第9話 異なる業種と同じ作業
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神は人を平等に創造したと言う。
幸せを享受する自由、そして幸せのために困難を選ぶ自由ですら与えてくれたらしい。逆に聖職者が言うには、困難は幸せを得るために神が与えてくれた物だそうだ。
その考えは馬鹿だと思う。フェルミも薬の組み合わせを試していくのは大変だとか思うことはあるが、困難だとは思わない。それは自分の目指す物が何なのか自覚しているからだ。世界に流されて幸せを追求しようとするから、幸せが困難に置き換わるわけである。
「しかし、だ」
しかし、それでも溜息は漏れ出る。
「お前、もうちょっと温度を下げろ。成分の抽出を急ぐと、効果が半減する」
「ですが、」
「言い応えするな。俺がやれと言ったら、即座にやれ」
フェルミの視線の先では、作業服を着たルティネスが釜の中身を掻き混ぜている。延命草と呼ばれる植物を煎じて、その成分を抽出している所だ。
抽出方法には多くの種類がある。ただ単に水で煎じたり、油に浸出させたり、蒸留させたり、すり潰したり。その上、温度や湿度などの多くの要因が薬の効果に直結する。
「例えば、葡萄酒を作るために布で葡萄を包み吊るすだろ? その時に一滴一滴雫が落ちるのを待っていられなくて、手で絞るとどうなるか」
「……苦い味になります」
「それと同じことだ。もっとも薬と酒を同類ではないが、酒は百薬の長と言うだろ」
物分かりの言いルティネスは一応納得したのか、渋々と釜の温度を下げた。しかし、ルティネスの横顔は不満で塗りたくられている。
これが、ずっとだ。
困難は幸せを得るために神が与えてくれた物だそうだが、ルティネスに成分の抽出する方法を説明しても幸せは訪れないと思う。
世界には何でも暖かい水が湧き出る温泉と言う物があるらしい。で、そこで価値のある
温泉というのが、広くて澄み渡った温泉ではなく、見つけるのに苦労した温泉。森の奥深くにあるものは精霊の加護があるそうだが、ルティネスには見返りを期待できない。
きっかけは、一週間前だった。
何の役にも立たないのに工房で住み込み、挙句に食事さえさせてもらえるのは良心が痛む。だから、薬種商の仕事を教えて欲しい、とルティネスが言ったのが始まりだ。
そこまで急用の用事がないフェルミは、仕事の合間でルティネスに抽出方法を教えてあげていたのだ。口頭で教えて、ちょうどいい書物を読ませてあげて、そして実践させてやる。
元々錬金術師のルティネスだから、目を離していても出来るだろうと思っていたのが間違っていた。最初は失敗、次も失敗。三回目になると、毒を含む煙が上がっていた。
結局、フェルミはルティネスに最初から教えることになった。自分の作業にも没頭できず、途中から馬鹿らしくなっているのだ。
確かにルティネスは頭がいいし、物覚えもいいし、文字だって読める。ただ、言い応えしなければいいのに。まあ、薬草の成分抽出のように、いずれは垢が取れていくことだろう。
「それぐらいでいいだろう、火を消せ」
「は、はい」
ルティネスは火に灰を被せて消した。一週間もなれば、多少は手付きも素早くなってくる。フェルミは椅子から立ち上がると、ルティネスの肩に手を置いた。
「よくやった。水分と塩分の摂取を行え」
「ありがとう、ございます」
喉が渇いていたのか、ルティネスは素直に水を飲み、口元を袖で隠しながら塩を舐める。食事を抜いても簡単には死なないが、塩と水がなければ生きていけないのを理解している、まさしく本当の旅を知っている行動だ。普段から見栄など張らず、素直になってほしいものだが。
「後は、布に通して粕を除き凝結乾固させるだけだが、俺が代わりにしておく。お前は天気と気温湿度を調べておけ」
「……え?」
呆気に取られるルティネスに、フェルミは言った。
「お前が俺に鉄の精錬方法を教えたんだろうが。天気が回復している今日にやるぞ」
「……」
冬から春になるこの季節、ヤーゾンでは天気が変わりやすい。少し前までは晴れていても、急に雨が降るのも珍しくない。この一週間、雨が降り続けたせいで、鉄の精錬ができなかったのだ。
とは言っても、薬種商のフェルミには精錬なぞ関係なかった。しかし、ただ単に興味があったのと同時に、この工房にある機器を使わない手はないと思ったからだった。
ルティネスはしばらく、自分が何を言われているのか理解できないといった顔だったが、一週間前の会話を思い出したらしい。少し迷うような素振りをしてから、ゆっくりと頷いた。
フェルミは抽出釜の跡片付けを始めると、ルティネスは困ったように聞いてきた。
「……あの、その前に町へ行ってもよろしいですか? 少し人に会いたいのです」
「ふん。誰に会うんだ?」
「あ、あなたには関係のないことです」
「まあ、俺達に危害がなければ勝手にしろ」
フェルミが背中を軽く押すと、ルティネスは少しだけ躊躇った後、工房から出て行った。外はまだ闇が残っていて、市場が始まってもいない時間だ。それにも関わらずに作業をしていたのは、ルティネスが意外に早起きだったから。元々旅をしていた民族だから、朝は早いのだそうだ。
工房に静けさが戻る。戸口の隙間から入り込む風だけが、耳にささやいてくる。
黙って黙々と抽出液の中から粕を取り除いていく。その後は銀のコップに移し、布を掛けると暗い所に置いておくだけだ。
あのうるさいハルエッドは、ここにはいない。一週間も経ち落ち着いた所なので、昨日から地元の薬種商たちに挨拶へ行っているのだ。今頃は一夜を共に過ごした女性と別れの挨拶でも交わしているのだろう。
この町は凄い。世界からあらゆる草本が集められ、保管されている。見た事もないような知識や技術が溢れ、簡単には全てを試せそうにない。ここに騎士団所属の薬種商は他にいない。手柄を立てれば、全てフェルミ達の物となる。
この機会を逃さず何としても手柄をあげなければならない。
それだけがフェルミの存在意義であり、フェルミという薬種商なのだ。
「よお、嬢ちゃんは町への買い物かい?」
フェルミが鉄の精錬の準備をしようとした時、ルティネスが出て行った扉から入れ違いに入ってきたのは、ハルエッドだ。
その両手には分厚い紙束。羊皮紙よりも安価な紙だが、その量は五十を優に超えるだろう。どうやら騎士団の人間と会っていたらしい。
「支援物資は、今日だったか?」
「そうだよお。戦争を控えていて忙しそうだったから、城門で受け渡ししてきた。フェルミと俺が望んだ全てが送られてきたねえ」
ここは薬の町であり、材料に関して言えば、今まで以上に恵まれている。しかし、その材料を購入するための資金は必要だし、フェルミ達が町で不自由しないように騎士団からの紹介状も含まれている。また、今の町は忌み嫌われたフェルミ達と積極的に関わろうとしないため、よく使う材料は不足気味にあった。
どうやら、ハルエッドは地元の薬種商への挨拶ついでに、月に一度の支援物資を受け取りに行っていたらしい。
フェルミはハルエッドから支援物資の明細に目を通していく。
「金貨四十枚に、銀貨八十枚。水晶、玉髄、瑪瑙……辰砂か。ここまで貰ってっしまってもいいのか?」
「薬の町にいる俺達に期待してるんだってさあ。一番マグダラに近いらしいし」
「マグダラ、ねえ」
ルティネスが口にしていた、全ての錬金術師が夢見る『先』の世界。そこに辿り着くためなら、どんな悪事にでも手を出せるような場所。
やめられない。
文字通りにやめられない。マグダラへ行くための方法があるとしたら、それを突き詰めないと気が済まない。冶金に魅せられた奴は、完璧な冶金方法を見つけないと気が済まない。この方法はどうだ、こっちはどうだ、あれならどうか。なんでも試し、うまく行くまでやり続ける。
すると、人の道を踏み外すようになる。
木炭を足して鉄の純度が上がるなら、他の炭ではどうだろうか。それであれこれ炭にして足し合わせても、結果はまちまち。すると、何か別の原因があるのではないかと考えるようになる。
一人は、それを木の種類だと言う。
一人は、その日の湿気によると言う。
もう一人は、いいや前日の星の配置ではないかと言い始め、もう一人は教会で懺悔してきた日はうまくいったぞと叫び出す。
そうして、いずれ神に盾つくようにもなる。
精霊や呪術の技法を試したり、蛙や蛇のような気味の悪い動物を灰にしたり、祈るための十字架を混ぜたりもする。
そこまでして成し遂げたい夢、程度の差はありしもそれをマグダラと呼ぶらしい。
そう定義するなら、フェルミにも馬鹿げたマグダラの地がある。
それを目指すには、多くの知識と技法が必要となり、その点においてヤーゾンは最もフェルミ達のマグダラに近かった。
「そう考えると、ルティネスにもマグダラの地があるわけだが……」
「少し奇妙だねえ。彼女は錬金術師でマグダラを目指しているのは確かだろうけど、どうも錬金術がマグダラの様には思えないねえ。もっと別の何かを求めているような」
「最も、俺達には関係のない事だけれどな」
「んっふふふ」
ハルエッドは薄気味悪く笑い、フェルミから受け取った紙束をぱらぱらとめくった。どうせ、騎士団に無理をも通せる工房にいる自分が、愉快で堪らないのだろう。しかし、簡単に飽きが来たように、紙束をぐいと押した。
そして、「それはそうと」と言う。
「フェルミ。騎士団は三日後、最後の異教徒の町カザンへ攻めるらしいよお」
「ついに来たか」
戦争は簡単には起こせない。それも、見栄と権力が大好きな騎士団や教会となればなおさらだ。不意打ちと歴史に残りたくないから、事前に相手の貴族と密会を行ったり、数日前に宣戦布告の手紙を届けたりする。
しかし、今回の敵は異教徒。理屈を超越した相手に時間を与えるのは、理屈に合わない。それでも騎士団が直ぐに攻めなかったのは、相手に慈悲を与えるためか。異教徒とは違い、我らの主神は敵にすらも情けを掛ける、そんな寛大な心を見せつけるつもりだろう。
だが、それでも世界は残酷で不条理。万物は流転するし、何が起こるかはわからない。騎士団が負ける事はないだろうが、戦死者が沢山いるかもしれない。そうなると弱った騎士団の行く末はどうなるのだろうか。
どちらにせよ、フェルミに戻る道は存在しない。
フェルミはルティネスが帰ってくるまで昼寝をしようと思い立ち、二階の自室に向かったのだった。
☆豆知識 4☆
朝ならおはよう、昼ならこんにちは、夜ならこんばんは。皆さんのアイドル、もとい作者の沿海です。まだまだ物語は続きますが、その前に皆さんお待ちかねの豆知識を披露しましょう。
今回は、『葡萄酒の歴史』です。まあ、葡萄酒よりもワインの方が聞き覚えあるでしょうが、この作品では一貫して葡萄酒ですね。
世界最古の葡萄酒は、紀元前7000年頃の中国が起源だと言われていますが、中国史上最古の王朝『夏』のように決定的な証拠がないため、伝説となっています。
最も確実な証拠が残っているのは、それから何千年もの後、アルメリアで発見された紀元前4100年頃のものです。
先史時代で文献が残っていませんが、多くの陶器が誕生していたため、木に登り採ったベーリーを陶器で保管していた時に発酵したのが葡萄酒の起源なのは、想像に難くありません。
当時の葡萄酒は『血に似ていること』や『飲用によって意識が変化すること』により、『宗教的に大きな意味を持っている』と考えられていました。現在でも多くの宗教で葡萄酒を飲みますよね。
この作品では登場しませんが、教会側の聖歌隊などは神への御祈りの際に飲みます。
ところで、どれほど皆さんに成人がいるか知りませんが、最近の葡萄酒ってフルーティーで美味しい(私は学生なので見聞ですが、、、)ですよね。その理由としては、味の向上のために葡萄栽培の土壌を品種改良したり、発酵段階やボトル詰めする際に果汁を混ぜたりするからです。それゆえ、葡萄酒の種類は増えてきていますが、それでもやはり純粋な葡萄酒が一番ですよね。
まあ、そんな背景もあってか、現代に入ってからそのような色々混ぜられた葡萄酒が産まれたと思っている方が多いです。ですが、本当は違います。
現代の葡萄酒は葡萄を皮ごと潰し、発酵させて造られます。そして、皮は必要ないので濾し取りボトル詰めをするのですが、それなら古代はどうしていたのでしょうか?
濾し取る設備が整っていないため、古代の葡萄酒は苦くとても飲めたものじゃありませんでした。そこで、果汁や蜂蜜を加える事で甘くしたのです。しかし、その設備を作れる技術が生まれると共に、純正葡萄酒が市場を占めていきました。
このように、少し倒錯的ですが、古代の葡萄酒の種類は豊富で、近代になると種類が減り、現代ではまた種類が増えることになったのです。面白いですよね。
身近に溢れる物でも、ちょっとした謎がある。その謎を調べるのも面白いです。フェルミたちはそうやって謎を解き明かし、新たな技術を見付けていったのです。それでは、また会える日まで。