二廻目 散策
虹色は好きです。
薄曇りの空。太陽の光が雲間から射し込む。植えられた木はまだ裸であり、茶色の枝が天を差している。
「……っさむ!」
「寒いですねぇ」
「はい」
流杜とヒフカがコートの襟を正す。対してヘルタは腕を体の前で交差させ、両腕を手のひらで擦って背を丸めている。そりゃそうだろう、この寒さの中、ヘルタはスーツのみで防寒具の類は一切身につけていない。カタカタと震えるヘルタを見かねてヒフカがコートを脱ごうとするのを流杜が手で制す。
「それではヒフカさんが寒いのでは? どうせ、着るものがなくて温伏頼さんが適当にスーツを選んだんでしょう。折角ですし、町を散策する前に防寒着を買いに行きましょう。まだまだこの時期は寒いので」
「た、助かるのだ……」
流杜が鞄からストールを取り出し、ヘルタの首に巻いた。
「一先ず、僕ので良ければどうぞ」
「ありがとなのだ……!」
「じゃあ行きましょうか」
少し申し訳無さそうにするヒフカに笑みを向け、流杜が先導するように歩き出す。その後ろをヘルタが歩き、挟むようにしてその後ろをヒフカが歩く。
濡れ葉玉草町支部の周辺は、建物から少し離れればそれを囲むように林になっており、あまり見通しが良くない。その林を抜けても、人通りも少なければ目立った建物や家屋もない。田んぼと山と空き地が広がる僻地に、この建物は建っている。
まだ残雪のある凍った地面を踏みしめ、林の外に出ると、ふとヘルタが口を開いた。
「なぁ、あの小さいやつは何なのだ?」
「?」
流杜が振り返ると、ヘルタが指を差したすぐ近くに、子供の背丈ほどの小さな祠があった。丁度、林と道路の境にぽつんと建っている。その祠は、古いといえば古いが、塵や残雪さえ被って無いことから丁寧に手入れをされているのが分かる。祠の前には花が添えられていたり、湯呑が置かれていたり。
「あぁ……何なんでしょうね」
「な?」
「林の中にも、同じようなのが何個かあるんですよ、あの祠。でも何でそこにあるのか不明ですし、他の職員さんに聞いても、『あれは門だ』としか教えてくれないんですよね」
多分、誰も知らないんじゃないでしょうか。そう呟く流杜は、どうやら嘘を吐いている様子はなく、本当に分からないらしい。薄暗く、得体の知れないそれを、ヒフカも目を細めて見ているだけで何も言わない。
「……さ、行きましょうか。町の方まで暫く歩きます。頑張ってください」
「あ、歩くのか……」
「流杜さん、車をお持ちではありませんでしたか」
「大破しました」
パリパリとした氷の地面も無くなった頃、ぽつぽつと家々が見えてくる。人の賑わいが濃くなった頃、漸く商店街が見えてきた。
「さ、寒……寒い……っ」
ストール一枚しか防寒具を身に着けていないヘルタは限界のようで、手のひらも頬も耳も真っ赤になっていた。それをちらりと見た後、何事もなかったかのように流杜はすーっと店へと入っていく。慌ててヘルタが後ろに着いていくと、ふわっと温かな風がヘルタの頬を撫でた。
「あ、あったかい……?」
目を瞬かせる。
「それに不思議な匂いがするのだ」
くん、と鼻を鳴らす。ヘルタの目に映るのは沢山の服。
「来たことないんですか?」
「ないのだ。……いや、多分……?」
「そうですか」
うーん? と首を傾げるヘルタを横目に、流杜はヒフカへと声をかける。
「ヒフカさん、僕は女性の服はよく分かりませんので、ヒフカさんが一緒に選んであげてください」
「何故ですか」
「無難なのでいいと思いますよ」
「無難が分かりません」
「いつもヒフカさんが着ているような服で大丈夫ですよ」
「私と彼女とでは違います」
丸投げされることが不服なのか、中々『はい』と言わない。流杜も流杜で、少しでもサボりたいのか全く折れてくれる様子もない。
「あ、お二人共! 大丈夫ですぞ! あたしだって自分の服くらい一人で選べます故……!」
そんな二人を見兼ねて、ヘルタがどんと張った胸に手を当て、掛けてあった服を一着手に取ると、二人の前にどんと見せる。
「こ、こういう感じの服でいいのだな!」
ヘルタが手に取ったそれは、確かにもこもこでふわふわしており暖かそうだったが、襟から裾、袖の先までキツい虹色をしており、服の真ん中には行書体で『アスパラガス』とプリントしてある。服全体に散りばめられた動物は何故か首と脚が細長い。ぐにゃぐにゃと曲がった不規則な虹色の中に真っ黒な文字が堂々と描かれているその服は、風邪を拗らせた時に見る悪夢のようであった。
「……ヒフカさんの思う無難でいいと思います」
「そうですか」
「はい」
「なぁっ!?」
服を持ったまま、ヘルタが固まる。呆れとも取れる流杜の目に、みるみるうちに顔が赤く染まっていく。
「暖かそうなのに……」
「はぁ……まぁ……良いですけど……」
ヘルタの肩に手を置き、改めて服を選び始める。しかし、もうほとんど冬服は置いていない。何とか売れ残りの中からサイズの合うものを選び、お会計をする。その後、お店のご厚意でその場で着替えさせてもらった。
「あったかいのだぁ〜……!」
店の外に出、少しぶかふかのコートの袖を握り、嬉しそうに頬に擦り寄せる。コートやマフラーも残っていたのは運が良かった。流杜が自分の財布の中身をじっと眺め、一つ息を吐くと、それを鞄に仕舞って紙袋を手に二人の方を見た。
「着心地は如何ですか?」
「と〜ってもいいのだ! 本当に、ありがとなのだ!」
にへへ、と嬉しそうに頬を緩めるヘルタ。可愛らしいその笑顔を見、満足そうだし、まぁいいかと目を逸らす。
「次は……はて、どこに行きましょうか」
「ヘルタさんは行きたい場所はありますか」
「へ? あー……うーん?」
ヒフカにそう話を振られ、ヘルタが腕を組んで周囲を見渡す。目に入るもの全てが見知らぬもので、どこに何があって、何をする場所なのか、まだ理解できていない様子だった。
「あ。あれは何だ?」
ふと、ヘルタが山の方を指差した。他二人が目を凝らす。
「……どれですか」
「あれだ、あの、山の真ん中あたりの……」
「……」
二人は中々見つけられないらしく、何度もヘルタの指先と山の真ん中あたりを交互に見る。何度も指を差すが、その二人の様子が焦れったくなったのか、小さく足踏みをしてヘルタが二人の手を握った。
「え、ちょ、ちょっと……」
「あっちなのだ!」
流杜が何か言うのを遮り、ぐいぐいと二人の手を引っ張り先を行く。ヘルタから手を引かれる二人は同時にお互いの顔を見た。暫く目を合わせていたが、ヘルタを挟む形で手を繋いでいるし、大丈夫という判断をしたのだろう。そっと前を向くヒフカから目を逸らし、まぁいいかと小さく流杜がため息を吐いた。
すれ違う人のほとんどが三人を見て微笑ましそうな顔をしていた。流杜はそう見られるのが嫌らしく、それが顔に出ている。ヒフカはその視線に気づくこともなく、ぼぅっと商店街の店を眺めていた。ヘルタはそんな二人に目もくれず、初めて来たはずである町をずんずんと進んでいった。
商店街を抜ける。段々と人の姿が疎らになり、車ばかりが通る道を歩いていく。歩道もあまり広くないが、通るような人も見当たらない。遠くに残雪と茶色の田んぼが見え、山が近くに見え始める。どこまで進む気なのかと思うが、やはり、先程ヘルタが指を差した山の中までだろう。空を見上げると、天辺にあった陽が傾き始めているのが見える。暗くなる前に帰れるのだろうか。
山の入口、獣道のような細い道へ着いた。枝が伸び放題になっており視界が悪く、ただでさえ狭い道を更に狭くしている。ヘルタの息は少し上がっており、頬は赤くなっていた。
「多分……この上、なのだ」
「ヘルタさ」
ヒフカが声を掛けようとした。しかし、それが耳に入っていないのか、ヘルタは再び歩みを進め、二人の手を引いたまま山の中へと続く細い道を登り始めた。手を引かれた二人は、また同時にお互いを目に映した。止めるべきか、否か。何かに引き寄せられるかのように細い道を登り続けるヘルタの行動が、二人の目には怪しいものに映った。流杜が小さく横に首を振ると、ヒフカは頷いて手を頭に触れた。ミーチカがまだ乗っていると思っていたらしいが、ミーチカはいつの間にか居なくなっていた。その手を下ろし、今度は鞄の中へ慎重に手を入れ、そのまま歩く。流杜は紙袋を手首に提げ、片手を木々の方へ向けてひらひらと手を振り、下ろした。道を塞ぐ枝が身体を叩く。道は天気のせいもあってか、薄暗く感じた。
細い道は、思った以上に長く続いていた。手入れのされている場所ではないようで、残った雪と溶けて凍った氷で足を取られ易くなっていた。それをものともせず、三人は細い道を登っていく。
数分、それ以上歩いただろうか。道の先の木々が無くなり、少し開けた場所が見えた。
「あと少しなのだっ!」
少し嬉しそうなヘルタの声を聞きながら、慎重に道を歩いていく。視界を塞いでいた枝を手で払い除け、前を見た。少し開けた場所に、ぽつんと小さく石が積み上げられているのが見えた。木に囲まれたこの場所は、まだ裸樹の目立つ茶色が多いせいか、寂しさを感じる場所でもあり、少々異様でもあった。冷たい風が三人の間を通り抜ける。
「……ヘルタさん」
「……」
「ヘルタさん」
「はぇっ!?」
ぼーっとしていたのか、ヒフカの呼びかけにはっとしたように二人の手を離し、振り返る。
「ここに何か心当たりがあるのですか」
「いやっ、えっとぉ……」
ヒフカの無感情な目から顔を逸らし、ゆっくりと積み上げられた石の方を振り返る。と、石の方へ歩み寄る。
「……ここに、何かあると思ったのだ」
ヘルタの腰ほどより低い石たちを屈んで眺め、不思議そうに呟く。
「……可笑しいよな、さっきの場所からも、これは見えぬかったのになぁ……ふむぅ」
「その石に、何か見覚えは」
「ふむ……」
じぃ……っと石たちを観察する。石は何の変哲もない石だった。何故積み上げられているのかは不明だが、その辺で見つかるような、ちょっと角の尖った石。そっと立ち上がり、二人の方を振り返るとヘルタはこう言った。
「……分からぬっ!」
胸を張り、堂々とそう言い放った。
「何か見覚えがあるような気もしたが、あたしの記憶にあるものとは何か……こう……違う気がするのだ。でも、何か……思い出せるような……でも、分からん!」
そう言い、くるりと踵を返し、二人のもとへ戻ってきた。
「あれがどういう役割であそこにあるのかも、あたしには分からんかった。だからきっと、ここはあたしの記憶には関係ないと思う」
手間をかけさせたな、と。申し訳なさそうに笑い、頭を掻いた。ヒフカが緊張が解けたように小さく息を吐いた。
「何もないなら、戻りましょう」
「うむ! 二人もここまでの歩きで疲れたであろうし、休めた方が良かろう! さあ、町に……流杜殿?」
ヘルタが顔を上げると、目を細め、少しばかり苦い顔をした流杜がいた。
「る、流杜殿? 大丈夫でございますか?」
「……はい、大丈夫ですよ」
苦い顔をそのまま、流杜は積み上げられた石の方へ歩み、鞄から何かを取り出し、石の前へ置いた。小さな飴玉だった。
「戻りましょうか」
「む? うむっ!」
少々首を傾げつつも、元気に返事をする。ヒフカと手を繋ぐと、「ん!」と流杜へと手を伸ばした。流杜は自分の顔の前で手をひらひらと振る。
「僕はいいです」
「えぇ〜っ!」
「ほら、転びますよ。前向いて下さい」
ヘルタとヒフカの背を軽く押し、先に進むように促す。少し拗ねたような顔をしながら、ヘルタは山道を下り始めた。ちらり、流杜は石の方を振り返った。小さく頭を下げ、先の二人と同じように少し遅れて山道を下った。
いつの間にか晴れた空は、黄色に染まり始めていた。
流杜「結局、あのアスパラガスの服買ったんですね」
ヘルタ「あったかそうだったので!」
流杜「そうですか……」