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over again  作者: れもすけ
第一章
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3

「針を打てる鍛冶屋がさぁ、いやいることはいるんだけど、上手な奴は城まで行かないといないんだよね」

 着ているシャツの裾を引っ張ったまま、ヒロは途方に暮れた顔でうなった。

 ――針を打てる? 

 ヤヨイの頭に浮かんだのは、もちろん半袖の白衣のようなものを着た鍼灸師だ。鍛冶屋とか城といった単語とそれは、いかにもそぐわない。

「糸の在庫はあるんだけどなぁ……ジェナに怒られる前に、仕入れに行くかぁ」

 シャツの身頃を真っ二つにする見事な鉤裂きを見下ろして、ヒロは大きなため息をついた。馬小屋で古釘に引っかけたのだそうだ。


 ひどく落ち込んだその横顔を見ながら、ヤヨイは目玉焼きを口に運ぶ。ハーブソルトをかけただけのそれは、「目玉焼きは醤油」派のヤヨイをもうならせる逸品だ。シブいおやつだね、とヒロをひきつらせたがかまわない。

「針って鍛冶屋さんが作るんだ?」

 なにかコメントする必要を感じて、なんとなくそう言った。針も糸も百円ショップで買うものであって、機械がない時代にだれがどう作るかなんて考えたこともなかった。

「もちろんだよ、針も釘も鍋も、みんな鍛冶屋に頼んで作るんだ。折れたら継いでもらう。でも小さな針穴を開けたり窓の掛け金とかを作るのが苦手でさ、ここの鍛冶屋」

 ここ、というのは『落下地点』を中心とした小さな集落のことだ。

 ヤヨイやヒロのようにしてやってきた人は、必ずこの先の小さな森にある湖に『落ちて』くる。実際現場を見た人はいないそうだから、最後に崖から飛び降りたということで便宜上そう呼んでいるだけだが。


 湖の畔に研究所がある。といってもこの家より少し大きな建物が数軒建っていて、そこで十人余りの人間が本の山に囲まれているだけだ。

 このあたりの土地は国王の持ち物で、資金も王様の財布から出ているらしい。つまりヤヨイがいま着ている服も履いている靴も、王様からもらったものということになる。


「お城って王様が住んでるんじゃないの? 王様の鍛冶屋さんが針を売ってくれるの?」

 目玉焼きが姿を消したフライパンを手に席を立つ。洗い物一つするにしても、井戸から釣瓶で水を汲むところからなので、皿に移すなどの贅沢はしない。

「あぁ……ランドボルグの話はまだだっけ」

 若干気のない様子で、ヒロはヤヨイが座っていた椅子に腰を下ろした。ちょっと引くくらい愛妻家である彼は、同時に恐妻家でもある。ジェナに叱られることよりも、彼女の不興を買うことを恐れている風だ。

 もっとも、多少の言い合いは日常茶飯事だし、その後熱烈なキスで仲直りをするから、ヤヨイにしてみれば勝手にしてくれ、というところだ。それよりも他人の目につかないところでやってほしい。


 調理用ストーブの上にフライパンを載せて、ヤヨイはヒロが話し出すのを待った。空焼きして汚れを焦がし、水につけてはがすのだ。

「王様が住んでるのはランドボルグ城っていって、ここから馬車に乗って四時間くらいかなぁ。けど俺らがイメージするような城じゃなくて、いわゆる城塞都市ってやつよね」

「いわゆるって言われても。シンデレラ城みたいなお城じゃないの?」

 ヤヨイの発想は実に貧困だ。西洋風ならシンデレラ城、日本風なら名古屋城くらいしか思いつかない。しかも前者はテーマパークのシンボルだ。

「いやさぁ、石垣とか壁で囲まれてて大きな建物が建ってる、って普通は思うだろ。けどそれって結構後の時代の話なわけよ。俺も詳しくはないんだけど。ランドボルグは築城から三百年強でもうちょい昔の、街ごと城壁の中に抱え込んでる町そのものを指すんだな」

「……よくわかんない。ていうか全然わかんない」

「だぁからさぁ」


 はずみをつけて立ち上がったヒロが、棚の引き出しを開けてノートとペンを取り出した。それを横目に、ヤヨイはフライパンの柄に布巾を巻きつける。煙が立ち上り始めたそれを、台所の隅にある水の張った木桶に突っ込んだ。

「こういうこと」

 手招きするヒロに近寄ってノートを覗き込むと、意外と上手な絵が描かれていた。

「真ん中に城があってさぁ、坂の上に。足元に町があるのよ。住んでる人もいるし店もある。畑とかは城壁の外だけど、馬は城の中。んで、城の下層は兵士とか役人とか、下手するとガキんちょが遊び場にしてて普通にウロウロしてたりするわけ」


 大きな楕円の中央に、ブロックで組んだような建物。矢印で城と書かれている。その周囲に小さな四角がたくさんあって、それは民家と注釈があった。

「王様が住んでるのに危なくないの? なんかほら、警備っていうのかな」

「王様とか補佐する人とか、エラい人は上層にいるよ。専属のボディガードもいっぱいいるし、そもそも王様っていってもヤンチャでさぁ。自分で剣とかブンブン振り回してる。盗賊なんか出ると大喜びで退治に行くような人だよ」

「……何歳なの?」

 ヤヨイがイメージする王様とは、随分ちがう雰囲気のようだ。少なくとも金ピカの椅子に座って赤いマントを着てはいなさそう。


 ヒロは天井を見上げるようにして、少し考えた。

「一番上のロアード王子が俺と同じ年だから……五十は過ぎてんじゃない?」

「ふぅん」

「あれ、興味なし? 王子にも?」

 目を丸くするヒロに、ヤヨイは曖昧にうなずいた。

 興味がないというより、想像力が不足していて崩されたイメージを固めなおせない感じだ。王子と聞いても、心踊るより先にヒロと同い年というあたりでがっかりだ。

 童話のようにスマートで凛々しい若者ばかりでない、という現実に幻滅。ヒロにはたいへん失礼だけれども。


 よく考えれば、王様が元気で長生きなら王子様はいつまでも王子様だ。チャールズ皇太子だって、あれで王子様なわけだし。と、ヤヨイは図書室の新聞で見た顔を思い浮かべた。パっと見はおばあちゃんくらいの女性と再婚したとか、するのだとか報道されていた時期のものだ。


「そっかぁ……興味なしかぁ……」

 タワシでこすったフライパンを壁にかけていると、ヒロは机に頬杖をついてなにやらうなっていた。女の子はみんな王子様に憧れるものとでも思っているのか。

「あったほうがいいの?」

 なにを期待していたのか、ひどく落ち込むヒロが少し気の毒になった。慰めるつもりで尋ねると、彼は机に頬をつけてヤヨイを斜めに見上げる。

「だってさ、玉の輿よ? オージサマよ? そりゃあさ、なんていうか、王族っていっても『パンがないならケーキを食べればいいじゃなーい』とか『文句があったらベルサイユまでいらっしゃーい』って感じじゃないけど……なんていうか、玉の輿よ?」

(繰り返したよこの人。しかもたとえがわかんない、当時の流行語?)

 だがそれを口にするとまたヒロが地の底まで落ち込みそうだから、黙っておいた。


 先日、「テレホに入ってなかったからパソコンをインターネットにつないだことはない」という発言の意味が理解できず、一騒動あったのだ。

 パケホの間違いかと思って尋ねると、どうも彼の時代は二十三時以降、電話回線を定額で使えるサービスがあったらしい。そして当時、インターネットの接続は電話をかけるのと同じことだったというのだ。パソコンの本体に、電話機から引っこ抜いたモジュラージャックを挿したというから驚く。もちろん、その間は電話のほうが使用不可能。


 ヤヨイの時代もあったかもしれないが、少なくとも高校のコンピュータ室も市役所のロビーにあったパソコンも、電話のモジュラーケーブルはつながっていなかった。水色や緑色のLANケーブルなら見かけたが……。

 しかも携帯メールの話題に及ぶと、公衆電話の早打ちでメッセージがどうのと意味不明なことを口走る彼が、少々不気味だったほど。

 公衆電話はほとんど見かけないし、少なくとも知る限り高校生以上で携帯を持っていないのはヤヨイだけだった、と話すと、呆然としてしまって話にならなかった。

「公衆電話が消えてるなんて……どうやってポケベル鳴らすのよ……」

 そうつぶやく彼の背中には哀愁が漂い、「未来だ……」とこぼして鼻をすすっていた。意思の疎通が図れなかったことだけは確かである。


「そっかぁ、興味ないかぁ」

 いつの間にか逆の頬を机につけたヒロは、ヤヨイに後頭部を向けていた。まだ言ってる。食器棚に寄りかかり、ヤヨイは腕組みして息をついた。

「興味はあるよ。でもめんどくさそうで正直お近づきになりたくはない」


 大体、典型的な日本人であるヤヨイにとって、よく知らない外国人は親愛の対象ではない。

 黒でも茶でもない瞳はなんとなく感情がなさそうに見えるし、きっと太陽は黄色だと言い張るにちがいないと思う。もっとも、カラーコンタクトを入れている同級生にも同じ感想を抱いたものだが。

 まして王族。別種の生き物とまでは言わないが、あらゆるシーンで感情の行き違いが起きる予感がした。

 ジェナのように百日以上寝食をともにしたって、やはりどこかで「合わない」と思う瞬間があるのだ。文化も歴史も異なる背景を持つ同士なのだから、偏見を別にしてもそれは当然のことだった。

 研究所の学者たちとは、言葉が通じるようになってようやく少し仲良くなったが、知らない人はやはり構えてしまう。大抵は『外』の人間であるというだけで親しくしてくれるが、とりあえず友好的に、という日本人の基本姿勢が懐かしい。


「お近づきになりたくないって……一応俺たち、国王の庇護下にあるんだけど」

 困ったようにうめくヒロに、口の端を曲げてみせる。

 もしかして、と、ヤヨイは上体を起こしたヒロの横顔を注意深く見つめた。

 のびのびになっていた王様との謁見、とやらが近いのだろうか。

 ヒロと二人でいるときも使う努力をしてきたためか、ヤヨイのオージェルム公用語もだいぶまともになってきた。精神状態も安定しているし、そろそろと言い出されてもおかしくはない。


 王様に会う。すごい、なんてロマンチックでファンタスティックで――面倒くさいことだろう。


 考えただけでヤヨイは憂鬱になる。よくわからないけど、政治家に会うようなもの?

 全校集会や入学式のように、ありがたいお話をかしこまって聞かなければならないのだろうか。

 偉い人の前に引き出されて、そのために小奇麗な格好をさせられて。お辞儀の角度から目線の場所、はては一歩の幅まで注意されそうで鬱陶しいことこの上ない。


「……ちょっと出かけてくる」

 あえて聞き取れるかどうかわからないほど小さな声でつぶやいて、ヤヨイはそっと勝手口から外へ出た。秋風が滑り込む時季だが、開け放したドアからはまだほんのりとした暖かい空気が流れ込んでいた。




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