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over again  作者: れもすけ
第三章
15/48

3



 銀の四角いお盆に敷かれた白い紙。

 その上に散らばった、茶色くてつややかで、小さな塊。

 ヤヨイは本の山の横に置かれたそれを、じっと凝視した。

「……なんですか?」

「おまえたちが言うところのチョコレートだ」

 突然現れてお盆を机に置いた人は、心持ちのけぞりながらそうのたまった。まさかガルム室長に死刑宣告を受けた直後に来やがるとは。

 おはよう、でもなければ差し入れだよ、でもない。無言で肩を叩き、書庫に引きずり込まれ。四日前のあれきりだったのに、それに触れるわけでもない。


「いえ、それは見ればなんとなく……。なぜですか?」

 振り上げた眼差しに若干の非難を込めて見つめると、紺色の瞳と目が合った。三郎王子はたじろいだように口をすぼめ、そっぽを向いた。


 ぱた、と風に揺れたカーテンが鳴った。


(……なんなのよ)

 ヤヨイが城に着いて三十分とたっていない。時計がないから正確にはわからないが、とにかく昼食にも、ましておやつの時間にもまだ遠い。ガテン系のように十時のお茶をする習慣などないはずだから、するとこれはどんな大義名分を背負ったスイーツになるのだろう。

 王子は立ったまま横目でヤヨイを見つめているが、熱心に味見を勧める素振りもない。

 本当に、どうしたらいいのだろう。わたしにどうしろというのか。

 ヤヨイは肩を落としてため息をついた。


 お客様にはお茶を出す、というのはこちらにも共通の習慣だ。

 だがこの部屋にお茶の用意などないし、さりとてお弁当と一緒に持ってきた水筒を差し出すわけにもいかない。そもそも彼が長居をするのか、謎の差し入れを置いてすぐ帰るのかもわからない。

 憂鬱の元である人物を上目に睨むと、彼は目が合うなりさっと踵を返した。出て行くのかと思えば、わざわざ机を回り込んでヤヨイの隣に腰を下ろしてしまった。


 机に向かっているヤヨイの脚に、窮屈そうに折り曲げた膝があたる。

 余裕をもって椅子を並べたって十人は座れそうな机である。なぜこんなにも距離を詰められているのか。王子の意図がわからず、ヤヨイは椅子の座面を持って腰を浮かせ、十センチほど横に移動した。


「……食べないのか」

 地を這うように恐怖の声音に、ヤヨイはびくっと肩を揺らした。

 隣を見やると、据わった目をした王子がヤヨイを睨んでいる。それが仮にも国王の庇護下にある人間を見る目か、と指をつきつけたい衝動をこらえ、こくりとつばを飲む。

 しばしの沈黙をはさんで、王子はくいっと顎先でチョコレートの並んだ盆を示した。


 食べろ、と。


「あの、断る権利というか……好きか嫌いかを表明する権利は――ないですね、はいすいません」

 おそるおそるうかがった王子の眉尻が鋭角に上がった。

 口金から搾り出した生クリームのような形。焼く前のクッキーにも似ている。ぱっと見で十五個はありそうだ。

 王子は無言。これ以上一言でも口を利けば容赦しない、という空気が漂っている気がして、ヤヨイは胃が痛くなった。


 ルーヴェンにも言ったとおり、甘いものはあまり得意ではないのだ。ジュースやお菓子というものは文字通りの贅沢品、嗜好品なので、口に入らないことのほうが多かった。あればつまむこともあるが、積極的に求めようとも思わない。

 もしいますぐに、この場でそのチョコレートをすべて食べろと言うのであれば、それはヤヨイにとって嫌がらせの域を超えている。


 ロマおばあちゃんに会って最初に聞かれたことも、食べ物の好き嫌いはあるかということだった。選べるほど豊かな食生活を送っていなかったので、そのときもやはり特にないと答えた。しかしその日の夕食で後悔したのだ。巨大パンケーキの山盛りジャム添えを饗されて。もちろん頑張って食べたけれど、涙目だったことはバレていた。

 だからおばあちゃんはお菓子作りが上手だけれど、無理にゴージャスなものを食べさせようとはしない。せいぜい門番に差し入れするのと同じクッキーを数枚、お茶に添えるくらいだ。


 もっとも、オージェルムでチョコレートといえば高価なお菓子。原材料の入手を南方からの輸入に頼らざるをえないからだろう。ゆえに幸いにも、うんざりするほど食べさせられるということはなかったのだが……それも今日までのことか。


 胃が痛い。そして重い。


 と、泣きそうな思いで見つめていた盆が、ずずいと机をすべってヤヨイの正面にやってきた。縁にかかる幅広の指輪をはめた長い指。その先を目でたどることは、怖ろしくてできなかった。

 ヤヨイは静かに、ふるえる手を持ち上げた。得意ではない、少し苦手なだけだったはずの甘味の塊が、この瞬間から恐怖の対象に二階級特進だ。


 優に五百円玉を超える直径のそれをつまみ、思い切って口元へ運ぶ。チョコレート特有の香りが鼻を刺激し、バレンタインシーズンのスーパーを思い起こさせた。

「い……いただき、ます」

 中世ヨーロッパ、女性が主人から死を賜るときにはたびたび毒が用いられたという。ワインやジュースに溶けたそれをあおるとき、彼女たちはきっとこんな気持ちになっただろう。


 悲壮な覚悟を決め、ヤヨイはチョコレートを口に放り込んだ。即座に融けて舌にまとわりつく食感は、やや脂肪分が多いようでどろりとしつこく、飲み下すのがためらわれた。久しぶりに食べたせいか、記憶の味よりさらに七割り増しくらいで甘い気がする。

 持参した水筒の場所を頭の中で確認しながら、ヤヨイは王子を恨みがましい目で見た。一体王族というだけで、こんな横暴が許されるものなのか!


 ――許されるのだろう。


 鼻から抜ける甘い匂いを感じないよう、呼吸をとめて唾液と一緒に咽喉の奥へ流し込んだ。

 無理。もう無理。なんといわれても無理。

「ご、ごちそうさまでしたっ」

 もう一個、と強要される前に。ヤヨイは振り返りざま机の上にあった王子の肘をつかみ、もうやめてと精一杯目で訴えた。にじんだ涙で視界がぼやける。

 王子の目元がうっすら赤い。

「あ、ああ」

 せわしなく瞬きしながら、泳ぐ視線。やがてヤヨイの上でとまったそれが、まっすぐに目を見つめてくる。


 先ほどまでの威圧的な態度はどうしたことか、ひどく頼りない表情だ。ヤヨイはチョコレートが融けながら体内を滑り落ちていく感覚を味わいながら、呆気にとられて見つめ返した。


 ぱたぱた、とカーテンがかすかに鳴る。


 遠くでドアが閉まる音。遠ざかるだれかの足音。

 引き合うようにからまる視線。

(――なんだこれ)

 王子の緊張につられるように、ヤヨイの心拍数も上がっていった。どのタイミングで目をそらせばいいのか、皆目見当もつかない。


 長い睫毛が、ゆっくりと上下する。風を起こしそうなそれを観察しながら、ヤヨイはふと、彼は女嫌いではなく女性と接する機会がなかったせいで免疫がないのでは、などと考え始めていた。


 毎日食堂で一緒に昼食をとるルーヴェンは、三郎王子について様々な情報を与えてくれる。

いわく、乳母や侍女の手に負えないほどヤンチャだったために、国王の近衛騎士隊に預けられ、むくつけき男たちに育てられた。十三歳で従騎士になるころには立派な女嫌いで、香水のにおいをさせたり高い声でしゃべる女性がいると斬り殺したくなるらしい。などなど。

 

 香水や高い声が我慢ならん、というのは周囲の仲間に対するポーズであり、どう扱ってよいかわからない女性に対する強がりだったのではなかろうか。王家の男性はみな金髪で、それがモテる男の基準でもあるとルーヴェンは言っていたから、コンプレックスもあったのかもしれない。

 そう考えれば合点がいく。


 おしゃれにうといヤヨイは化粧品や香水など使わないし、一人でいることが常態化していたからおしゃべりも得意ではない。彼の髪など、たとえ七色のアフロでも気にしない。

 ヤヨイのことを少し女っぽい少年、と思って接すれば、なんとかならないレベルではないと判断したのかもしれない。


(だけどそれすっごい迷惑――いやいや荷が重い)

 ヤヨイで苦手を克服しようというのはいい。新しい一歩を踏み出すことにはひどく勇気が必要だし、精神力も要求される。

 ただ、その作戦を実行に移す前に是非、ヤヨイの意向を打診してみてほしかった。


「あの……」

 小さく声を上げると、王子の目に生気が戻った。

 ヤヨイの手から肘を引き抜き、横を向いてなにかつぶやいている。ヤヨイも背筋を伸ばして椅子に座りなおして、挙動不審な王子から机に向き直った。と、目の前の盆にぎょっとし、いまのうちに王子の死角まで押し戻しておく。


 やがて自分を取り戻したのか、ひとつ息をついて髪をかき上げた王子が突然話し始めた。

「……夕食を用意させるから、終業後、ここで待っていろ」

 言って立ち上がった王子の声に、険しいものはなかった。しかし再び不愉快にさせてしまうとしても、その命令は聞き入れることができない。


「あの、無理です!」

 立ち去りかけた背中に叫ぶと、振り返った王子は案の定不快げに眉を寄せていた。

「なんだと?」

 低められた声。だがヤヨイは決然と言い放った。


「今夜はおばあちゃんと一緒にお夕飯を作るって約束してるんです。だから、無理です」

 王子は幽霊でも見たような顔をした。

別の視点から見たお話を、別枠でご用意しました。

だれもかれもウダウダと悩んで考え込んでいる話ですが、

本編を補うようになっています。


「along the way to her」というタイトルですので、

お暇なときにでもぜひ・・・。

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