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over again  作者: れもすけ
第六章
29/48

1

 古代ローマ人は、軍隊が行進するために街道を整備した。何万にも膨れ上がったというそれの主役は重装歩兵。兜に鎧、大きな盾で完全武装した彼らのために、石畳を敷きながらの行軍だったという。ローマを出発して道路整備をしながら目的地を目指すのだ。

 そして「すべての道はローマへ通ず」という、有名な言葉が生まれた。


『っていうことはさぁ、未舗装の道は道って呼んじゃいけないんじゃないの……』

 どう見ても森の縁、雨よけしながら歩けてラッキー、程度の場所に蛇行して伸びる道の先を眺めて嘆息し、ヤヨイは故郷の言葉でつぶやいた。

 雑草の一本も生えぬほど人と馬と馬車に踏み固められ、轍を刻んだ土の道。冬になれば雨も降るというが、秋も入り口のこの季節はまだ空気も乾いて、一歩踏み出すごとに細かな埃を舞い上げた。それが降り積もっているために、硬い革の靴底が滑ってしまって歩きにくい。


 悲壮な覚悟を固めて家を飛び出した最初の日、ランドボルグと主要な街を結ぶ道、商人や旅人が行き交う街道がこれだと聞いて、ヤヨイは目眩を覚えた。しかしよく考えれば、ランドボルグもすべてが石畳だったわけではない。城の周辺と大路だけが舗装され、あとは似たような道だった。

 アスファルトで育ったヤヨイも『落下地点』でいい加減鍛えられたと思っていたが、こんなデコボコの悪路をあと十日も歩くと言われれば、足の裏のマメがことさらに痛む気がした。


 がっくりと肩を落としてうなだれるヤヨイの尻が、不意にぱしっと叩かれる。失礼な手は叩いたついでに、むぎゅっとつかむ動きをしていった。

「ほら、きりきり歩け! 野宿はごめんだと言ったのはおまえだろうが」

 はるか頭上から降る揶揄を含んだ低い声に、ヤヨイは顔を上げてキっと眦を決した。

「ちょっとゲラン! どさくさまぎれにお尻さわらないでって言ってるでしょ!?」

 声を裏返して怒鳴りつけても、ゲランはうっすらと無精髭の浮いた顎をなでながらニヤニヤと笑って取り合わない。

「働かねぇ牛は尻をぶてっつうだろ? 女も同じだ。心配すんな、いいケツしてる」

「してなーい!!」


 くらくらするほど頭に血を上らせて殴りかかるヤヨイの手は、あっさりと大きな手につかまれていなされる。勢い余ってよろけたヤヨイの襟首をつかみ上げ、ゲランは薄いグレーの瞳を楽しげに細めた。

「バカおまえ、いい女の条件はいいケツだぞ? 数多のケツを検分してきたこの俺が言うんだ、自信持て」

「だーかーらーッ! そういうことを言ってるんじゃないってば!! もうどうにかしてよこのセクハラ男!」

 身をよじって無遠慮な手から自分を取り戻し、ヤヨイは涙目になって天を仰いだ。


 ランドボルグの城門をくぐって三日。空は青く、野は緑。ヤヨイの抱えた問題はなにひとつ解決しておらず、それどころか刻一刻と悪化しているにちがいなく――それなのに、心はそれと知らず背負っていた荷を下ろしたように軽かった。

 窮屈な場所を出たというのも理由だろう、だがそればかりではないと、腹を立ててかっかときているいまでさえもわかっている。


 ヤヨイは顔を空に向けたまま、隣で調子はずれの鼻歌なぞ歌いながらのんびりと歩む大男を盗み見た。

 不ぞろいに短くした濃い蜂蜜色の金髪、いつも笑っている銀にも見える淡い灰色の瞳。大ざっぱな作りに見えて目を惹く容貌。多分百九十センチを超える長身、それに見合う逞しく長い手足。着込んだ風合いの生成りのシャツに、茶色のズボンとブーツがよく似合う。肩に引っかけた、大剣が半分も覗くリュックも使い込まれて、彼が旅慣れた人間であることをうかがわせた。


(頼りになる……のは間違いない、んだけど……)

 ヤヨイはゲランの横顔から目をそらし、もう一度空を仰ぐ。

 軽佻浮薄なエロ親父、と評したら、彼は怒るだろうか。いやきっと大爆笑した後、涙をぬぐって大いにうなずくのだろう。そしてその評に恥じぬ不埒な行いに及ぶのだ。

 そんな男に、多少なりとも救われていると感じる自分が、なんだか本当に情けなかった。


「なんだどうした、腹でも減ったか?」

 何十回目とも知れぬため息をこぼす気配を察したゲランは、いかにも気遣っている風に声をかけてくる。だがヤヨイはもう、簡単にほだされたりはしない。

「お昼ご飯食べたばっかりでしょ! すぐそうやって休もうとするんだから」

「人聞きの悪い。日暮れまでに旅籠に辿りつきゃあいいんだろうが」

「とかいって、間に合わなかったらどうするのよ。もう道端で寝るのはイヤだからね!」

 なだめるように頭をつかんでくる手を払いのけ、ヤヨイは昨夜の記憶に身をふるわせた。


 昨日は宿場に着く前に夜になってしまったため、やむなく森に分け入った場所で野宿をした。やわらかな草の上に腰を落ち着け、ゲランの焚いた火を見た瞬間こそ初の野宿に感動はしたが、とんでもない。

 横になった顔の上を虫が這うわ、夜が更けるにつれ身体が芯から冷えてくるわ、獣や鳥が不気味に鳴くわ、結局一睡もできなかったのだ。


 それもみんな、ゲランが悪い。

 街道沿いに町があれば酒場で休憩、水場を見つければ補給で休憩、ご婦人を連れた一行とかちあえば情報収集と称して休憩。

 よく初日と二日目は宿場まで着けたものだと、鼾をかくゲランの横で膝を抱え、ヤヨイはその安らかな寝顔を睨んでぎりぎりと歯噛みした。もう二度と同じ轍は踏むまいと、今日は朝からゲランの尻を蹴飛ばす勢いで進んできたのだ。おかげで寝不足の頭は痛いし視界は黄色いが、昨日に比べればかなり距離を稼げている。


 しかしその分、足の裏にツケが回ってきていることも確かだった。一歩ごとに地面を踏みしめて歩かねばならないから、指のつけ根にできたマメが破れて悲惨なことになっている。だがそれを口実にされてしまうわけにはいかないと、ヤヨイは必死で痛みをこらえてきた。


 背の高いゲランから死角になるようわずかに顔をそらして唇をかんでいると、ゆるゆるとした足取りで行く彼が――歩幅のちがいからヤヨイは結構な早足なのだが――、鼻歌をやめて言った。

「なあ、故郷の歌でも歌えよ。なんか簡単そうなの教えてくれ」

「えぇ? 教えてもいいけど、ちゃんと歌えるのぉ?」

 なにしろヤヨイの知らない曲を口ずさんでさえ、ヘタくそだとわかるのだ。

 胡乱げな顔をしたヤヨイに目を剥き、ゲランはむっと口をへの字に曲げた。


「失礼な。俺が耳元で歌ってやりゃあ、どんな女もイチコロだっつうのに」

「黙らせたくて、そういうフリしてくれたんでしょ」

「ンだと、このやろっ」

 伸びてきた手をかいくぐり、ヤヨイは声を上げて笑った。後ろから首に巻きつく太い腕に絞められ、ばんばん叩いてギブアップを表明する。


「ごめんってば! わかった、簡単なのね!」

「おぉよ。ちゃんと『外』の言葉まんまで教えろよ」

 そのほうがモテるから、とつけ加え、ゲランはヤヨイの首から肩に腕を滑らせた。そのままぐっと抱き寄せられ、ヤヨイも逞しい腰に腕を回してつかまる。軽く持ち上げられるようにして歩くのが楽なことを、初日の日暮れに覚えたからだ。


「うーん、そうだなぁ……ゲランでも歌える簡単な曲ねぇ」

「こら、でもってなんだ、でもって」

 冗談めかした非難を鼻先で受け流し、ヤヨイは数ある童謡の中から「チューリップ」を選んでゆっくりと歌った。どの花見ても(・・・・・・)綺麗だな、とは、まさにゲランのためにある歌詞だと思ったから。


 埃を吸って野のにおいに染まったシャツを頬に感じながら、ヤヨイはいつしか足の痛みを忘れていた。






 それはいまを遡ること、三日前。夜も明けやらぬうちに家を出たヤヨイが向かったのは、城内の東、常設市場だった。


 おばあちゃんのお使いで何度か行ったことがあったし、目立つヤヨイは露天商にも可愛がられ、その日も歩いているだけで両手いっぱいの品を押しつけられるほどだった。

 庶民の台所である市場は、特に商売をするための規制などがあるわけでもない。日の出の開門を待って入城した近隣の農家が、収穫物を地べたに広げて売っていたりもする。ヤヨイの目的は買い物ではなく、そうした中からスウェンバックに至る道に詳しい人を探すことだった。


 あまり派手に聞いて回るわけにもいかず、さりとて顔なじみの店主や露天商はそもそもが皆ランドボルグ出身だ。悪意ある人間に騙されることも怖いし、ヤヨイの計画は初手から頓挫しそうになっていた。

 明らかに城外からやって来たと見てとれ、悪い人ではなさそうだ、という希薄な根拠で幾人かに声をかけたが、目的地が遠すぎて参考にはならない。

 次第に市場が人出で混み合い、次々と渡される品物で視界をふさがれそうになった頃、不意に背後からにゅっと伸びた手が一番上に積まれた果物をさらっていった。


 はっとして振り返ったヤヨイが見たものは、よれよれになった生成りのシャツ。そこから少しずつ目線を上げて、上げ続けて、三十センチほど上に淡いグレーの瞳を見つけた。

 ひどく大柄で、威圧感すら伴う気配を放つ男。肘までまくった袖から覗く腕は、警備隊士のように太く筋張っている。

 だれ、と不審の声を上げる前に、彼はふと人懐こい笑みを浮かべた。

「おまえ、イゼ爺ンちの子だろ? たしか――アヨエ?」

 その間の抜けた響きに、ヤヨイは状況を忘れてガクっとなった。

「や、ヤヨイ、です。あの、おじいちゃんを……」

 知ってるんですか、と言い終える前に、男はぶはっと噴き出して肩を揺らした。


「はっはあ! 歴戦の勇者も、おまえにかかればおじいちゃんか! 知ってるとも、ロマ婆の蜂蜜が、実は果物の煮汁でちっとだけ味付けしてあることなんかもな」

 その言葉に、ヤヨイはぱっと顔を輝かせた。それは確かにおばあちゃんの蜂蜜だ、ほんのわずかにジャムを入れて風味をつけたオリジナル。

「あれ、大好き! なんだそっか、おばあちゃんも知ってるんだぁ」

 ヤヨイは肩の力を抜き、あらためて男に向き直った。


 目も口も大きく、子どもっぽい全開の笑顔を見せる彼は、多分二十代半ばくらい。ジェイルよりは年上で、ロアードよりは年下だろう。一見して和やかで朗らかな雰囲気のせいか、初対面で感じる外国人への違和感もない。

 イゼおじいちゃんたちと知り合いだというが、どういう関係なのだろう。もしかして見つけたら連れ戻せと、頼まれているのだろうか。いや、それにはまだ時間が……。


 じっと見つめていた男らしい眉がおもしろそうに跳ね上がるのを見て、ヤヨイはやっと自分が人の顔を凝視していたことに気づいた。

「あ、ご、ごめんなさ――」

「ところで、話が聞こえたんだけどよ、スウェンバックに行くつもりか? 一人で?」

 謝罪を遮る低い声は、かわらず明るく楽しげだ。咎められなかったことに安堵した気持ちを隠して、ヤヨイは探るように上目で彼を見ながらうなずいた。


「う、うん……。アサヌマさんに、会いたくて」

 深く事情を聞かれたくはない。警戒しつつうかがうと、彼はあっさりうなずいた。

「なるほどな。おまえなら事前に通達しなくたってそりゃあ、会ってもらえるだろうさ。……そうか、スウェンバックに……」


 急に声を落とした彼は考えるようにがっしりとした顎をなで、しばし泳がせた視線をぴたりとヤヨイの目に合わせてきた。

「なあ、それ俺も一緒に行っていいか」

「は?」

「いや、アサヌマっていったら、おいそれと会える人じゃないだろうよ。ご本人は気さくな爺様だって聞くが、なにしろひと所に落ち着いてない。姿を見かけても警護の壁は厚いし、とにかく忙しいらしいし、声をかける隙すらないっつうだろ。便乗させてくれよ」

 

(そ、そうなんだ……)

 そこに行きさえすればいいと頭から信じていたヤヨイは、思わぬ言葉に絶句する。すごい人だとは思っていたが、それほどの要人扱いを受けているとは。

 気後れで早くもぐらつく決心と、置手紙までしていまさら家に帰れないという意地とが胸中で葛藤する。

 黙り込んで迷うヤヨイに、男は思考を奪うように畳み掛けてきた。


「スウェンバックなら何度も行ったことがあるから案内できるぜ。街道沿いの宿場には常宿もあるから、一見でぼったくられることもない。つうかまず、小娘一人であんなところまで行けるわけがない。そこそこ旅支度はできてるみたいだが、おまえが最初にやることは腕のいい護衛を雇うことだ」

 そして立てた親指で示すものは、背負ったリュックから突き出る幅広で長い剣。おじいちゃんが引退するまで愛用していたという剣が居間の壁にかけてあるが、幅も長さも比ではない。


「雇うって……いくらですか?」

 ことの成り行きに頭がついていかず、ヤヨイは頓珍漢な質問をしていた。だがしてしまえば、かえって腹が据わった。

 やはり、いまさら戻ることはできない。なにがなんでもアサヌマに会うと決めたし、そうしなければ前にも後ろにも進めないと、こうしているいまも強く感じているからだ。


「うーん、一応は相場もあるがなぁ……」

 急に顔つきをあらためたヤヨイに、男は心持ち気圧された風だった。ふむ、とうなり、それから剣を指した指でさらに背後を指し示す。

「なぁんか事情もありそうだし、とりあえずツケといてやるよ。帰りの分も合わせてな。世にも珍しい『外』から来た娘だ、請求先ははっきりしてる」

 思わず伸び上がって男の背後を見やり、ヤヨイは息を飲んだ。灰色の城の壁が勢いを増し続ける朝日を受け、鈍いオレンジ色に光っている。

 その頂上付近にいるはずの王様の顔を不意に思い出し、怖くなった。


 ――ちがう、逃げるんじゃない。


 真っ先に浮かんだ思いがそれだった。

 そうだ、逃げるんじゃない。前向きになるために、とにかくひとつでも自分で決めて歩きたいのだ。

 

 ヤヨイは頭を振って、心にまとわりつくすべてを振るい落とした。返事を待つ男に向き直り、正面から挑むように睨み上げる。

 彼が事情をわかってるなら話は早い、きっと無体な真似をされることもないだろう。要は自分がしっかりしていればいいことだ。必要ならば、利用できるものはそうするべきだ。


 厚めの唇をうっすら笑ませ、楽しげに目を細める男にヤヨイは言った。

「ありがとう、助かります。えっと、名まえ……」

 男は、よし、とばかりに大きくうなずいた。

「俺はゲラン。ドランヴァイル出身の、まあ放浪剣士ってところかね」

 耳慣れぬ単語を苦労して変換し、それって職業なのかと訝りつつもぎこちない笑みを返した。


「ヤヨイ、です。アサヌマさんに会えるまで、よろしく」

「まかせろ」

 短いが頼もしい言葉を聞き、強張っていた頬が緩んだ。

 安心した。そして同時に、安心したがっていた自分を思い知る。

 ひとりで見知らぬ土地へ行くのがひどく困難だと、本当はわかっていた。でもどうしても行きたい。だからここで出会ったこの青年が、心からの善人であると信じたがっていた。

 そして多分、彼は悪い人ではない。


 こうしてヤヨイは、人生初の旅仲間を得たのだった。




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