 屋敷は、逆L字型、と言えばわかりやすいだろうか。門から見るとL字をひっくり返したような形に広がっており、空いたスペースに美しい庭が設えられている。


 庭に面するように縁側があるので、桜の季節などにはよく花見をしている住人の姿が見られる。

 しかし、立垣が人々の視線を遮っているので、それを知っているのは実際に住んでいる住人達だけだ。


 部屋は、玄関をあがってすぐ右手に二部屋。少し先の左手にはトイレが二つ。トイレの先にある角を左手に折れると、住民たちがそれぞれ生活している部屋が四つある。


 反対側の廊下の先に、二階に続く階段があって、階段の奥のスペースには居間が広がっている。居間からは、台所、土間へと続いていて、そこから裏口を通って外に出られる作りになっている。


 裏口は、ぐるりと家を回って、玄関とは反対方向に付けられており、私は屋敷に出入りする際は、大体この裏口を通っている。


 台所から、居間を通り抜け、左手にある階段を上ると、直ぐ左手前にあるのが、私の部屋だ。


 いつも通りに土間から台所に上がって、そそくさと居間を通り抜けてしまおうとする。


 けれど、ちょうど居間に住人たちが集まっていたようで、すぐに声をかけられてしまった。急にかけられた声に驚いて、大げさに肩を揺らしてしまったのは、見なかったことにしてほしい。


「あらあ、雛ちゃん。おかえりなさい」


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