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血が冷えた気がした。
同時に、思い違いをしていた自分が恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「ご、ごめ……」
言葉は途切れ、グレイヴの目を見続けることができずにうつむいた。鼻の奥がつんとして、瞼が熱くなる。
「王子!」
ヒロが上げた非難の声は、とても小さかった。彼も同じことを考えていたのだ、と悟る。ただ言い出せなかっただけで。
顎がふるえ、ぎゅっと眉間に力を入れても涙があふれた。もともと涙腺は壊れ気味だという自覚があるだけに、これはまずい。
ぽたり、と涙が一粒スカートに落ちたとき、不意に身体が揺れるほどの勢いで頭をなでられた。
ぎょっとして顔を上げると、頬杖をついた手で口元を覆い、そっぽを向いたグレイヴだった。
「こちらが勝手におまえたちを気に入って世話してるんだ、好きなように利用すればいい。にっこり笑って礼でも言っときゃそれでいいんだ」
わしわしと髪をかき混ぜていた手がとまる。少しふるえているような気がした。
「……殿下もさぁ」
あきれたようにヒロが言いかけた言葉を、椅子を蹴立てて立ち上がったグレイヴが遮った。
「と、とにかく! 明日午後までに城へ来い、心配ならおまえらも一緒でいい」
そのままドアのほうへズカズカと歩んでいく背に、ヒロが「どちらへ?」と問えば「帰る!」と簡潔な返事があった。
……彼は話し合い、に来たのではなかったろうか。
唖然とするヤヨイの手を、ジェナがそっと握った。
「優しい方でしょ?」
目頭にたまっていた涙が、瞬きした拍子に頬へとすべり落ちる。
ヤヨイは居間を飛び出し、閉まりかけた玄関のドアを開けた。
「待って!」
だがそこに彼の姿はなかった。馬のいななきとなだめる声に気づき、家を右手に回ると林檎の木の下で濃紺の外套が風にはためいているのを見つけた。
「お、王子!」
なんと呼ぶべきか一瞬迷い、口をついたものが正解かどうかもわからない。だがとにかく彼を呼び止めることには成功した。
鞍に手を置き、肩越しに視線だけこちらに向けるグレイヴに、ヤヨイはためらってしまう前に言い放った。
「ありがとうございました、あの、はっきり言ってくれて。
――ヒロたちはわたしに厳しいことを言いづらかったんだと思います……また自殺するんじゃないかって、いまでも疑ってるから……」
事実だ。
ヒロやジェナだけではない、研究所の連中も。みんながヤヨイに気を遣い、甘やかすのは死なれては困るからだ。数少ない同胞を、貴重な生き証人を失くすわけにいかないから。
自分の主張や意見を守ることと、礼儀を忘れること、わがままを通すことはまったく別の話だ。
いつから混同していたのか、ヤヨイはヒロやジェナ、学者たちや集落の人々に向ける顔がなかった。理由があるなら頭だって下げてやる、などと思い上がっていた大ばか者だ。
「わかってたんだけど……もう平気なんだけど、もう少し、もう少しって甘えてるうちに、わがままになってたみたいです。王様に挨拶するのだって、本当はもっと早くしなきゃいけなかったのに。礼儀知らずですよね、王子が気分を悪くしてもあたりまえでした。ごめんなさい」
あまり考えずにがばっと頭を下げ、こういうとき母国語じゃないっていうのは便利だな、などと思う。心情を吐露するというのは日本人にとって苦手な部類に入る行為だが、外国語だと案外簡単にできてしまう。
「愛してる」とは言えなくても、「アイラブユー」ならすんなり言えそうではないか。どちらも実際に口にしたらサムすぎて凍死しそうだが。
「……俺はべつに、おまえが死んでもかまわないとは思ってない」
どこか責めるように、早口で告げられた言葉に身体を起こす。グレイヴは眉をひそめ、腕組みをして立っていた。
「ただこれ以上あのおっさんを焦らすと、強硬手段に出かねないと思っただけだ。衛兵に引っ立てられておっさん趣味を押しつけられた挙句、膝の上で手ずから飯を食わされたくはないだろうが」
よくわからなかった。
オージェルム公用語を日本語に変換し、さらに必死で映像化して脳裏に描く。
ある日突然兵隊さんがやってきて、無理やりお城に連れて行かれて。おっさん趣味……というのは、やはりフリフリドレスなのだろうか。ピンク色の? そして見ず知らずの中年男性の膝に乗せられて、お口をあーん――。
「――本当にありがとうございます、いますぐ支度します」
おざなりなお辞儀をして回れ右しようとするヤヨイを、グレイヴの咳払いが引き止めた。わざとらしいそれに振り向くと、彼は馬の首筋をせわしなくなでさすっていた。
「ヤヨイ、その……無理に敬語を使わなくてもいい。最初のように……おまえが話したいようにしていいんだ」
一瞬きょとんとしたヤヨイは、彼の言わんとするところを察してにっこり笑った。確かにオージェルム公用語の敬語は難しい。
「あ、大丈夫です。では、お気をつけてお帰り下さい」
もう一度頭を下げ、本当に親切な王子の綺麗な顔を眺める。彼はぽかんとしているが、そんな表情もまたよし。
親しくもない人に、まして生活を支えてくれるスポンサーの一族であるとわかったからには、タメ口などもってのほかだ。さっきはなんて失礼な男だと思ったから、それ相応の言葉遣いをしただけのこと。
見送ろうと思ったのになかなか立ち去らないグレイヴ王子に焦れ、ヤヨイはそわそわと足踏みした。そして最後にもう一度だけ微笑みかけてから、玄関へと向かって踵を返したのだった。
第一章、終わりです。
こうしてみると、修正したいところがいっぱいです。
書きあがってるところまで一気にいこうと思うので、
よろしければおつきあい下さいませ。