一廻目 邂逅
人付き合い、苦手組。
春といえど、三月のまだまだ寒空の広がる季節。ほどよく暖房が効いている部屋で、冷や汗を流しながら机に向かって本を読む青年がいた。
青年は嫌な予感がしていた。何故なら、上司である温伏頼麻都也が、にこにこと笑みを浮かべながらこっちを見ているからだ。今にも声を掛けられそうな────
「る〜もりっ、くん!」
びくり、肩を揺らす。
「屋烏流杜くん、お仕事でっす!」
パン! と両手を合わせる。嫌な予感は当たってしまった。流杜と呼ばれた青年は、心底面倒くさそうに振り返る。短髪ではあるが、深い緑色の前髪は目元を覆うほど長く、そこから微かに覗く薄水色は細められていた。にこにこと笑う温伏頼を、じっとりと睨みつけているようにも見える。
「今いつものバディが別件で出てるので、僕には無理かと」
柔らかい落ち着いた声。丁寧な話し方で笑みを浮かべているが、面倒くさいという思いが滲み出ていた。
「別の子と組ませるから大丈〜夫!」
「……元々僕の主な仕事は執筆なんです。いつも任される仕事は僕には合ってないんですよ」
「それでも上手くやれてるよ〜この仕事。それに、流杜くんは現地にも足を運んでオカルトの調査するじゃん。同じ同じ!」
やりたくない、という意思を汲み取ってくれない。
更に言葉を続けようとした時、ガラリと入口の横開きの扉が開き、すいーっと青い小鳥が飛んできて流杜の頭に留まる。二人の視線が小鳥に向いた。
「ミーチカ、どこに行ってたんですか……」
「今日はインコ? 放し飼いやめなよ流杜ぃ」
「出さないと自分で自分の羽毟るんですよ……」
流杜がそっと本を閉じ、手のひらを上に向けると、ミーチカと呼ばれた青いインコは小さく羽ばたき、流杜の手の上へと乗る。指先で頭を擽ると、心地よさそうに目を細める。
「いつもは近くに居るのに、どこに行ってたんですか、ミーチカ……心配したんですよ────」
「すみません」
聞こえてきた女性の声に、二人が目を向ける。すぅ、と、控えめに開いたままの扉が開かれた。紅と白の特徴的な長髪が動きに合わせて揺れ、紫と青の混じったような目が、扉の向こう側に隠れるようにこちらを見ていた。
「すみません。ミーチカちゃん、私と一緒に遊んでました」
一定の音で、機械的で感情の籠もっていないような声。表情は無であり、何を考えているのか読めない。
「あぁ……ミーチカは本当にヒフカさんが好きですね」
しかし、それが彼女の普通であることを知っている二人は、特別気にすることもない。
「すみません」
再度謝りながら中へと入り、ゆっくりと扉を閉める。
「あ、流杜。今回組むのヒフカくんだから」
「はい?」
「そうなのですか」
穏やかにミーチカを撫でていた手を止め、目を見開いて温伏頼を見る。また、にこにこと笑う顔が目に映った。近くまで歩いてきたヒフカが、二人を見た後、温伏頼へと声をかける。
「ついさっき呼ばれたばかりで、状況が分からないのですが、私は何をすれば良いですか」
「待ってね〜、今説明するからねヒフカくん」
「ちょっと……! 待ってください、僕、ヒフカさんとはあんまり組んだことが……」
「えっとね、今回の任務は〜」
「温伏頼さん……! せめて任務の内容を確認してから考えさせて……」
流杜の訴えを無視し、カバンの中から資料を取り出す。
「はい流杜」
ぽん、と乱雑に流杜の手にも資料を手渡す。ばさり、と、手のひらに乗っていたミーチカが翼を広げて飛んでいく。手に乗せられた資料を握り、拒否する権利はないのだと漸く諦め、自身のカバンからペンを取り出して資料へと目を移す。
「今回の任務は、とある少女の護衛と調査だ。解決までよろしくね」
長くなりそうな任務に、面倒くさそうな顔をする流杜。渡された資料は薄いが、それだけ不明な点が多いのだろう。一瞬、それだけ簡単な任務であることを期待したが、ちらりと見たページの『分からない』『不明』の文字の多さに、溜め息が出ている。
「読めば分かるけど、その少女の体の中に、別のナニカが入っている可能性がある。主な調査の対象はその“なにか”だ。その調査中に、少女の方の体に何かあったら困る。だから、怪我はなるべくさせないように、護衛をしながらの調査を二人に頼みたい」
「……それなら、本人は収容室に保護して、こちらだけで調査に向かった方がいいのでは?」
「それがさぁ、本人が外に出たがっていてね。失った記憶を取り戻すには外に出た方がいいかもしれない〜ってね」
「失った記憶……? って、え、本人の希望なんですか?」
「本人が。中々肝が据わってていいことだよ。まぁ、肝が据わってるのは中の“なにか”だと思うと、警戒の仕方が変わるよねぇ」
はっは、と軽快に笑う。それなら尚更、収容室に閉じ込めていた方がいいのでは、という流杜の視線は気付いて貰えなかった。
「ということで、今から連れてくるから。ちゃんと隅々まで読んどいてね。後は資料のコード読み取っておいて。いつも通り、資料は対象である少女の目には触れないようにすること。んじゃっ!」
「い、今からですか!?」
流杜が止める前に、温伏頼はひらひらと手を振って扉の向こうに消えて行ってしまった。適当すぎる説明にぽかんとした顔のまま、遅れて扉が閉まるのを見ていた。
「……はぁぁ……本当にあの人は……」
「これで説明は終わりなのでしょうか」
「あの人のことだから終わりでしょうけど……心配なのでこれから二人で確認していきましょう」
「分かりました」
ふとヒフカの方を見ると、その頭の上でミーチカが寛いでいた。育ての親よりも懐く様子に複雑な思いを抱えつつ、流杜が口を開く。
「対象は符幸鳴、15歳。交通事故により、左半身に大怪我を負い、首の左側、左腕、左腰に傷跡があるようです」
「大怪我ですね」
「そうですね。ただ、ここに連れてこられた原因はその事故ではなく、実家に帰る際に起こった事件がきっかけのようです」
「実家に帰る際とはなんでしょう。遠くに住んでいたのですか」
「えぇとそうですね。元々、都会の学校に入る予定で実家を離れていたのですが、交通事故でやむを得ず入学を諦めることになったそうです。そこから実家に帰ることになったのですが、その時、不明な原因により、家族ごと家が消滅したらしいです」
「家が消滅したのですか。人災や災害ではないのでしょうか」
「人災や災害なら、こんなところ来なくても良かったんですがねぇ……」
パラパラと資料を捲り、そう呟く。
「家の方は、調査に向かえとのことですね」
「場所はどこになりますか」
「玉草町内ですね」
「この町ですね」
「そうですね。良練地区です」
「後で行くんですね」
「後で行きますよ」
資料を閉じる。
「最後に、本人は自分の事を『ヘルタ・カルタ』だと名乗っている、と」
「不思議な名前ですね。その子が“なにか”でしょうか」
「まぁ、出会うまで分かりませんね。記憶も、その子は無いみたいですし。とりあえず、コード読み取っておいて下さい。渡されてる携帯ありますね?」
「はい、持っています」
そう言い、携帯を取り出すと紙面に描かれたコードを読み取る。しっかりと読み取れたのを確認し、紙束の資料を折ってカバンにしまった。
「失礼。入るよー」
と、タイミングよく横開きの扉が開かれた。その向こうに立っていたのは温伏頼と、黒の長髪をサイドアップにした、ピンクと緑の混じった歪な色の目をした少女だった。資料で確認した通り、身長は150cm程で小柄の女の子だ。服装は、何故か黒のスーツを着せられている。首の左側には、痛々しい傷跡が見える。動きにくいのか、手で肩辺りを撫でていた。
「んじゃ、自己紹介してね」
「う、うむっ!」
温伏頼の言葉に、ぴしっと両手を体の横につける。声は小鳥のように可愛らしいものだった。緊張しているのか、声は少し上擦っており、自分の服の裾を握るその様子は、年相応に見える。
「あたしの名はヘルタ! ヘルタ・カルタだ! よろしく頼み申す!」
しかしその話し方はどこか現代にはそぐわず、古風な言い方をしている。一瞬、ポカンとする流杜だったが、すぐに笑みを繕って名前を名乗る。
「屋烏流杜です。よろしくお願いします」
ちらり、ヒフカを見る。その視線に気づいたヒフカが口を開く。
「ヒフカです。よろしくお願いします」
ヒフカが名乗り、頭を下げたのを見て、流杜が小さく頭を下げる。
「流杜殿……と、ヒフカ殿であるな、よろしく頼むっ!」
ぺこり、元気よく頭を下げるヘルタ。それを見て、うんうんと満足気に頷く温伏頼。
「よしよしいいね。じゃ、後は頼んだ〜」
「はぁ……」
じゃあね〜、と手を振ってヘルタを置いていく温伏頼に、最早引き止めることも諦めた模様。置いていかれてしまったヘルタは動揺しており、そわそわと温伏頼の出ていった扉の方を見たり、流杜やヒフカを見たりしていた。そっと、流杜がヒフカに耳打ちをする。
「……どうしろって言うんですかね」
「分かりません」
「はぁ……多分、何も僕らのこと説明されてませんよね、あの子……」
「何も知らないように見えます」
「はぁ……」
流杜が溜め息を吐きたくなるのも仕方がない。初対面の少女の面倒を見ろと、特に説明もなく放り投げられたのだ。その初対面の少女も、自分たち二人のことは何も聞かされていないのだろう。全て丸投げする温伏頼に殺意を覚えたくなるのも、ヘルタだけではない。
「あのぉ〜……」
ヘルタが申し訳無さそうに笑顔を浮かべ、片手を挙げる。
「ここに連れられてきたばかりで、何も知らないのだ。少し、案内してくれるとワぇ嬉しいのだ」
二人が顔を見合わせる。調査の対象である少女に気を遣わせてしまった。そのことを少々反省しつつも、流杜は人当たりのいい笑みを浮かべてヘルタに向き直った。
「……いいですよ! 外に出てみましょうか」
「! 助かるのだ!」
「いえいえ。元からその予定だったので、助かります。ヒフカさん」
「はい」
流杜が声をかけると、ヒフカは自分の分の荷物と上着を持ち、ミーチカを頭に乗せたまま扉を開けて外へ。
「こちらです」
「分かったのだっ!」
元気よく返事をし、ヘルタも外へ出たことを確認し、流杜も荷物と上着を持って外へ。ヒフカと流杜で、鳴もとい、ヘルタを挟み込むように歩く。
施設内、ここ濡れ葉玉草町支部は、田舎な施設なこともあって他の支部よりも建物自体も小さい。薄いベージュの壁がずっと続いている。こんな場所に楽しさを求めるものでもないが、あまり面白みのない場所だ。
それでも、ヘルタ本人は少しは解放された気分なのか、先程までの緊張は緩み、興味津々と辺りを見回している。時折、固い扉の向こうから聞こえてくる大きな音に驚き、異様な音に怯え、聞いたことのない音に興味を持つ。ここに連れて来られなければ、普通の15歳の少女として見ていられただろう。
「流杜殿、ヒフカ殿、この音は何なのだ?」
「ここは研究施設なので、研究対象の出す音だと思いますよ」
「研究……」
隠し事が苦手なヒフカは黙っている。
「施設内のことはあまり他言してはならないので、職員同士でも話さないことがありますし、僕ら同じ職員でも知らないことが多いです。なので、中がどうなっているかは、僕らには分からないですね」
「そう、なのだ?」
不思議そうにしつつも、ヘルタはそれ以上は聞かなかった。聞こえてきた音から、本能的に何かを感じたのかもしれない。流杜は、また周囲を見ながら前を歩くヘルタの背中を見ていた。
「……その、流杜殿とヒフカ殿は、ここで何をしている人なのだ?」
「そうですね……化け物の研究と退治、でしょうか」
「化け物?」
振り返ったヘルタが、首を傾げる。
「はい。化け物や、怪異です。昔話とかで聞きませんか?」
「……分からない、のだ。何も、覚えてないから……」
しゅん、と眉尻を下げて落ち込む。
「思い出せるといいですね」
流杜が口を開く前に、こちらを振り向くこともせず、ヒフカがそう言った。
「あたしは、ちゃんと思い出せるのだ……?」
「分かりません」
「……」
ヒフカの言葉に、ヘルタは口を閉じる。沈黙が三人の間に流れた。
「ここから外に出られます」
ヘルタが顔を上げたその先。大きな両開きの扉の前、三人の警備員さんに二人が職員証を見せると、両開きの扉は重く軋みながら開く。ヘルタが振り返る。
「何というか……古いのだな、この扉」
「ここの扉は古いですね」
大きな大木を削って継ぎ接ぎで作られたような、重たい雰囲気の扉は、現代的な造りのこの施設には些か似合わない作りになっている。
「鍵もかんぬきと錠前と魔術なので、時代遅れというか、ここだけ時間が止まっているといいますか」
「……?? 何の話なのだ……?」
「そんなことより」
ぽん、と、流杜がヘルタの背を軽く押す。ヘルタが前を見ると、ヒフカがこちらを振り返り、開いた扉を背に立っていた。
「行きましょうか。外へ」
ヒフカ「流杜さんは私が嫌いですか」
流杜「それ本人に聞きますか……苦手なだけですよ」
ヒフカ「ミーチカちゃんをとったからですか」
流杜「言い方」