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over again  作者: れもすけ
第二章
11/48

3




 カラーン、カラーン、と高く軽い音が響き渡る。

 書庫の真下にどっしりと生えた木の間にロープを張り、苦心してカーテンを干し終えたヤヨイは、その音の出所を探してキョロキョロとあたりを見回した。

鐘だろうか、だが目に入る限りの建物からではなさそうだ。


 とくに行動範囲を制限されたわけではないが、敷地の中を勝手にうろつくのはためらわれる。ヤヨイは少しウロウロして、すぐにあきらめた。

 控えめな性格ゆえではない、時折通りがかる警備兵や女官らしき人たちがこちらに気づくと、遠慮のない視線を送ってくるからだ。

 敵意はないが、友好的でもない。しいていうなら、芸能人を見つけた女子高生のような……近寄らず遠巻きに、だが興味津々といった目つき。


 広げて干したカーテンの陰にしゃがんで、ふっと息をつく。

 この大物をやっつける作業に、かなりの時間を費やした。突っ張り棒のようなものに通された輪を一つ一つはずし、埃を舞い上げないよう注意してたたんで、という行程を四度。書記室で教えてもらった水場へ運び、端から丁寧に踏み洗いをして。

 書庫のある二階のつきあたりには小さめだがドアがあり、そこから外へと階段で下りられる。それがなかったら、カーテンを干すのはおそらくカーテンレールの仕事になっていただろう。紙の束を集積した室内では、それは回避したい事態だ。


 地面に盛り上がった木の根に腰を下ろして、脚を伸ばす。スカートの裾を膝の上までたくし上げて日向の暖かな光にあてると、水仕事でかじかんだつま先までじわりと熱が通うのがわかった。初秋とはいえ、さすがに四畳半はありそうなカーテンを四枚も洗えば、身体の先が冷える。


(あったかい……眠くなっちゃう)

 どっしりとヤヨイを受け止めてくれる太い幹にもたれ、目を閉じる。秋の風も太陽の温かさでぬるみ、ふわりと頬をなでていく。


 ――グレイヴ王子の指先のように。


「っぎゃあああぁぁぁっ!!」

 がばっと起き上がって奇声を発する。遠くで草刈鎌を持ったおじさんが振り返った。

「ダメだダメだダメだ! 思い出したらダメだっ!!」

 頭を抱えてダメダダメダと繰り返す。おじさんはこの世の終わりみたいな顔で小さくふるふると首を振った。


(平常心、へーじょーしん! へーじょーしんへーじょーしん……っ)

 あんまりしつこく繰り返したものだから、ヤヨイの中で「平常心」がゲシュタルト崩壊だ。

 いけない、こんなことではこの先不安だ。自分を立て直さなくては!

 ヤヨイは鼻で深呼吸をし、意識を人間からそらすために食べ物を思い浮かべた。


(そうだ、お弁当! 中身なにかな!? ……水筒は甘いハーブティだって言ってたな)

 驚くほど落ち着いた。食いしん坊万歳!

 あらためて幹に寄りかかって目を閉じ、下宿先のおばあちゃんが持たせてくれたバスケットを思い浮かべる。


 あわただしく越してきたヤヨイを笑顔で迎え、引越しの翌日には初出勤というせわしなさにも関わらず、朝からちゃんとしたご飯を作って食べさせてくれた。昨日の夕食も、ほっぺが落ちるかと思うおいしさで。

 年齢的な理由でか、ジェナの料理よりも薄味だった。それがまたヤヨイの味覚にばっちりだから泣けてくる。出勤前にも、調理用ストーブには煮込みの鍋がかかっていた。ほんのり塩味の野菜スープか、はたまた胡椒を利かせたソーセージとジャガイモか……くつくつと、そうこんなふうに煮込まれる鍋の音が聞こえ――。


 いやちがう、笑い声だ。


「――っ」

 ぱちっと目を開け、いつの間にかすぐそこに立っていた人影に驚いて声を失う。

 だが逆光になった影の中に見知った顔を見つけ、ヤヨイはほっと息を吐き出した。

「なんだ、ルーヴェンかぁ! 声かけてよ!」

 安堵と気恥ずかしさで乱暴な物言いになってしまう。それほど親しくはないのに。

 だがルーヴェンは気にした風もなく、むしろヤヨイがくだけた態度をとったことをよい方向に受け取ったようだった。

「ごめん。眠ってるのかな、と思ったんだ。あんまり幸せそうな顔してるから、つい」

 彼の言葉も、堅苦しい敬語でなくなっている。互いが歩み寄ったことに気づき、ヤヨイは微笑んだ。


 警備兵に案内されて所属する書記室へ通された後、書庫に向かうまでの面倒を見てくれたのがルーヴェンだった。

 サラサラとした紅茶色の赤毛と若葉色の瞳、腰丈の臙脂色のベストを着たひょろりとした身体。ヤヨイと同い年だ。眉を上げて笑うのが癖のようで、その笑顔は悪くない。どっかの王子とちがって唖然とするほどの美形でもなく、さりとて不細工でもない。少し吊り目気味なところがチャームポイントという程度だ。


「ヤヨイ、昼食は? 休憩時間を昼寝して過ごすの?」

 もちろんご飯を食べる。

 差し出された手をとって立ち上がり、スカートの汚れを払った。

「休憩時間になってたの? さっきの鐘が合図かな」

 隣に並んだルーヴェンを見やる。どっかの王子とちがって顔を見るのに首を痛める不安はなく、身長は『外』の平均的な男子高校生程度だ。

「そそ。王宮内で日に三度鳴るんだ。始業と終業、それから昼休憩の合図」

 内庭のはずれに鐘楼が建ってるよ、とルーヴェンはそちらに顔を向ける。建物に阻まれて見えないが、まだヤヨイが足を踏み入れたことのない方角だ。

 まるで学校だな、とヤヨイは思った。


 周辺諸国に比べ、オージェルムは時間の感覚がきっちりしている、と『落下地点』にいた頃、学者に教わった。二十年ほど前に腕時計をして落ちてきた人がいて、それを分解して解析したらしい。

 だがセイコーのまさしく精巧なアナログ時計を再現できるはずもなく、『外』の知識とこちらの頭脳を結集して、こちらに合った時計を作り上げた。

 文字盤のはまった四角い箱から、錘のついた二本の鎖が垂れ下がり、交互に上下して一秒を刻む。要するに少し昔の壁時計のようなものだ。ただ、一日の長さが正確に二十四時間ではないようで、その調整には現地の暦法を応用して云々という説明があったのだが、そこは忘れた。

 それにしても依然時計は高価で特別な器具である。

 王宮にも大小あわせて三つしかないとルーヴェンは言った。一般庶民に普及させる必要性も、特になさそうだとヤヨイも思う。電気もガスも蒸気機関もないこの国で、だれもかれもが時間に追われて暮らす必要はない。あえて様々な文明の利器を広めない王様と研究所の意図が、ヤヨイはなんとなく理解できた。


 だからせいぜい、遅刻防止のために始業の、サービス残業防止のために終業の、そして昼飯食いはぐれ防止のために昼休憩の鐘を鳴らせばそれでいいのだ。

 と思ったのだが、終業の鐘には別の意味があるそうだ。

「王宮警備隊や近衛騎士が、夜の配置につくための合図だよ。ところで、さーびすざんぎょうってなに?」

 若葉色の瞳をキラキラさせるルーヴェンは、隠れ『外』信者だった。




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