第七十九話 永禄の変 その4 分裂
三好義継による将軍・足利義輝の殺害、すなわち世にいう永禄の変がもたらした影響は、しかし、直接的には限定的なものにとどまった。
将軍殺害の直後、外敵の侵攻によって三好家が失った領地は丹波のみである。
軍事面から見れば義継は、永禄改元以降に失った三好家単独での畿内支配という体制を、丹波一国の支配権と引き換えに復活させたことになる。
そして、小さな誤算がもうひとつ。
大和国興福寺で一乗院の門跡となっていた義輝の弟、覚慶が、細川藤孝ら奉公衆とともに、大和から脱出した。
丹波の国主は久秀の実弟・内藤宗勝であり、一乗院の監視は大和国主たる久秀の役割である。
つまり、不運なことに永禄の変にともなって受けた三好家の打撃、そのふたつともが久秀の責任に帰することとなるわけであった。
この丹波失陥とこの責を問うべく、三好家の重臣一同は、大徳寺に松永久秀を召喚する。
呼び出された久秀は、従容として座に着いた。
「松永殿、丹波失陥はともかく、覚慶殿を取り逃がしたるは貴殿の明らかな失態。重臣一同協議にて、大和以外の領地をば召し上げるべしとの結論にござるが、異存ございまするか」
喚問の席でそう宣言する長逸の声には、しかし憐みの色があった。
久秀は頭を下げ、これを受け入れる。
「面目次第もない。領地召し上げの件、承った」
「なぜ、ご子息からの報せを受けて、即座に殺害なさらなかったのです」
「……長慶なら、何の罪もない若者を殺しはしないと思った」
久秀の言葉に長逸は深い同情を表したが、篠原長房がぴしりと言う。
「三好長慶は、もういない」
その一言で、議場に緊張が走った。久秀は異様な雰囲気を感じ、長逸に問う。
「新当主殿(義継)がおられぬようだが、この儀、新当主のご意向はいかに」
長逸が答える前に、長房が言う。
「若殿には、しばしご蟄居いただくこととなった」
慌てて長逸が釈明する。
「これも一同協議のうえのことにございまする。こたび畿内情勢は落ち着きを取り戻したといえど、一歩間違えば御家存亡の危機。かくも重大なる決断を、重臣に議すこともなく決定されるは、ご当主としてあるまじき行いにて。しばし飯盛城にてご蟄居いただくこととなりました」
そしてその間の三好本宗家は、三好長逸、三好宗渭、石成友通が三頭体制にて運営するのだという。
のちに言う三好三人衆体制である。
久秀が問う。
「しかし、それで畿内を統治能うのか。将軍不在のまま、当主もおらずに」
「将軍はいる。阿波より義栄公を奉戴申し上げる」
長房の答えに、久秀は愕然とした。
義栄とは、かつての堺公方、足利義維の子である。
たしかに義栄は将軍家の血統ではあるが、十八年にも及ぶ義輝の将軍在任を経た今、天下に義栄の名など知っている者のほうが少ない。
とんでもない時代錯誤と思われた。
「馬鹿な、それでは元長公の時代に逆戻りではないか。長慶のやってきたことを無にするつもりか」
抗議する久秀に、長房は冷然と言い放つ。
「そも、長慶殿の方針自体に無理があったのだ。義輝公推戴について、亡き実休殿も疑問をもっておられた」
前当主の方針への公然たる批判。
不遜というべき言葉であった。
篠原長房は実休亡きあと、阿波三好家の執事として、四国の統治すべてを一手に掌握している。
阿波三好家の政治体制も変わった。
実休の妻であり阿波守護細川真之の母である小侍従は、長房の弟の篠原自遁に嫁ぎ、権威の面から長房を支えている。
こうした変化を鑑みて、席次を無視して三好家全体を見れば、現在、篠原長房こそが最大の政治権力と軍事動員力を保持しているのである。
その力を以て、長房はかつての実休が理想とした形に、三好家を塗り替えようとしているかに思われた。
久秀は激昂して言う。
「領地削減も、政権中枢からの排除も、甘んじて受けよう。しかし、新当主の蟄居と義栄公の推戴だけは断じて受け入れられん。三好本宗家を蔑ろにする行為だ」
「ならば仕方がない。阿波三好家より兵を出し、逆臣として松永家を討伐いたす」
売り言葉に買い言葉である。
双方、脇差に手をかけたところで、長逸が大喝した。
「控えられよ、墓前にござるぞ!」
そして、この場の仲裁を引き受ける。
「松永殿とは私が話します。これにて評定は終了といたす」
長逸はその場に久秀と残り、他の重臣たちを解散させる。
久秀は怒りに震えながらも、長逸の面子を立て、静かに問うた。
「日向殿、正気か。足利義栄推戴など、時代錯誤もよいところだ」
「私とて、最善の策とは思っておりませぬ。しかし、現に義輝公は死に、その弟は逃げてしまわれた」
加えて長逸は言う。
「長慶殿、あるいは義興殿がご存命ならば、三好家単独での畿内支配も成立するやも知れませぬ。しかし、義継殿では、家中を治めきれない」
長逸の苦悩は、激した久秀の頭でも察せられた。
政権中枢に並ぶ他の重臣を見れば、その難しさがわかる。
三好本宗家において、長逸、久秀に次ぐ席次の三好宗渭は、かつての長慶の仇敵三好宗三の子である。
そうして、細川晴元の家臣から三好家へと移籍した者たちは、彼を盟主として仰いでいる。つまり、宗渭は旧晴元派の総帥なのである。
さらに宗渭に次ぐ石成友通も、三好家の京進出以降に加わった新参の家臣である。
京支配の開始にともなって登用された多くの人士のうち、特に家格の低いものたち、三好家との地縁的つながりが薄い者たちが、石成友通を自分たちの利益代表として支持している。
さらには彼らより席次が下の者たちを見ても、その多くが元細川氏綱家臣や、晴元家臣だった者たちである。
皆、長慶という英雄を畏敬しながらも、三好家そのものに心から忠誠を抱いているわけではなかった。
結果から見れば、義継は畿内の情勢を正確に分析し、見通したうえで将軍義輝を討ったのかもしれない。
だが三好家中の力学について、その洞察は甘過ぎたと言わざるを得なかった。
「さればこそ、私が最も重視すべきは、家中分裂の回避。松永殿、堪えてください。三好家がひとつであるためには、こうするしかないのです」
その言葉に、しかし、久秀はうなずくことができなかった。
「おれは、長慶に取り立てられていなければ、武士ではなかった。家も名も、おれには価値の無いものだ。長慶の成してきたことを無に帰するのであれば、三好家になんの価値がある」
その言葉に動かしがたいものを察し、長逸は沈痛な面持ちで言った。
「さらば、戦となりまする。すでに阿波三好家の兵、約一万五千が渡海の準備を整えておりますぞ。松永殿単独でかなう相手ではありませぬ」
「それでも、おれはやるさ。長逸殿、よく考えてくれ。これは篠原長房による三好本宗家の乗っ取りだ。長慶、そして重臣一同で選んだ当主を蟄居させ、阿波から傀儡を連れてきて将軍に据えようとしているのだぞ」
しかし、長逸は悲しげに首を横に振るばかりである。
久秀は憤激の収まらぬまま京を出た。
天下を制した三好家は三好長慶の死からわずか一年で、分裂をはじめていた。




