第八十話 天下を売る商人
多聞山城に戻った久秀は、息子・久通と数か月ぶりの対面を果たす。
久通もまた、三好家の重臣たちに対し、義継の蟄居を撤回させるべく説得を続けていたが、その願いはついに叶わなかった。
「……父上、面目ございませぬ」
憔悴して現れた息子の姿を見て、久秀の胸には少しも怒りが沸いてこなかった。
「いいんだ、頭を上げろ。おれのほうこそ、すまなかった」
「父上が謝ることなど! せめて一言、父上にご相談申し上げておれば、叔父上も死なずに……」
慟哭する久通の肩を抱いて、久秀は言う。
「おれに言ったら、絶対に止めていた。お前や義継をふん縛ってでも止めていただろう。だから言わなかったんだ。当たり前のことさ。おれがお前でも、そうしたよ」
そうして、二人は天守へと登る。
登りながら、久秀は息子に謝った。
「おれは、長慶や義興のことは、言葉を交わさなくてもわかると思っていた。そうあることが自分の役割のすべてだと思っていた。だがその裏で、おれは実の息子のお前が何を考えてるのか、全然わからなくなっちまってた。相談することすらできねえ親父になっちまってた。腹の底から、すまないと思っているよ」
そして、天守の頂きに立つ。
二人の視界に大坂湾が見える。
はるか西に、すさまじい数の船団が蟠っているのが見えた。
篠原長房の四国船団である。
「父上、いかになさるおつもりですか?」
「まずは摂津、河内で味方になりそうなやつらを堺に集める。だが、おそらく勝負にならん。負けたら、おれは姿を隠す。長逸殿の性格からして、ひとまずの勝利と摂津・河内・和泉の安定支配が実現されれば、しばらくは大和まで手を出してはこないはずだ。その間に朝廷を説き、六角・畠山を味方につけ、義継を取り戻す」
「……さすがだな、父上は。こんな絶望的な状況でも、戦う意志が折れない」
言われて、久秀は笑う。
「はっは、これが絶望的だって? おれが長慶と旗揚げしたころは、こんなもんじゃなかった。ここから盤面をひっくり返してみせるさ」
久秀の言葉は、半分は本心であった。
この状況からでも、きっと戦況は覆せる。
だが、今はそこに迷いがあった。
本当に、それが進むべき道なのか?
長慶が隣にいれば、迷うことなどなかった。
今は、ひとりだ。
そして三好家は松永久秀・久通討伐の兵を発する。
三好本宗家の兵力に、篠原長房率いる阿波三好家の大兵力が加わり、松永勢はこれに抗する力を持たない。
久秀は堺に籠るも包囲され、降伏を余儀なくされていた。
その日、天王寺屋にて、久秀は津田宗達と会談する。
「松永はん、えらいことになってもうたな」
久方ぶりに会う津田宗達は、驚くほど瘦せ、髪は総白髪となり、急激に老け込んでいた。
「宗達、すまん。あんたには迷惑ばかりかけちまった」
久秀は頭を下げたが、宗達は遠い目をして言った。
「あたしも今年でもう六十二ィや。体がもう保たんのはわかっとる。今わの際に、友を見捨てた苦い味を噛んだまま、逝きとうないさかいな」
宗達は久秀に面を上げさせ、その目を覗き込む。
「びっくりするで。あんたの目は若い時のまんまや。まだまだ戦える力が残っとる。それで、決意は変わらんのやな?」
「ああ。長慶の変えた世を、逆戻りさせるわけにはいかん」
「なら、とっときの薬を商おうか。ただし、こいつは毒薬やで」
宗達はそう言って、手を叩く。
奥の座敷から、一人の男が入ってきた。
「失礼いたします」
その声が聞こえたとたん、ずしり、と場の空気が重くなったように感じた。
入ってきたのは、身の丈六尺にも及ぶ大男である。
しかしその体にはまるで体重が無いかのように、男の足元の畳は少しも音を立てない。
部屋の中の空気が、重く、暗く、希薄になっていく感覚。
しかし、その変化が不思議なことに心地よい。
おそらくは男の纏う香と、微妙に調節された光の加減、そして男の声と肉体の雰囲気がそう感じさせるのだろう。
久秀は、似たような体験をしたことがある。
かつて三好宗三の茶室に招かれたときの体験に酷似していた。
しかし今回の体験は、用意された茶室ではないというのに、当時の何倍もの濃密さをもって実感された。
男は静かに座す。
そして低く、しかし心地よい声で名乗った。
「千宗易と申します」
宗易を横に、宗達は言う。
「天王寺屋は表向き、三好咲岩殿の御用商人や。表立って松永はんを支援するわけにはいかん。じゃによって、この宗易が、あんたはんの望むもん、用立てるさかい」
言われて、久秀は問う。
「望むものとは、例えば何を」
宗易が、静かに答える。
「例えば、三好家に勝る兵」
その答えに、久秀でさえ愕然とした。
「なんだと、そんなことが能うのか?」
「この世のことはなべて代価次第にて。見積りますに、今の世情にては、特にお安く用立て能うものと」
宗易の声の調子は少しも変わらない。
しかし、その口から出る言葉は、世の常識は逸脱したものである。
三好家は分裂したとはいえ、畿内最強の勢力であることには変わりない。
それに勝る兵を調達すると、この男は言うのだ。
しかも、今の世情ならば安く手に入れられるとも。
久秀はこの宗易という男に恐ろしいものを感じつつ、重ねて問う。
「いくらだ」
「松永さまご所有の大名物、九十九茄子に、大業物、薬研藤四郎吉光。これらに加えて、ことが成った場合の商い、宗易めに惣べてお任せいただけるのであれば」
「わかった。九十九茄子と吉光、貴殿に預けよう。戦後のことも、承った」
久秀が即決すると、利休は言う。
「おおきに。而して、商人は大商いにはおまけをつけるものでございます」
「おまけ、だと?」
「三好本宗家ご当主、三好左京大夫義継さま、飯盛城より脱出の手はずを整えてございます」
これにはもう久秀も笑うしかなかった。
「はっは、こいつはたしかに、とんでもない毒薬だぜ」
宗達も笑う。
「せやろ。最後の贈り物、気に入ってもらえたようでうれしいわ」
間もなく、宗達の交渉により堺は三好家に明け渡され、久秀は一時姿をくらます。仲介を果たした宗達は最後の仕事を終えたかのように、静かに息を引き取った。




