表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
over again  作者: れもすけ
第一章
4/48

2


 御者台のジェナは黄色っぽい髪を風になびかせ、器用に手綱を繰っている。大分前に街道をはずれ、道の状態はお世辞にも良好とはいえないのに大したものだ。グレイヴは愛馬の鞍の上から、横目で彼女の手元を見つめた。

「でもよかった、考え直して下さって。ヒロがハゲちゃうところでした」

 向かい風に対抗して声を張り上げ、微笑むジェナは美しかった。精神と肉体の健全、愛する人に愛される幸福な瞳の輝き。自分も彼女の目にはそう映りたい、と黒い瞳を思い浮かべて胸を熱くした。


「ジェイル殿下のところなら安心だわぁ。乱暴な人もいないし、『外』に理解もあるし、私の父も近くにいるし!」

 兄の名前に上向きだった機嫌が急降下する。

 ついいままでの沈黙と別種の気配を感じ取ったか、ジェナはあわてて首を振った。

「あ、いえ、グレイヴ殿下にお預けするのが不安ってわけじゃないですよ! ただ、本人の意思もあることだし、いますぐはちょっと……」

「わかってる」

 むっと顔をしかめたままうなずいた。




 次兄のジェイルは文官の長だ。だが直接政務に関わらず、父と長兄のための下準備に己の職分を終始させる。不用意に玉座に近づきすぎるのは危険だからだ。いずれ長兄が王位を継げば、臣籍に下って正式に王族でなくなる。長兄の近衛騎士であるグレイヴも。


 顔を上げ、進行方向を見つめた。緩やかな起伏が続く丘陵地帯を抜けると、豊かな緑が広がる平原に出る。そろそろ行程の半分は来ただろう。

 もう少しで、彼女に会える。扉の隙間から覗き見るのでなく、きちんと彼女にも自分を見てもらえる。愛馬に一蹴り入れて全力で駆けさせたくなる衝動を、ジェナの操る馬車のためだと言い聞かせてなだめた。


 六年ぶりに『外』から仲間がやってきた、とヒロが知らせてきたのは、四ヶ月ほど前のことだった。叔父からの私信を装って送られてくる彼の手紙は、いつも彼の心を浮き立たせる。


 グレイヴはオージェルムの王族の多くがそうであったように、『外』に対して好意的だ。しかし特に父王の『外』趣味といったら、歴代の王の中でも群を抜く。

逸話を上げればキリがないが、自分たち三人兄弟の名を聞いたときのヒロの表情から察するに……やはり相当なものなのだろう。

 しかしグレイヴには、『外』に対する好意や興味を公にできない事情がある。


 二人の兄は父王の手元で育てられたが、グレイヴだけは王弟である叔父によって騎士団の中で教育を受けて育った。父王から見事な金色の髪を受け継がず、家族の中で浮いた存在であり孤立していた彼を、叔父が救い出してくれたのだ。金髪でない直系もいるのさ、そう言って笑う叔父に慰めの色はなかったが、年相応の無邪気さは既にグレイヴの中から失われていた。


 他者からの愛情に対して隙だらけの王子はまた、危険な存在でもある。長く戦乱に翻弄されたオージェルム王家は、王位の簒奪に対する警戒心が強い。叔父の一手はグレイヴのみならず、父王と兄、そして玉座に向ける牙を隠し持った家臣をも護った。


 騎士団に属する者の多くは『外』を受け入れ、優遇することに否定的で過敏な反応を見せる。それは彼らがこの地へ『落ちて』くるそもそものきっかけが、自らの生命を己の手で絶つという行為によるためだ。

 忠誠と正義、そして己の矜持のために死ぬことは厭わない騎士たちだが、それゆえに自己を慰撫し不幸に陶酔した挙句の自死に激しい嫌悪を抱く。

 王家が『外』を受容すればその意向には従う。が、それと本心、そして忠義は別の場所にあるものだ。そんな彼らに囲まれて、朗らかな心を取り戻しつつあったグレイヴには、『外』に触れたいという欲求を口にすることができなかった。


 それでもたまに父の膝に載せられて聞く『外』の人々の話はたまらなく魅力的だったし、実際ヒロと知り合って直接語る機会を得ると、『外』への想いは日々膨らむばかりで。


 六年前、ヒロは『落下地点』で暮らすと言い出して周囲を驚かせた。快活で陽気でよく気のつく彼は、だれからも愛される男だ。当然彼を知るランドボルグ城のだれもが惜しんだが、ヒロの意思はかわらなかった。


 直前、彼にとって痛ましい事件が起きたことが原因だろう。当時の落胆と憔悴を知る者は、寂しくなるとは口にしても、彼の決意を翻そうとはしなかった。だが、グレイヴは彼に会えなくなることが、『外』の話を聞けなくなることが我慢できなかった。だから定期的に手紙を遣り取りし、たびたび顔を見に『落下地点』に彼を訪ねた。




 ヤヨイを初めて見たのは、『落下』から数日後のことだったと思う。喜びを隠し切れない文面に、ヒロの故郷への思いを垣間見た。

 今度こそ失敗しない、必ずその娘に生きる意欲を取り戻させてみせると、滲む筆跡で記されたのは自身への決意に他ならなかっただろう。


 静かに、そっとね、とヒロから釘を刺されつつ盗み見た少女は、すぐさま駆け寄って抱きしめたくなるほど小さく、揺れる瞳は世界で一番哀れな生き物に見えた。どこかに心を飛ばし、孤独と寂寥に支配される空間でぽつんと取り残されていた。

 肩の下で切りそろえられた黒髪、服の裾から覗く白い脚、細い腕。オージェルム美人の基準からははずれるが、『外』趣味の人間の目にはひどく魅惑的に映った。


 ――あの娘が欲しい。


 どんな気性か、気が合うかどうかも知れないのに、胸に湧き上がった欲求に狼狽した。だが高鳴る鼓動と震えるほどの激情に突き動かされ、戸惑うヒロに詰め寄った。

 そして彼は、少女が現実を受け入れ、この国で生きると決めたならば、少しだけ手を貸すと約束してくれた。


 本当はすぐにでも妻に迎え、臣籍に下ってどこか辺境の領地にでも彼女を攫ってしまうつもりだった。だが自分はまだ若く、長兄には庶出の女児しかいない。太子が正式に妃を娶り、男児をもうけるまでは、ランドボルグから遠く離れるわけにいかないのだ。


 第一、謁見も済んでいない『外』の娘、ヒロより先に父王が許すはずもない。わかっているから次兄の協力を仰いだし、同じ城にいてくれるならそれだけでいいとも思う。

 けれど、もしかしたら、という淡い願いを捨てきれずに今日まできてしまった。

 愚かなことだ。もっと早く現実を受け入れていれば、ヤヨイはいまごろ城での暮らしになじんでいたかもしれないのに。

 自分を知り、言葉を交わすことに慣れ、微笑みかけてくれていたかもしれないのに――。



「あのコ、きっと喜びます。働きに出たがっていたから」

 うきうきとした声に、はっと我に返った。

 いつの間にか丘を超え、あたりは背の低い草に覆われた平地だ。見渡した世界の端に、細い小川が流れている。『落下地点』の中心にある湖から流れ出る川。

 グレイヴは無言で一つうなずき、胸の真ん中で疼く痛みに切ない息をついた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ