零廻目 醒める
よろしくお願いします。
無音に目を覚ます。
無機質な白の部屋が視界を埋める。
「…………?」
長い長い眠りから覚めた少女は、酷く困惑していた。自分が座らされている椅子は酷く頑丈で、鉄か何かの金属で出来ている。その冷たい肘置きに、自分の細い腕が鎖やら枷やらで繋がれているのだ。よく見れば、左腕には包帯が巻かれている。息苦しく、首を動かせば、まるで首輪のように重い枷が首にも巻き付いている。椅子の脚に縛り付けられた足も上手く動かせない。目の端に見えた自分の服は、薄着だった。
酷く窮屈な目覚めの中、目の前の丸椅子に座った男だけが、にこやかな笑みをたたえて少女に声を掛けた。
「おはよう。ようやく起きたね」
くすんだ青色の、長い髪を後ろで束ねた男だった。細めた目は綺麗な濃い青色をしている。頭には、三角に折った布のようなものを巻いている。ターバン……だろうか。
「……ご、ぉ……ッかは、げほっ! こほっ!」
無機質な真っ白な部屋というのは、それだけで圧迫感がある。それだけが理由ではないが、久方ぶりに震わせたような喉からは、酷い音が出、盛大にむせ返る。咳の音がわんわんと部屋に響く中、男は無言のままこちらを見ていた。
「ごはっ、ぁ…………し、つれいした……」
「いんや全然。ごめんね気が利かなくて。水でも持ってくればよかったなぁ……」
ひやりとした汗が頬を伝う感覚。漸く出せた声は高く、可愛らしい少女のものである。男が何やら呟きながら引っ張り出してきたトレイの上には、お世辞にも気が和らぐようなものは乗っていなかった。ペンチやらライターやら錐やら、知識のない少女でさえも、それが、今この無機質な部屋で、どう使うか予想できるというもの。ただ少し、お粗末なものだとは思うが。少女が眉根を寄せる。
「さて」
ペンチを一つ手に取ると、男は笑みを浮かべてカチカチと先を鳴らす。
「符幸鳴、これから尋問を始めさせてもらう」
「ふゆき、な、る……尋、問……?」
うん、と、にこやかな笑みを浮かべたまま、男がこちらへ近寄る。咄嗟に身を引くも、後ろは背もたれだ。少女の顔が引き攣る。
「ま、まて! 状況が上手く飲み込めない……自分が何をしたというのだ……?」
ピタリ、男が止まる。と、そっと背を屈めて……符幸鳴と呼ばれた少女と目線を合わせる。
「そこからかい? 符幸鳴」
「……そ、そこからだっ! ほ、ほら、状況の整理というものはいつでも大事なものだからな!」
少女の頬を汗が流れる。引き攣った笑みや張り上げた声は、虚勢からくるものであろう。柔らかな男の声とその表情さえ、少女には恐ろしいものに見えた。少女の言葉に暫く考えるような素振りを見せ、まぁいっか、という軽い口調の後、男はペンチを置いて話し始める。
「まず、君は符幸鳴。田舎を出て、零余高校の一年生として、春から入学するはずだった15歳だ。華々しい高校生活を送るはずだったんだけど、交通事故に遭い、左半身に大怪我を負った。怪我もだけど、その他にも理由があって学校生活を送ることは不可能と判断され、実家に帰ることになった。覚えてないのかな?」
「……お、覚えて、ない……」
「……まぁ、事故のショックということで、そこはとりあえず置いといてあげるよ」
男は、トレイの上に乗っていた錐を手に取り、くるくると手の中で回し始める。
「で、実家に帰ることになったわけ。だ、が。少し理由があって家が無くなった。はい終わり」
「所々適当にならないでほしいの」
「あっ」
カンッ!
「ヒィッ!」
少女が言い終わるか終わらないかの内に、男の手からすっぽ抜けた錐が、少女の足首から数ミリ離れた位置に突き刺さった。床が欠け、錐が突き刺さる。
「ごめん、わざとじゃないんだよ……?」
「錐は手遊びでぶん回していいやつじゃあないのだぁっ!!」
「ははは」
床に刺さった錐を引き抜き、また手の中で握る。どう? 思い出せた? そう男は言うが、脅しだろうか。……しかし、それでも少女は首を傾げたままだった。
「言えることは言ってほしいな。じゃないと本気で刺すしかなくなっちゃう」
「刺す気だったのだ……?」
へらへらと、どうにも信用ならない笑みを薄目で睨みつけ、うーんと首を傾げて唸る。
「そう言われても……自分は、どうも符幸鳴、という名前もしっくり来ないのだ」
「ほう? じゃあ、君は符幸鳴じゃないと?」
男のへらへらと笑っていただけの目に、鋭いものが走ったのを、少女は見逃さなかった。まずいことを言った、直感的に少女は感じた。
「あっ、いや……」
「じゃあ何者だって言うのかな? 教えてほしいなぁ〜、本当に刺さなきゃならなくなる前に」
口調は軽いものだったが、その言葉はどうしても嘘には聞こえない。
「嘘とか屁理屈捏ねてくれてもいいよ。君の尋問の時間が伸びるだけだ。でも、それだけで済むと思わないでは」
カツン。
「ほしいけどね」
と、錐の先がトレイを突く。にこり、胡散臭い笑みが少女へ向けられる。見開いた少女の、少し歪なピンク色の瞳の横を、汗が流れた。ぎゅ、と、目を瞑り、うーんと唸る。冷や汗が額に粒を作り、首を傾げるとその粒が流れて落ちる。
「……お、覚えてない、何も」
ぎゅっと、目を瞑ったまま少女は続ける。
「気がついたらここに居た。ここまでに何かあった気がするが、それは何か、こう、違うような気がして……」
震える瞼を開き、真っ白な床のどこかへ視線を落とす。ふらふらと動く目は、何かを探しているような、迷っているような。
「この身体も、自分のものでは無い、そんな気がする……名前も、符幸鳴では……そうだ、名前、名前、は……」
彷徨う少女の視線の先に、男が持った錐が、目に映った。その先端の光を、その目が捉える。少女の目が、僅かに見開かれた。
「ヘル、タ……」
見開いた目が、そのまま男の顔を見上げる。
「あたしは、ヘルタ、だ……ヘルタ、カルタ」
「……聞いたことない名前だなぁ」
男が首を傾げる。
「ここら辺じゃ聞かない音の並びだし、そういう化け刃の報告も聞かない……。他に何か思い出せないの?」
「他、と……言うと……?」
「聞かないでよ〜。そうだな、どこから来たの?」
「どこ、とは……」
「んじゃあ見慣れた景色とか」
「景色……」
「見知った相手のことでも」
「相手…………?」
首を傾げる少女……ヘルタ。男が他のことを聞き出そうとするも、名前以外は全て首を傾げるばかり。はぁと息を吐き、緩く首を振って男が立ち上がる。
「……ま、何かを切っ掛けに思い出すかもしれないからね、尋問を続けようね!」
「ま、まだ続くのか!?」
終わった、とは思ってはいなかっただろうが、ヘルタにはこれ以上思い出せることはないのか、焦ったような声を出す。
「というより、これは尋問なのか!? 尋問というより……いや、そんなことより、あ、あの、この拘束を解いてほしいのだが……」
「それはちょっと厳しいかな。君が普通じゃないって分かったんでね」
「は……」
疲れたのか、男は丸椅子に座り、錐をトレイの上に置いた。
「この世界にはね、人知を超えた化け物が存在してね。それを人々は、お化けとか怪物とかって言う。怪異とも言うね。それの影響、もしくは本体かもしれない君を、あんまり軽視できなくてね」
「怪物……」
その言葉を繰り返すヘルタの顔を、じっと覗き込む。
「一回刺せば思い出したり」
「!? しないッ!」
ガチャガチャと鎖や枷を鳴らして抵抗する。少女の細い四肢での抵抗では、それらはびくともしない。それを楽しげに笑う男。
ぜぇぜぇと息を切らし、このままではこの男に遊ばれる時間が、全て思い出すまで続くのではないかという思考が頭を過る。
「こ、このままこの拘束では腕も足も痛いのだが……っ!!」
「あ、じゃあ拘束の仕方変える?」
「そういう意味でも! ないのだッ!」
「ごめんねぇ〜、アニメとかラノベみたいな便利なやつ、うちにはあんま無いんだぁ〜」
「あ、あにめ……? らのゔぇ……」
「あれ? こんなことも知らないの? 今時じゃないね〜君」
へらへらと楽しそうなのは男だけで、ヘルタはどんどんと疲れたような顔になっていく。このままでは本当に、この男の玩具にされそうだ。
「そう! そう、そんなことも知らないのだ! だから何もないここでは、もうこれ以上何も思い出せないかもしれぬ!」
「言うねぇ」
楽しげに男は笑う。
「だからほら! あれだ、実際に外を歩いてみてはどうだろうかっ!」
「ほーん?」
「思い出すには、見知った土地を歩いた方が思い出しやすいのではっ、なかろうかっ!?」
「見知った土地も思い出せない君が、そんなこと言うのも面白いけど、つまりは外に出たいのね」
「で、出たいっ!」
「いいよ。拘束しながらになるけど」
「あれ案外あっさり……っまさかこの状態で!?」
首に腕に足に枷。この状態で外に出されるのはヘルタが動きづらい云々もあるが、この状態で外に出した側の問題は、問われないのだろうか。驚くヘルタなどお構いなしに、男は何処かへ連絡を始める。
「あ、もしもし温伏頼だけど」
「お、おい、まさか本当にこの状態じゃああるまいな」
「はいはいはい、そうだね〜」
「な、なぁっ!」
重い枷を付けながら歩き回されると思い、ガチャガチャと鎖を鳴らして男の注意を引こうとするも、男はヘルタには目もくれない。自分の軽率な発言に後悔する間もなく、男はくるりとヘルタへと向き直る。
「よし、お外行こっか!」
「ひぃ……頼むぅ……首のやつだけ、首のやつだけでも外してくれ……後はもう根性で何とか」
ヘルタの顔が引き攣る。屈んだ男の手がヘルタの足に伸びた。すると、カチリ、という音を立てて足の枷が外れた。
「……え?」
「椅子引きずってくわけにはいかんでしょ〜」
「いや、だって……」
困惑するヘルタを他所に、男は枷を外していく。
「拘束は解けないのでは……」
「普通はね。でも面白そうだから」
「面白そうだから……!?」
「はい外すよ」
「おえっ!?」
ガチガチと音を立てて、ヘルタの首の枷が取れた。手足、首と。きょとんとしたまま、手を開いたり閉じたりする。
「な、なんで」
「いーのいーの、全部私情だから」
「……いいのかそれは……」
「良い良い♪」
鎖を外したこの男の適当さ加減を、何となく察するヘルタ。ある意味、不安の拭えぬヘルタの手を引いて、椅子から立ち上がらせる。
「あっありがと……っいててて体がっ……!!」
「長時間そんな椅子に座ってりゃぁね」
背中や足を押さえ、呻くヘルタを、また男はあっけらかんと笑う。座らせたのはこの男なのだが、謝るつもりもないらしい。
と、この部屋の扉が少し乱暴に開いた。扉の先に立っていた青年に、ヘルタは目を丸くする。
「名前を教えてなかったね。僕は温伏頼、こっちの男の子はトーヤ」
にこやかに、何でもないように紹介する男……温伏頼にも驚く。その、トーヤと呼ばれた青年は肩から先に、鳥の翼のような羽が生えており、その長さは足先まである。その足も、まるで鳥のような脚であり、その爪は鋭く長い刃のようである。その羽と脚のせいか、実際の身長と体格より大きく見え、2m超えの巨体に見える。頭には温伏頼と同じようにターバンのようなものを巻いており、短い黒い髪を鬱陶しそうに首を振って避けていた。鋭いその目から覗く金色の目と、黒の全身と羽は、カラスか黒猫に似ている。何にせよ、およそ人間とは思えぬ容姿であった。
「えっと……と、トーヤ……? 殿?」
「……緒音杜」
「……ん? トーヤでは……」
「温伏頼が勝手に言ってる。だからもうトーヤでいいけど名前違う」
「えぇぇ……」
「はっは」
楽しげに笑う温伏頼を、この先何度呆れた目で見なければならないのだろうか。
「僕はね、このトーヤみたいな子を保護し、収容する仕事に就いてる」
するりとトーヤの隣に立ち、ぽんぽんとトーヤの背中を叩く。ヘルタが見上げると、トーヤは不機嫌そうにヘルタを睨み付けている。哀れみと苛立ちの籠もったその目に、ヘルタが縮こまる。それを無視して温伏頼は話を続けた。
「ここの職員は皆、同じ目的で動いてる。トーヤみたいな子を、保護したり、はたまた化け物を倒したり? で、今回君の監視を任せるのは、化け物を倒す方だ」
「な、なるほど……」
「まぁ理由は何となく察してほしいな」
理由、と聞いて、ヘルタは俯く。
「そう、だよな。正体不明のあたしを、いつでも始末できるように……」
「人手不足だからだよ」
「違った」
ヘルタの心配をよそに、きっぱりとそう言い張る温伏頼に一瞬殺意を覚えたヘルタ。
「さぁ行こうか。色々準備してから、その職員さんのとこに連れてくよ」
けらけらと笑う温伏頼が差し出す手に、渋々とヘルタが手を乗せる。
「これからよろしくね、ヘルタ」
「うぅ……不安しかないが、よろしくなのだ。温伏頼殿、トーヤ殿」
扉の先、窓の向こう。差し込む光が、ヘルタの歪な桃色と緑色の目を照らした。長い黒髪を、どこからかの風がそっと撫でる。
ヘルタ「トーヤ殿、トーヤ殿は好きな食べ物はあるのか?」
トーヤ「……おかか?」
ヘルタ「おか、か……?」
トーヤ「……おにぎりの」
ヘルタ「おに……? ぎ……」
トーヤ(めんどくさ……)
温伏頼「ヘルタくん、僕は?」