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over again  作者: れもすけ
第三章
18/48

6    

 書記室の入り口近くに立ち尽くし、大きく浮かび上がる単語を声に出す。


「異動――?」


 安っぽい画用紙のように厚く粗末な紙に書きつけられた流麗な文字を見つめたまま、ヤヨイは呆然とつぶやいた。

 うっすらと透ける文字に気づいて裏返せば、馬を三頭追加するので馬房の準備を、という文言が書きかけで終わっていた。よく見たら「三頭」の下に「四頭」と訂正がしてある。

 これは……書き損じ? 屑籠行きの紙をリユースしている?


(王族からの辞令が反故紙で来た、なんというエコ、そして雑用係を命じる文書にぴったりのセレクト!)


 感心している場合ではない。

 ヤヨイは腕組みしている室長を見上げ、自分から馬房側が見える形で辞令を示した。

「もしかして異動って書いてあります? わたしに、ジェイル殿下の雑用係になるように、って?」


 うっかり他人宛の書類を渡したようだ、という言葉が聞きたい。殿下は宛名もお間違えだな、と。だがガルム室長はヤヨイの言葉を首肯した。

「ジェイル殿下はつかみにくい方だが、おまえには便宜を図って下さるだろう。ご苦労だった。書記室から持ち出している筆記具は持っていっていい」

 いやに素っ気ない口調で引導を渡し、金緑色の瞳を隠すように目を伏せる。ちらとも感情の揺らぎをうかがわせない深い声色で、それでもヤヨイを見限り突き離しているとは感じなかった。

 そんなつれない言葉を吐いてさえ、室長の声はカッコいい。


「……わかり、ました。いままで、ありがとうございました」

 頭を下げた視界の端で、ガルム室長が履いた靴のつま先が向きをかえた。なぜか置いていかれたような気がして、ヤヨイもそのまま顔を上げずに書記室を出た。他の書記官がこちらを見ているのがわかるから、余計惨めだ。説明もないなんて。


 初出勤から六日目の朝。まだ実働五日。なぜだろう。

 書庫の前で立ち止まり、ガラスのない窓から外を眺める。木立の向こうにオレンジ色の低い屋根、周囲は無人。ちょっぴり冷たい秋風がひゅっと吹きつけ、ヤヨイの前髪をなでていった。


 自分の道は自分で決めたい、なんてヒロに言ったくせに、現実はこんなものだ。紙切れ一枚で自分の居場所はコロっとかわる。

 だがまぁ、長い人生において十七歳のいま見知らぬ土地で仕事をする、という決定だけは自分でできたのだから、大筋でいうなら間違っていないのかもしれない。そうだ、日曜日の本屋のアルバイトは遅番のシフトで始めたのに、結局早番にされた。店長の娘さんが遅番でバイトしたいって言い出して。雇われるってそういうことなのだ、きっと。

 それに別に書庫で働きたいって言ったわけじゃないし。

 ただちょっと、やりかけた仕事をそのままにするのが、心残りなだけだ。仲間はずれにされたような気がするなんて、思ってない。


(別に悔しくないもん)


 ふーんだ、と心の中でつぶやいて、ヤヨイは鍵のない書庫のドアを開けた。と、室内の見慣れぬ様子に戸惑う。机と椅子の配置がちがうのだ。燭台の場所もかわってる。


 ああ、昨夜移動したんだっけ。使用人が。王子の。三郎。


「――ッ!」

 たちまち鉄砲水のごとく落胆を押し流して脳裏に浮かび上がるのは、蝋燭の灯りに照る髪の手触り、少し冷たい指先、墨を落としたように濃い紺色の――。


 ――人の頭って、けっこう重い。


「ちっ、ちがうちがうちがうッ!!」

 生々しい感触まで思い出しそうになって、ヤヨイは両手で太腿をこすった。膝枕って膝でしないじゃん腿じゃん腿枕じゃん!


「…………」

 頭がぷしゅう、と音を立てて湯気を噴きそうだ。一度思い出したら、せっかくギュウギュウに押し込めて蓋をした記憶の箱が、まるで破裂したクラッカーのように中身をぶちまける。それは瞬く間にヤヨイの世界を埋め尽くし、身体中を心臓にかえてしまった。胸どころか膝の裏や手首まで、甘い疼きで痛かった。

 熱くなった頬を手の甲でおさえ、その拍子に自分の唇が触れた感触がひどくもどかしい。

 こんなんじゃない、こんな、触れたのか触れられたのかわかんない感じじゃなかった。


 ――キスって、掌にするのも、アリなんだ。

 

 そう思ったとき、ヤヨイのささやかな胸が引き絞られて声を上げそうになった。ぎゅっと目を閉じて唇をかみしめても、幅の広い銀の指輪をはめた手が、何度でもヤヨイの手をつかまえにくる。


 だってあんな眼で見られたら、意識せずにいられるはずがないのだ。あんな切なそうな顔で、宝物にするみたいにヤヨイの手に頬ずりして――。


 必死に閉め出そうとしているのに、心には彼が居座っている。認めたくないけれど、多分けっこうどっかりと。そこに生まれた底なし沼の真ん中で、あの紫がかった紺色の目で、まっすぐになにか語りかけてくる。引きずり込まれそうな気持ちに抵抗する力も、失ってしまいそうだった。


 ヤヨイは開け放しになっていたドアを後ろ手に閉め、寄りかかった。そのままズルズルと座り込み、膝を抱えて顔を伏せる。小さな声で、ダメ、ダメ、ダメ、とつぶやき続けた。


 ――ダメ、考えちゃいけない。


 王子は女嫌い克服作戦を実行していて、ちょっとドキドキしたのは、そう仕向けられたからに過ぎなくて。きっとあれくらいオージェルム人には社交辞令で、でなければ王族のマナーで、よくわからないけど女の子と食事をしたらああいう演出でサービスするのだ。初めての経験だったから、雰囲気に呑まれただけだ。こんな目眩を感じるほど動揺するなんて、勘違いも甚だしくて恥ずかしいことなのだ。それで彼を好きになったりしたら安直すぎる。浅はかだし単純だ。大体、好きになったからってどうする。

 彼は王子様で、自分は、立場も微妙な――異邦人なのに。


 どうせ手に入らないのなら、最初から欲しがらない。

 可愛い服もアクセサリーも、靴もゲームも携帯電話も。


 ――だからこの気持ちの名前も、知らないままでいい。


「……王族なんて、正直、めんどくさそうで、お近づきに……なりたく、ないもん……」

 だから、もう、彼とキスしてる自分を想像するのは、これきりなのだ。






 ジェイル王子の部屋は、書記室のある西棟の三階から中央の建物へ渡り、やたらと狭い螺旋階段を上り、暗い廊下を抜け、さらに階段を上った先にあった。

 中央棟はあちこちに、近衛と同じ型で薄い青の制服を着た騎士が歩いている。案内してくれる若い警備隊士が敬礼するとうなずくのに、ヤヨイと目を合わせようとはしない。空気のように扱われている、と気づいたら、猛烈な疎外感でいたたまれなくなった。


 警備隊士が去ってしまうと、無人の廊下は静まり返って不気味だ。他にも部屋はいくつかあるけれど、人がいるようには思えない。


 心細い。


 地面から遠く離れただけで、別の世界に来てしまったような気がした。石壁にくりぬかれた窓も細長くて小さく、遠くに街と城壁と平原が見えるだけ。上層ではこれが、あたりまえの景色なのだろう。


 ヤヨイはため息をつき、筆記用具を抱えなおした。

 親指くらい太い万年筆、紐で紙を束ねたノート。目録の下書きに使っていたから、最初の数ページはへたくそな字で埋まっている。さやさやとしたおしゃべりも笑い声も、ジャキーンという金属音も野太い掛け声も聞こえない静かな空間で、それは命綱のように大切なものに思えた。


 だがいつまでもただ立っているわけにはいかない。ヤヨイは覚悟を決めて、目の前のドアをノックしようと軽く握った拳を振り上げた。

 そのとき。


「ちょっと。そんな処刑台に上がるみたいな悲愴な顔で、僕の部屋に来ないでくれる?」


 急に高く澄んだ声が横から響いて、ヤヨイは突き飛ばされたようによろめいた。あわてて顔を向けると、内側から輝くような淡い金髪の、細身の男性が立っていた。

 白いシャツとズボンに膝丈の黒いベストを併せた服、青緑色の瞳、長い髪。

 謁見の日に「よろしくお願いします」と一言だけ言葉を交わしたきりの、ジェイル王子だった。


(……わあ)


 ヤヨイはぽかんと口を開けた。

 薄暗い石の廊下に、そのマネキンのように整った顔とスタイルは驚くほどミスマッチ。いやむしろベストマッチ? ヤヨイは軽く混乱して、拳を下ろすのも忘れて彼を見つめた。


 ランドボルグに来るまでは、自分はきっと一生独身だろうと思っていた。

 なぜなら『落下地点』で暮らした四ヶ月の間、集落の住人にも研究所の学者たちにも、親しみは覚えてもときめきを感じることはなかったから。やっぱり外国人と恋愛はできない体質なんだと。


 けれどこの城で多くの男性に出会ってわかった。好みの問題だったのだ。

 たとえばガルム室長には、初めて会ったときから異様なほどドキドキと胸が高鳴った。いまや忘れたい人ナンバー1になりつつある王子の顔だって、目が離せなかった。

 限りなく信憑性の低いサンプル数とはいえ、過去の例から推測するに、目の前に立っているこの人はすごく綺麗だけど好みではない。一度見たら忘れないけど、あえて思い出すこともない。いま見入ってしまうのは惹かれるからというよりも、怖いもの見たさに近い感覚ゆえだった。


 つかつかと歩み寄ってきたジェイル王子の顔が、立ち止まったところからさらにぐっと近づけられる。その距離約二十センチ。謁見の日で大体二メートル離れていたから、大幅な記録更新だ。

 近くで見ると、漂白したように白い頬にそばかすがあった。うっすらと、本当にかすかにだけれど、この人も人間なんだとあたりまえのことを実感する。

 なんとなく親近感を感じてそれを凝視していると、整えたように形のいい眉がぎゅっと寄った。


「あのさ、自慢じゃないけど、女の子からそんなふうに見られたことないんだよね。まぁ僕のほうもこれほど間の抜けた顔を見たことはないから、おあいこ?」

 すっと離れた顔が意地悪く笑い、ヤヨイはむっと口を閉じて手を下ろした。そこで自分の立場を思い出し、ついでにジェイル王子の立場も思い出す。


 文官の一番エラい人で、ヤヨイの住宅手当や援助金の額を決めたり支払いの決裁をする人だ。そして今日からは直接仕えるご主人サマだ。

 ――別に、仲良くなりに来たわけではない。


「……おひさしぶりです、お世話になります、よろしくお願いします」

 筆記用具を胸に抱きしめ、深々と頭を下げる。あの気さくで豪快な王様と本当に血が繋がっているか疑わしい、と失礼なことを考えながら顔を上げると、ジェイル王子は値踏みするような目でヤヨイを見ていた。


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