Dithyramb 2.0 part 3
交渉相手は男の姿形で顕現するものと、勝手に思い込んでいた。それがどうだ。布切れ一枚で現れた神は、十代の少女のように見える。未発達な体には余計な肉がついておらず、細い手足と相まって西洋の人形のようだ。
私は絞り出すように返答した。
「ルル・ベルは別件で。私は代理で──」
「知らねぇし。オマエに用はないから帰れよ」
追い払うように手を払う神から、強烈なアルコールの匂いが香った。真っ赤に火照った頬に、胡乱な瞳、気だるげな口元からは酒気を帯びたスラングが引っ切り無しに漏れ出ている。完全に出来上がっている。
しまいには涅槃仏よろしく肘をついて寝転がってしまった。他所の神ながら、入滅してしまうやもしれぬ。
「しかし酒の神よ。生命の水──ウシュク・ベーハについてお言葉を賜りたく」
酒の神が眉根を寄せた。記憶を掘り起こしているのだろう、ああでもないこうでもないと声を漏らしながら考えているようである。
熟考も幾許か、合点がいったように嗚呼と神が首肯した。
「麦芽の蒸留酒のこと?」
「はい。正にその通りでございます。人の世では、ウイスキーと呼び習わす酒にございます」
酒の神の琴線に、少しばかり触れたようだった。神の赤ら顔が、また違った微醺を帯びる。
対話の端緒を得た私は、ここぞとばかりに交渉を進めよう、と思った矢先──
「うん。あのお酒、マジで好き。今すぐ樽で五十個持ってこい」
神の無邪気で理不尽な要望に、私は天を仰いだ。祈る神は天ではなく、目の前で寝そべっているが。
かつての哲人は、神との関係性の喪失を絶望と表したが、なるほど、力を伴うわがままは様々な希望の喪失を想起させた。
知るか馬鹿──の罵言を無理やりに飲み込んで、私は只管にへりくだった。
「神よ。恐れながら申し上げます。人の世に、ウイスキーはございません。ここ数十年、人の世の蒸留所では生産も貯蔵も行っておらず、今すぐにご用意することかなわず」
「知らねぇし」
いやお前の所為じゃねぇか──とは終ぞ言えず、私は口ごもった。ルル・ベルの説明が正しければ、目の前の神が貯蔵されているウイスキーを、超常的な御力をもって全て飲み干してしまうとのことだった、はず。
押し黙る私に向かって、神が舌を打った。
「死ぬかオマエ」
その声は、今までよりも一オクターブは低かった。心胆寒からしむるには、過剰なほどに冷たい。
恐るべき声は、同時に雷を呼んだ。上天には暗雲が垂れこみ、光と音が威嚇のように鳴り響いている。
ずしんと、神が一歩前に出た。落雷のようなその一歩に、大地が揺れる。
──あ、ヤベェ──
命の危機を感じた私は、じりじりと後ずさった。幸い急に距離を詰めるような様子は、神からうかがえない。超越者としての余裕の現れか、はたまた後方にひかえるアビスを警戒してか。
私は、神の視線が、アビスに向いた直後に舞台上から飛び降りた。そのまま脱兎のごとく、アビスの元へと駆けて逃げる。
息も絶え絶えに走った私を、アビスが面倒くさそうに出迎えた。
「激おこじゃん。オマエ、どうすんの」
「どうするもこうするも」
「交渉はどうしたよ」
「余地なしだ。のっけから、こっちの話なんざ聞く気がない。だから」
「だから?」
「頼む」
何かを言いたそうに鼻を鳴らしたアビスが、私の前にずいと進み出た。
私と神の間に割って入ったアビスが、ポケットに手を突っ込んだまま仁王立ちした。
「まぁ、いいけどさ」
「オマエ、疑神か。ウッザ。さっさと酒持ってくるか、ルル・ベル呼んで来い」
「ルル・ベルの力は、揺り返しが大きいんだよ。だから俺らが来てんだ。なぁ、お前さんが少しばかりウイスキーの取り分を減らしてくれるだけで、丸く収まるんだが、いかが?」
「モドキと話すことなんか、ねーよ」
神が中指を立てて、挑発した。
対してアビスは、懐から紙巻煙草を取り出し火をつけると、緩慢に一服した。そして大きく紫煙を吐き出した。
「俺は我慢したからな」
瞬間、アビスの背後に、二つの光の輪が現れた。