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over again  作者: れもすけ
第一章
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1





 走った。

 とにかくなにかを探して走った。

 国道の標識や町の名前を記した青看板。コンビニの明かり、信号機、いやアスファルトの道路でもいい。せめて一本の電線だけでも見つけたかった。

 ヒロの家を飛び出して、なにかに急き立てられるようにして走った。けれど探し物はなに一つ見つからず、追いかけてきたヒロが馬に乗っているのを見て、ヤヨイの中でなにかが終わった。

 北海道だ。理由などないけれど、ここは北海道だと信じようとしていた。緑の丘と小さな森だけが目の前に広がる風景に、ハリウッドの歴史ものやファンタジー映画の撮影に使われる場所だと。

 でも不自然だ。ヤヨイが目指した崖は確かに住宅地や歓楽街からは離れていたけれど、そこで発見された自分が北海道にいるはずがない。

 右手で馬の口から伸びる革紐を持ち、左手でヤヨイの手を握るヒロは、ゆっくりと歩きながらも沈黙を守った。小さな石を踏んだとき、自分が裸足だったことに気づいた。痛いと思うよりも、動物の糞でも踏んだらショックが大きすぎる、と青ざめる自分がおかしかった。

 ヒロの家は、離れて見ると人形の家のようだった。焦げ茶色の屋根、白い壁、色とりどりの花。その前に数人の男性が立っていて、みんな無言のままヤヨイを出迎えた。不安そうに、でも親しみを込めた笑顔を浮かべて。

 一人がおかしな発音で「おかえり」と言ったとき、ヤヨイの膝から力が抜けた。

 草の上に突っ伏して、大声を上げて泣いた。








 グレイヴはちょっと悩んで、近衛の制服を脱いだ。

 腿まで丈のある上着は紺の地に銀糸の縫い取り、銀のボタン。それを狙っての意匠であるとはいえ、少し気恥ずかしいくらい派手だ。

 それから腰に佩いた飾り気のない剣も、革製の剣帯ごとはずした。大振りの刃物など目にしたことがないだろう、と聞いたから。怖がらせたくなかった。彼の周囲はいい顔をしないだろうが、あの娘から忌避の眼を向けられることを想像するだけで心が冷える。

 万が一にもこんな物騒なものを突きつけるはずなどないのに、無条件の信頼を得るに足る関係でないことが悔しかった。だが仕方ない、当然だ、彼女はまだ自分を知らない。存在を認知されてすらいないのだから。

「…………」

 自分で考えて、軽く泣きそうになった。


 気を取り直して気持ちが明るくなることを、そう、彼女と晴れて対面を果たした瞬間のことを考える。

 場所はヒロの家か。あの小ぢんまりとして、花とレースで飾られた家。彼女はドアから現れた自分を見て、きょとんとした顔をするにちがいない。もしかしたら見知らぬ人間の出現に、全身を警戒で緊張させて涙ぐむかも。

 いや――。

 数日前に届いた手紙の文面を思い返し、憂鬱になる。彼女はいまだに国王への謁見を拒んでいるという。元いた場所ではごく普通の庶民生活をしていたというから、王なぞと得体の知れない人物に目通りすることを恐れているのだろう。だとしたら、自分にもそう簡単に心を開いてくれないことは予測できる。


 まして今日、例の件とともに王からの催促も伝えなくてはならない。娘がいたなら同じくらいか、いや孫であってもおかしくない、と浮かれる親父殿は、そろそろ待ちくたびれてじりじりしている。とばっちりを食う彼はその苛立ちを身をもって知っていた。

 ちっとも気など晴れない。そもそも、彼女に関してはすべてが憶測だ。なにひとつ確実なことなどない。そうだ、なにひとつとして。

 知らず、ため息をついていた。

 不意に、開け放した窓から細く風が入り込む。上着を脱いでシャツ一枚になった彼には、少し肌寒い。下層は人でごった返し、地面からの照り返しもあるためむしろ暑いくらいだというのに、上層を渡る風は実際の季節よりも先をいっているかのようだ。


「グレイヴ? 入るよ」

 こんな真昼間にここで――自分の私室で聞くには珍しい人の声。彼は片眉を上げ、開いたドアの隙間から顔を覗かせた人を見やった。

 淡い金髪は結わずに腰まで流れ、深い湖のような青緑色の瞳が笑っている。

「……なんの用だ、ジェイル」


 手にしていた剣帯から剣を抜き取り、半分ほど刀身をすべらせる。

 左手で仕える人をかばいながらの室内における戦闘を想定した近衛の剣は、幅広だがやや刀身が短く鍔は小さい。右手の人差し指を刃の根元に引っかけるため、幅広の指輪をはめなくてはならない。細かな傷が表面を曇らせているが、刃は鋭く研いである。

 鞘の内側に張った羊の毛皮の状態を確認し、放り込むようにして剣を納めた。


「つれないね。他のだれでもなく君のために動いてあげたのに。ついに業を煮やして姫君を略奪に行くって聞いたからさ、激励に来たんだよ」

 あからさまな揶揄を浮かべた瞳。二番目の兄ジェイルが、白いシャツとズボンの上にまとった、黒い膝丈のベストの裾を払うようにして音もなく歩み寄ってきた。

「可愛い子なんだって?」

 ジェイルが首を傾けると、美しい金の髪がさらりと流れる。彼の濃褐色の髪と異なり、正しく愛される王家の色。美の条件。

 自分の顔の美醜を気にするほど軟弱ではないが、生まれ持った髪だけは気に入らなかった。二人の兄と父、彼らと同じ金髪ならばよかったのにと、幼い頃はよく泣いたものだ。

「可愛いかどうかなど知らん」


 嘘だ。

 青い静謐の中、どこか遠くを見つめる横顔を思い出し、かっと頬が熱くなった。

「わ、若い娘だということは確かだな」

 それを誤魔化すためにわざと愛想なく言い捨てたが、成功したとはいえないだろう。証拠にジェイルはおもしろそうににやにやと笑い、腰を折って下から顔を覗き込んでくる。

「ふぅん? 一目惚れだったんでしょ? あの話、ヒロが承諾しなくて君、ぶち切れたって聞いたよ。仕方ないじゃない、常識で考えればあたりまえだもん。安心しなって、僕がちゃんと責任持って面倒みてあげるからさ」

「なにしに来た!」

 ばん、と鞘ごと剣を机に叩きつけると、ジェイルはひょいと肩をすくめた。


「ジェナが待ってるよ、中庭で。すぐ出るって言ってるのに、君がなかなか来ないって怒ってた。時間つぶしに職場見学を勧めておいたけど」

 すっかり忘れていた。

 落下事象研究所の前の所長の娘は、奔放で豪快な気性だ。確か自分より三つ四つ年上のはずだが、いつでもくるくると動いてせわしない。今日も夜明けに家を出て城へ来ていたらしい。ここにいる父親に会いに来たようだが、自分で馬車を操ってきたというのだから大層な男勝りである。

 だがそれも、あんな辺鄙な場所に暮らす男に惚れた彼女には、どうしても必要なことだったのだろう。

「……いまから行くところだ。おまえも仕事に戻ったらどうだ」

「おぉお、怖い顔。心配しなくても、ちゃんと彼女の席は空けておくよ。でもこれだけ教えて。君さ、本気で彼女を娶りたいってヒロに言ったの? いますぐに? ありえないでしょ? ねぇ?」

「出て行けっ!!」

 腹の底から怒鳴りつつ、自分から部屋を出た。扉の横にかけてあった外套を引っ手繰り、乱暴に頭からかぶって。

 背後から、兄の楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 グレイヴは盛大に舌打ちをした。





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