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城館へと続く坂道を上り始めると、見上げるほど急な坂にヤヨイは眩暈を起こしそうになった。距離にして三百メートルばかりだろうが、これをもしスキーで下りろと言われたら断固拒否する斜度なのだ。
数歩先を行くゲランは、つい先ほどまで厚い肩に漲らせていた緊張も消し、ちらりと見る限りもう普段通りの顔つきに戻っている。
(領主様が亡くなった、っていうことは……どういうこと?)
鳥も休む枝に困るほどスカスカとした木立の中、咽喉をカラカラにして足を出す。
ヤヨイの頭で思いつくことといったら、まずお葬式をどうするのだろうという程度のことだ。
王様の弟なのだからランドボルグで生まれ育ったのだろうし、そうするとやはり、遺体を運んで執り行うのだろうか。それとも領地を賜ったのだから、もうこの土地の人として扱われる? ゲランに教授された習慣は一般庶民のもので、王侯貴族に当てはまるものではなかった。
のそのそと進むヤヨイの背後から話し声が聞こえてきて、通行の邪魔にならぬように道の端へよけつつ、さりげなく休憩をとる。地元民には慣れた坂道だろうけれど、大分体力はついているが、登山かと思うほどの坂にヤヨイは辟易とした。
「ご領主様がご病気だったなんて、おまえ知ってたかよ」
「馬鹿、そんな話、下々に洩らされるわけなかろうが」
深刻そうに顔を青ざめさせて目の前を通り過ぎるのは、着込んだ風合いの上下に分厚い革靴を履いた二人連れのおじさんだ。おそらく町の商店主かなにかだろう。シャツのボタンも全部ついているし、飾り気がないだけで清潔な服を着ている。
「しかしじゃあ、やっぱり城で王都の騎士様方をお見かけしたっていうのは……」
「ああ、ご領主様のお見舞いだったならそりゃコソコソもするさ。なんたってご領主様はほら、陛下の――」
聞くともなしに聞いていたヤヨイは、おじさんたちに急に振り返られてぎょっとした。反射的に深く帽子をかぶったが、おじさんたちはそのまま無言で歩み去る。
不自然に会話を断ち切ったことが気にかかって立ちすくんでいると、同じように足を止めていたゲランが少し坂を下りてきた。
「どうした?」
「あ、いま……なんか、ご領主様の話をしてた人が――」
「ああ、こういう状況じゃな」
沈んだ表情に苦笑を浮かべ、ゲランは顎をしゃくって先を促す。
なにか引っ掛かりを感じたまま、ヤヨイはそれに従った。
どうにかこうにか坂を上り切り、平らな道にたどり着いたヤヨイが最初に見たものは、広場にたむろするむさくるしい男の集団だった。
どことなく郷愁を誘われたのは、彼らが履いているズボンに見覚えがあったからだ。
建設現場で働く人たちの正装、飛び散る汗によく似合う――ニッカポッカ。
「……アサヌマさんのもんぺ、みたいなものかな」
そうだ、そうにちがいない。状況も忘れてのほほんとその集団を遠巻きに眺めていたら、不意にむくつけき男たちの塊の中から自分を呼ぶ声がした。
「あ、いた! ヤヨイ!」
「はぇ?」
思わずあたりを見回し、背後まで振り返ってみたが、この国でヤヨイといったらここにいるヤヨイ以外にない。しかしランドボルグにさえ知己の少ないヤヨイが、このスウェンバックで、しかも建設作業員に知り合いがいようはずもない。
ゲランを見上げれば、眉を下げ、男っぽい顔に戸惑いを浮かべていた。
「お出迎えか」
「って、わたしの? ……あっ!」
そのとき、人垣を押しのけて姿を見せたのは、臙脂色の腰丈のベストにズボン、紅茶色の髪を振り乱した――ルーヴェンだった。
なぜここに。なぜルーヴェン。
思考停止に陥りぽかんと口を開けたヤヨイは、風のように駆け寄ったルーヴェンの胸に、あっという間に抱きしめられていた。
「やっと会えたッ!」
「ぐぇっ」
ぎゅうぎゅう抱きつかれて上からのしかかられ、背骨は反り返るし肩を脱臼しそうになる。のけぞった首に不自然な力が入り、自分の頭の重みにびっくりした。
「ヤヨイってばもう、お転婆さんだね!」
後ろ向きに倒れそうで怖くなり、ヤヨイはルーヴェンの背にしがみついた。それから周囲にたくさんの人がいたことを思い出して抗議しようとしたが、自分を抱きしめたままグルグル回り出したルーヴェンに振り回され、それもままならない。
「大丈夫? 元気? 怪我はない? 怖い思いはしなかった?」
ジェイルばりの早口で矢継ぎ早に質問されても、不安定な体勢でいまにも転んでしまいそうな恐怖でなにも考えられない。
「ちょ、あの、とにかく放してぇっ!」
腹から絞り出すようにして細い悲鳴を上げると、首元に頬ずりしていたルーヴェンの重みがふっと消えた。目を回しながらバランスをとるため伸ばした手の先が、硬い掌の感触を覚える。
「悪いな、小僧。こいつに触れたかったら俺の許可をとってくれ、でないと次は頭からバッサリいくぜ」
ソシアルダンス上級者もびっくりのターンでくるくるとたくましい腕の中に巻き取られたヤヨイは、鼻先にゲランのにおいを嗅ぎ取って、考えるよりも先に安堵した。
「あんた、だれだよ? あ、いや、見覚えがある! そのうすらデカい背に灰色の目――」
腕の隙間から見やったルーヴェンの表情は、見間違いかと思うほど険しい。短い付き合いだったが、書記室勤務の数日では一番親しく穏やかに接してくれた人なのに。
「あ、あのね、ルーヴェン、この人は――」
「俺はヤヨイの護衛だ。ランドボルグに送り届けるまでは、何人たりともこいつに触れてもらっちゃ困るんでね」
ヤヨイの後を強引に引き取ったゲランの声には、余裕がない。首を曲げて顔を見上げると、厳しい眼であたりを見回してる。
ふと、その目元が緩むのと同時に腕の拘束が解かれた。その場にめぐらされた目に見えない緊張の糸が切れたのを察し、ヤヨイはこっそりと息をついた。
「そう、そうなの。ルーヴェン、なんでここにいるの?」
領主である大公が亡くなったことは無関係だと、さすがにわかる。いくら早馬を飛ばしたとしても、ランドボルグに第一報が届いて折り返したら三日はかかる。
とすると、アサヌマが現場監督をしているスウェンバック城の改造工事の件か、と予測しつつ訊ねたのだが、ルーヴェンの返答はまったく予想外だった。
「なんでって、ひどいなぁ! 君が来るのを待ってたんじゃないか」
「え、うそ!」
眉を上げて心外そうに目を丸くするルーヴェンに、ヤヨイのほうも心外だった。
アサヌマに会ったらこうしよう、大公閣下にはこう挨拶しよう、というシミュレーションこそしてきたが、まさかルーヴェンに熱烈歓迎された挙句に「ひどい」と言われることなどだれが想像できようか。
「嘘じゃないよ。まぁ、もちろん仕事もあるにはあるんだけど……あ、室長」
ルーヴェンがヤヨイの頭越し、嫌そうな声で放った呼びかけに、ヤヨイはマッハの勢いで振り返った。
果たしてそこに、またもランドボルグにいるはずの人がいた。数メートル向こう、ゆっくりと閉まる城館の扉を背にしてこちらに歩み寄ってくる。
「ガルム、室長……」
ぽやんとしたつぶやきを無意識にもらしながら、ヤヨイは血圧と脈拍に異常が生じるのを感じていた。
ゲランいわくの「こんな状況」だからか、金茶色の髪は相変わらずライオンのたてがみみたいだし、金緑色の瞳も輝きを失ってはいないのに、ヤヨイに向ける室長の笑みはどこか力ない。
だがヤヨイが一番違和感を覚えたのは、精彩を欠いた表情ではなかった。
ルーヴェンが書記官の制服ともいうべき臙脂色のベストを着ているのに、室長は見覚えのある上着を袖を抜いて羽織っていたのだ。
膝丈で紺色、大ぶりの銀ボタン。袖の折り返しに銀糸の縁取り。
これではまるで――。
「小僧、言いつけた用事は済ませたのか。二度は聞かんぞ」
厚めの唇がほどけて響いた重低音に、ヤヨイの膝から力が抜けそうになった。ゲランもいい声だけれど、やっぱり室長にはかなわない! などと場違いなことを考えて頬を赤らめるヤヨイの前で、ルーヴェンが増量した不機嫌オーラを室長に向けている。
「いまやってるところだったんです! でもヤヨイが到着したんだから、出迎えのほうが重要でしょう?」
「ならもう用済みだな」
木で鼻をくくったような室長の態度に敵意をむき出しにしつつ、ルーヴェンは引き下がった。なにか捨て台詞じみたことを言ったようだが、聞き取れない。
「ヤヨイ、またあとでね!」
振り返りながら手を振られ、咄嗟に振り返す。
いろいろなことが把握できずに呆然としていると、苦笑の滲む重低音が降ってきた。
「久しぶりだな、ヤヨイ。道中、かわりはなかったか」
見上げた先には、目を細めてヤヨイを見つめる室長の、どこか寂しそうに緩んだ笑み。
「は、はい! あの、ついて来てくれた人に、よくしてもらって……」
そうだゲランを紹介せねば、とすっかり存在を忘れていた旅の相棒を振り返るが、そこにあるべき長身の姿がない。
「あ、あれ? ゲラン?」
途端に心細くなって周囲を見回すけれど、ゲランどころかニッカポッカの集団も、領主の訃報を聞きつけて集まりつつあった町の人たちの姿もない。いつの間にか狭い城館前の広場には、ヤヨイとガルム室長だけが取り残されていた。
どうしたんだろう、どこに行ったんだろうとおろおろするヤヨイの肩を、不意に伸びてきた腕が抱く。ふわっと漂う辛いタバコのにおいに、それがだれでどういうことかと考える前に心臓がドーンと飛び跳ねた。
「中に入るには手続きが必要だ。そちらへ回ったんだろう」
肩口をつかむ手に促されるヤヨイの足は、ふわふわとおぼつかない。
「ダナンの――」
言いかけて止まった声に、ヤヨイはぎこちなく顔を上げた。これまでで最高に近い距離にいる憧れの人の横顔は憂いに満ちていて、浮ついた心が瞬時に沈む。
「……いや、スウェンバック大公の訃報を?」
ヤヨイの肩を抱くのと逆の手で城館の扉を開けながら、室長は短くそう言った。
「あ……はい、ちょっとだけ……」
「そうか。そういうわけで少しゴタゴタしているが、夜にはアサヌマに会わせる。部屋を用意しているから、まずは休め」
背を押されるようにして踏み入った城館の廊下は狭く、暗い。窓の数が極端に少ないのと、夕刻であるにも関わらず、灯されるべき明かりの手配が滞っているせいもあるのだろう。
室長とルーヴェンがなぜここにいるのか、そしてなぜ室長が、まるで近衛騎士のような格好でいるのかはわからない。だがあちらの事情はともかく、ヤヨイの「家出」はバレているようだ。
尋ねたいことは他にも山ほどあったけれど、ヤヨイは黙ってうなずいた。とにかくその部屋にいれば、きっとゲランが来てくれるという望みもあった。
城館内部の輪郭をたどるようにして廊下を進み、ざわめきの聞こえるあたりを避けて石の階段を上った先で、室長は一枚のドアを鍵を使って開けた。
「簡単な食事と、湯の支度もしてある。中から鍵をかけて、知っている人間以外はだれが来ても絶対に開けるな」
「は、はい……わかりました」
「ああ、知り合いでも小僧はだめだ。そうだな……いっそ俺か殿下が来るまで、寝た振りでもしておけ」
はいわかりました、ともう一度答えようとして、声が咽喉に詰まった。
――殿下?
というのは、ジェイル王子のことだろうか。まさかロアード王子ではあるまい。他に殿下というともう一人心当たりはあるが、もしやまだまだ知らない「殿下」がいて――そう、王弟も殿下だ。いやいやこの地にいるはずの王弟殿下は亡くなって――。
ガルム室長の顔を見上げたままぐるぐると考えていたら、きりりとした眉が片方だけ上がった。
「どうした。寝た振りが不満なら、延々と湯浴みの振りをしていても構わんぞ」
「あ……いえ、寝た振りは得意なので、します、けど……」
間抜けな返事をしたヤヨイに、室長はふっと笑った。大きな手が帽子ごとヤヨイの頭をつかんで揺らし、そのまま室内に押しやる。
それきり去ってしまおうとする気配にヤヨイはあわてたが、言葉が出てこない。
ルーヴェンが、書記官がいたのだからジェイル王子がいてもおかしくはないのかもしれない。彼のほうがいい、気もする。
けれど室長が着ている上着が近衛騎士とそっくり同じに見えるから、まさかまさかという思いも消えてくれない。でもいまここで会いたいか、と言われれば――正直会いたいけれど、まだ様々な覚悟ができていないから会いたくない気もした。
知らず縋るように見つめていたヤヨイの視線に気づき、室長はドアを閉めかけた手をとめた。
そして薄暗い廊下から、なにもかもわかっている、という顔で一言だけ言った。
「……グレイヴ殿下だ」
閉まるドアのきぃ、という耳障りな軋みは遠く、ヤヨイは目の前の、閂型の錠を睨んで「かけておかなきゃ」と思うばかりで、指一本動かせなかった。
お久しぶりの更新です。「アノヒト」と再会できました。
前回、alongを更新してから、という後書きを書いたのですが、
諸事情により7章が先になりました。
もう少しヤヨイのお話と、それにどうしても絡む部分だけの進行で
いきたいなぁと。
次回がいつになるかまたしても心もとないのですが、お待ちいただけたら
幸いです。




