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Dithyramb 2.0 part 2

 分かってるだろうが──と、横に立つアビスが神域に着くや否や口を開いた。


「間違っても、神の名前を口に出すんじゃねぇぞ」


 名前とは呪いの一種だ。真実の名は、それだけで大なり小なりの強制力を発揮する。使いようによっては、どのような魔術よりも強力な力として作用する。神々とても例外ではなく、概して秘匿されている。そのため名を暴く行為は禁則事項であることが多く、人間のような矮小な存在が安易に誰何しようものならば、ただちに逆鱗に触れることになる──とは、ルル・ベルの弁だ。

 耳にタコができるほどに聞かされた注意事項を反芻するように、私は応じた。


「名は呪いを帯びるから、ってヤツだろ。交渉が役割だからな。嫌がられることはしないさ」

「それもそうだが、真名にしろ偽名にしろ、下手に口にするとソイツと縁を持つことになる。面倒の元だぞ」

「すでに面倒なことに巻き込まれているが」

「ルル・ベルとの縁は、仕方ねんじゃねぇの。オマエ、アイツの手助けなしで、この世界で生きていけねぇだろ」


 閉口した。アビスの言う通りだったからだ。何の因果か、この世界に放り出されたばかりの私を助けたのは、他ならぬルル・ベルである。幸か不幸か、ルル・ベルもまたこの世界に転移してきた経緯を持つらしい。ただ転移してきた時期は、私より数百年も前のことだと言う。いわゆる先輩だ。魔術だか妖術だかに造詣が深く、それに加え、資産、知識、人脈とこの世界で上手く生きるための財産を潤沢に所有しているのだから、仲を分かつ理由などない。性格の悪さを除けば、だが。

 私は、アビスを凝乎じっと見つめた。アビスがルル・ベルに付き従っている理由について、ふと気になったからだ。

 視線に気づいたか、アビスが面白くなさそうに渋面をした。


「俺のメンテナンスをできるのは、アイツだけだからな。仕方ねぇの」


 そう言ってアビスが、外方そっぽを向いた。詳しく話すつもりはないのだろう。

アビスは疑似的に造った神だと、以前にルル・ベルから説明を受けたことを思い出した。ただ、神を造るという眉唾な説明など、真に受けずに聞き流したように記憶している。


「見た目は普通の人間なのにな」


 私は、アビスの全身を眺めた。その容姿は、一般的な人と同様である。骨格や肉付きに違いはあれど、二本の足で歩行し、コミュニケーションには言語の発声を用いるのが常だ。酒を飲み、飯を食らい、睡眠も取る。時には人の女を抱くことだってある。その反面、奇跡や神秘を体現するようなことは、ほぼない。日常生活を送る上で、アビスが脱自然的な振舞いを見せることは、ないのだ。実際にアビスが『力』を行使する場面を目の当たりにしない限り、私も信じることはなかったように思う。それほどに普段のアビスは、神聖な雰囲気から縁遠い見た目と生き方をしている。

 しかしアビスの正体が神だろうが悪魔だろうが、実のところ、これ以上は興味がなかった。私にとって、アビスとは暴力担当の同居人だ。そしてルル・ベルの支援なくして、この世界で生存は不可能である。私と同様に、性格の破綻したルル・ベルに依存していることに変わりはない。


「頼りにしてるよ。神様」


 私の言い方が気に食わなかったのか、アビスが返事をする気配はなかった。アビスという名は、もちろん偽りである。呼び辛いからという理由で、アビスとあだ名したのはルル・ベルだ。余談ではあるが、最初に私をマツキヨと呼んだのも、同様にルル・ベルである。

 どちらからともなく深いため息が漏れた。


「しかし、ウイスキーのために命がけで神と交渉しなきゃならんとはな」

「皮肉なもんだ」


 ウイスキーの語源は、『生命の水』を意味する『UisgeBeathaウシュク・ベーハ』だと言われている。転生する前の世界においての話だが、蒸留により雑味がなくなり、貯蔵により熟成されたウイスキーは、その味と香りから多くの人々を魅了した。法によってアルコールの消費が禁じられた時代においても、広く密造され、水面下で流通され、ついには時の権力者が認めるほどとなった。この世界における酒の神もまた、魅惑された一人、ならぬ一柱ということか。

 おらと言って、アビスが遠くを指し示した。石づくりの舞台の上で、七色のもやが少しずつ形を成し始めている。

 やけに細い手足が、にゅるりと生えた。形而下に受肉する様子は、精肉の映像をさかしまに見ているようで、どこかグロテスクだ。


「標的が権限すっぞ。まず交渉。お前の仕事だろ。凡俗」


 恨みがましい視線を返して、重い足取りで私は神の待つ舞台へと向かった。殺風景な石造りの劇場を、足音を響かせて歩く。一歩、また一歩と進むごとに、神らしき不定形のもやが人のシルエットに近づいていく。あらぬ方向にねじ曲がっていた関節──肘やら膝やらが、人らしい形へと向き直る。肉と骨を予感させる音をたてて、おかしな向きで首が生える。

 人ならば首の骨が折れているだろう角度のまま、酒の神が口を開き、天啓が始まった。

 が、しかし。


「ルル・ベルはどこ? つか、オマエ誰?」


 少女のような見た目で現れた神が、下っ足らずで横柄に言うものだから、私はただ言葉を失った。

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