第七話 ニートと御曹司
久秀は戦場を離れてからも、馬を走らせ続けた。
一刻も早く堺に入るべきだった。
「おい、いつまで走らせるんじゃ! そろそろ止まれ!」
久秀の背を抱きながら、千熊丸が言う。久秀は振り返らずに答える。
「本願寺に包囲される前に、堺に入らなきゃならん。キツイだろうが、しばらく我慢してくれ」
「阿呆、わしらは良くても馬が潰れるわ。さっさと止めよ」
「馬が? まだこいつは走れそうだが」
「走れることは走れるがな。限界まで走り、そうして死ぬ。よく訓練された馬というのは、そういうものじゃ」
「そういうものか」
川沿いに出ると、久秀はすぐに馬を止めて降り、千熊丸を抱きおろした。
馬は、渇きに耐えかねていたように、川の水に夢中で鼻面を埋めた。
久秀の腕から地に降り立った千熊丸が聞く。
「松永某といったな。ぬしは馬を知らんのか。知らんくせに、あんな大立ち回りができるものか?」
千熊丸の問いは至極もっともな疑問だった。
久秀は衒いもなく答える。
「久秀だ。いい道具を使うと、見様見真似で自然にできる。なぜだかわからんが、昔からそうだ」
「なんじゃそれは。貴様、何処の家の者じゃ」
「どこの者でもないさ。五百住の住人だ。家業を放り出して、遊んで暮らしてる」
「そんな奇妙な才を持ちながら、天下に何事も為さずに、ぬしはそれでよいのか?」
問われて、久秀が少し首をひねる。
「良かないんだろうが、人に仕えるってことができない性質だから、仕様がない」
千熊丸は怪訝そうな顔をしていた。久秀はつぶやくように言う。
「それに、おれは武士じゃあないから、家を守るとか、名を挙げるとかってことが、よくわからん」
すると、千熊丸はとたんに目を輝かせる。
「家でも、名でもないものか! うむ、実はわしもそう思っていたのじゃ。まことの志とは、家や名に尽きるものではない。では具体的に何を志すべきかと言われると困るのじゃが……」
本当に困った顔をする千熊丸を微笑ましく思いながら、久秀は話題を変えた。
「それより、この刀を天王寺屋からの秘密の使者に持たせるって話、ありゃあ嘘だろう」
「うむ、嘘じゃ」
千熊丸はあっさり認めた。
久秀は拍子抜けしたように聞く。
「なぜそんな嘘を?」
聞くと、千熊丸は苦しげな顔をした。
「此度の戦は、どうもくさい。誰かが父上を謀っておるように思えてならん。事実、突然に現れたあの一揆勢、摂津方面から進軍して来たようじゃが、摂津におる宗三殿は何をしておられたのか……」
三好宗三といえば、本家である元長に対し、庶流に当たる。あるいは細川六郎に唆され、元長を殺す計略に組み込まれているのかも知れない。
「なんとか父上にこの戦をやめさせたい。そう思っておったところに、ぬしが来た。渡りに舟じゃと思った。それに、その刀が天王寺屋のものなのは本当じゃろ?」
「ああ。確かに宗達から受け取ったものだ」
「うむ。天王寺屋が懇意にしておる者なら、間者の心配はないと見たのじゃ。慧眼であろう?」
千熊丸が子供っぽく笑う。
戦場を離れ、少し余裕が出て来たらしい。久秀は苦笑して答える。
「ああ、坊ちゃんの言う通りだ」
「む、坊ちゃんはよせ。わしは三好千熊じゃ。ぬしは久秀じゃな。覚えたぞ」
「光栄なことだ」
久秀が笑うと、千熊丸は少しはにかんで言った。
「こうして身分を気にせず話すのは、久しぶりじゃ。阿波にいた頃は弟たちがおったが、畿内に来てからは近習に始終囲まれて、遊びにも出られぬ」
「御曹子も楽じゃないな」
「そうじゃ。わしも久秀のように遊んで暮らしてみたい」
「よせよせ。ロクなもんじゃねえ」
二人が笑う。
馬が、もう走れると伝えるように、ゆっくりと立ち上がった。
「賢い馬だ。そろそろ行くか」
「うむ。父上は必ず脱出しておられるはずじゃ。先に堺に入って待とう」
二人は再び馬に跨ると、摂津の道を南へと下っていった。
■TIPS
三好宗三:統率78 武力69 知略89 内政88 外政88
三好本宗家の血族であり、細川高国との戦いでは元長の本隊に先行して畿内に渡り、桂川の戦いに参陣、勝利に貢献。細川六郎と元長が対立すると、細川六郎側近としての立場を重んじたか、六郎側に立つ。以降、細川六郎の側近として、木沢長政とともに畿内支配の安定化に尽力。京兆家による国人支配強化に奔走するが、摂津国人からの反発を受け、成長した三好長慶と対立することとなる。茶器をはじめとした美術品の熱心な愛好家でもあり、のちに今川義元、織田信長の愛刀となる宗三左文字の所有者としても知られる。