第4話 やりがいないねー
爽やかな風が草木を揺らした。
夜であれば恋人たちの場所になる街の小さな公園も、昼間は子供たちのものだ。
それから、行き場のない大人たちの、という場合もある。
せめて夜でなくてよかった、と思うものかどうか、そのベンチにはふたりの男――の形をしたもの――が並んで腰かけていた。
ひとりはいくらか東洋風の顔立ち、黒髪と少し色づいた肌を持つ、三十前ほどの青年だ。もうひとりは金色がかったブラウンのやわらかい髪に、白い肌をしている。二十代の前半で、西洋系と言えた。
この時代、人種はかなり混じり合っていて、あまり細かい区別――差別も――はされない。「人類」であるという大分類を前にすれば、肌の色の違いなどささいなものだ。
生憎なことに「差別のない社会」ではなく、まだ彼らが地球だけにしがみついていた昔から存在する「他者を貶めることで自身を優位に」という欲望は消え去っていなかった。
差別の対象は言うなれば多種多様化していて、職業で侮辱される者もいれば趣味嗜好のためにそうされる者もいるし、血筋や肌の色という旧態依然の価値観も皆無ではなかった。社会全体の差別は減ったが、個人の感情や感性としては相変わらずという訳だ。
ともあれ、一見したところ、その青年ふたりは仲がよくなさそうだった。互いをちらりとも見ないまま、ときどきため息などついている。たまたま隣り合わせたと言うには距離が近く、知人同士であることはうかがえたが、ちょっとした休憩に公園のベンチを共有する仲ではないように見えた。
「――まだか」
「時間くらい、自分で確認したら?」
「お前に訊いた訳じゃない。独り言だ」
「へえ。そう。ふうん、すみませんねえ」
苛ついた様子の東洋系アカシの苛立ちをあおりかねない口調で、年下と見える西洋系ライオットは言った。アカシはじろりと「弟」を睨んだが、何も言わなかった。
そう、外見的に似通ったところのないこのふたりは「兄弟」である。否、この「二体」と言うのが正しい。
〈クレイフィザ〉の主力技術者ふたり、いや二体もまた、手首に個体識別番号がなく指先に爪のあるリンツェロイド、ギャラガーに言わせれば「リンツロイド」である。
「あと十五分、てとこだね」
「訊いてないと言ったろ」
「俺だってアカシに言った訳じゃないよ。独り言」
「ふん」
アカシは組んだ脚に肘をつき、手にあごを載せた。
「何が散歩だ。おかしいんじゃないか、あの人」
「何でそんなに苛ついてんの、アカシちゃん。あ、もしかして」
ぽん、とライオットは手を叩いた。
「低気圧不調?」
尋ねたライオットの頭をアカシは問答無用ではたいた。
「いったい! 何すんのさ!」
「阿呆なことを言うからだ」
ふん、とアカシは鼻を鳴らして「痛い」はずがあるかと言った。衝撃を表す言葉としてそう言って何が悪いんだよとライオットは返した。
「だいたい、何でアカシがここにいるの」
「どういう意味だよ」
「だってここ、俺のお気に入りなのに」
唇を尖らせてライオットは言った。
「なあにが『お気に入り』だ、気持ち悪ぃ」
けっとアカシは嫌そうな顔をした。
「気持ち悪いって何さ! てかこっちの台詞ってやつ? 人のあと、ついてきて」
「誰がお前のあとなんざ尾けるか! 近場の公園がここだってだけだろ。過剰な自意識をどうにかしろ変態」
「ちょっと。何で『変態』なのさ?」
「気持ち悪いからだ」
「答えになってない。理論的じゃないね。頭おかしいの?」
「何だとこの野郎」
「何さ。やるの?」
彼らは剣呑に睨み合った。そのあとで、力を抜く。
「くだらん。やめ、やめ」
「トールちゃんが絡んでくれないとやりがいないねー」
こうした不毛な言い争いになったとき、「弟たち」を諫めるのが「長兄」トールである。アカシとライオットは何もトールにかまってもらいたくて口喧嘩をするのではなく、どうしてかマスターの設計は彼らの相性を悪くしたのだが、普段は「トールがとめるまで」言い合うのが不文律みたいなものだ。トールなしでは、これは成立しない。
「てかさー、トールも冷たいよね。外に慣れてんのはトールなんだから、どっか案内でもしてくれたらいいのに」
「『散歩』ってのは、そういうもんじゃないだろ」
「そりゃマスターは『散歩』って言ったけど。一時間、余所に行ってりゃいい訳でしょ。せっかくの……」
ライオットは言葉を切った。アカシは片眉を上げる。
「何だよ。変なところでとめるなよ」
「うん、この言葉でいいのかなってちょっと考えた」
彼は言った。
「せっかくの休日なんだから」
ライオットはそう続け、アカシはぷっと吹き出した。
「休日」
「そのようなもんじゃない? 一時間だけでも」
「マスターが、俺たちをねぎらって、たまにはゆっくりしてきなさいと言ってくれたと思うのか?」
「思わないよ、そんなこと。だいたい、一時間で何がどれくらいゆっくりできるって?」
「知るかよ」
アカシはすげなく言った。
「買い物くらいなら、できるかなって思ったんだけど」
両腕を組んで、ライオットは呟く。
「マスターってばさ、女の子にばっかり可愛い服用意して、俺ら白衣じゃん?」
「誰に見せる訳でもないんだから、いいだろ」
「アカシが見るじゃない」
「俺が見たからどうなんだ」
「トールだってマスターだって見るよ。ノーラもアンジェリアもエミーも見るじゃないか」
「身内ばっかだろうが」
呆れたように、アカシ。
「だからって着の身着のままってどうよ? そりゃ臭くはならないし、汚れたらきれいにするくらいでこと足りるけど、そういう問題でもないでしょ」
「じゃあどういう問題だ」
「たまにはお洒落したってばちは当たらないかなって。ほら、アカシだって、ばしっとスーツでも着込んでごらん。案外、もてるかも」
「仮にもてたとして、それでどうするんだ?」
「……どうにもならないね」
ライオットは肩をすくめた。
「それに、ちょっと待て」
アカシは顔を上げた。
「ん?」
「『案外』ってのは何だ」
「何が?」
「俺がもてないと言わんばかりじゃないか」
「もてると思ってるの?」
「お前よりはな」
「うわ、どっからそんな自信が。俺の方が格好いいに決まってんじゃん」
「寝言は寝て言え」
「生憎と、寝る真似はともかく、寝言を言う機能はないね」
「つけてやろうか?」
アカシは端末を操作するような手つきをした。
「やめろよな。そんな、俺以外のみんなが面白がるだけの機能」
しかめ面でライオットは手を振った。
「……まあ、そんなことは」
「本当は、どうでもいいわな」
彼らはぼそりと呟いた。