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第六十五話 教興寺の戦い その2 晴元幽閉

 五月の、よく晴れた日であった。


 会見の場は、摂津普門寺(ふもんじ)。その寺域に、簡素な城が築かれていた。

 和睦にあたり長慶が条件として提示した、晴元の隠居先となる城であった。


 晴元は騎乗せず、輿こしに乗って現れた。

 その輿のすだれが上がり、一人の年老いた男が見える。

 晴元を迎えに出た久秀は、なまの晴元の姿を十数年ぶりに見ることになった。


 細川晴元は、今年で齢四十九を数える。

 久秀より三つ年下である。


 しかし、今の晴元は、まるで七十近い老人のようにしか見えない。

 かつての貴公子の面影はなく、打ち捨てられたぼろ切れのように、くたびれ、生気を失っていた。


 その晴元が、輿から降りるとき、ふとよろめいた。

 久秀はその手を取り、肩を支える。


「六郎殿、こちらへ」


 久秀は、自然、かつて晴元に対しそうしたように、長慶への示すのと同じだけの敬意を以て彼を迎えた。

 晴元はその対応にひどく狼狽うろたえ、こう聞いた。


「かたじけない、ありがとう……貴殿、名はなんと?」


 久秀はさすがに息を呑み、それから静かに言う。


「松永久秀にござる」


 あえて、実名を名乗った。

 あのころのように。

 晴元は驚いたように目を丸くし、それから、懐かしむように力なく笑った。


「そうか、松永殿か。そうか……ふふ」


 これが、この男が、細川晴元か。

 長慶と久秀の前に常に立ち塞がり続けた、生涯最大のあの敵なのだろうか。

 三好元長を謀殺し、敵対する細川一族を滅殺し、将軍にも背いた、果てしない権勢欲の権化であったあの細川晴元の末路が、この枯れ果てた姿なのか。


「哀れに思うかね、松永弾正」


 晴元が、そう問うた。

 久秀は沈黙する。答えを待たず、晴元は言った。


「だが、今こそ私は実感しているよ。大きな時代のうねりの中で、私はたしかに、大きな役目を果たしつつあるのだと」


 それから無言のまま、二人は会見の場まで進む。

 部屋には、長慶がすでに座していた。

 晴元が入ると、長慶は平伏し、旧主を迎えた。


「……久しぶりだな、長慶」


「互いに生きて再び会えたことをうれしく思いまする」


 長慶の言葉に、晴元は眉をひそめた。

 言葉の底に、氷室ひむろのように冷たいものが感じられたのである。


 長慶はここで自分を殺すつもりなのではないかと思い、周囲に侍の気配を探ったが、城の中は人のおらぬが如くしんと静まり返っていた。

 そうして、今さらそのようなことを案じる自分をおかしく思い、ふっと笑った。


 長慶は言う。


「普門寺城、かように空けておりますれば、好きに使われるがよろしかろう。軍を入れるには適さぬ城なれども、この城におられる限り、御身の安全は三好が請け合いまする」


「長慶、ひとつ聞きたい」


「なんなりと」


 晴元は威儀を正し、声に力を込めて言った。


「なぜ、将軍との和睦を受け入れた? 京を安定支配し、朝廷と紐帯を築き、あと十年もこれを続ければ、室町幕府はその機能を完全に喪失し、貴様を中心とした新たな政体を築くことも可能であったろう」


 問うとともに、晴元の目に生気が戻ってくる。


 今、晴元は畿内の覇権を争ったこの時代最大の英雄のひとりとして、新たな時代の覇者たる長慶と向き合おうとしている。

 それが、長慶にも久秀にも、はっきりと見て取れた。


 長慶はしばし沈黙し、熟慮のすえに口を開いた。


「……応仁の乱より数えれば、天下の動乱百年におよび、一刻も早くこれを終結させるのは万民の望むところです。私が京を十年支配したところで、その安定は畿内のごく一部に限られたもの。対して、正統の将軍と認められた義輝公の権威に、安定した畿内の基盤が加われば、全国の争乱を停止ちょうじできる可能性があります」


 長慶の言葉を後ろで聞き、久秀はうなずく。

 畿内安定から、一足とびに全国政権へ。長慶の展望はまさしく天下人のものであり、胸を張って答えられる理屈であると、そう感じていた。


 しかし、晴元はもう一度問う。


「本当にそれが理由か?」


「本当か、とは?」


 長慶も問いの意図を図りかねたように、そう聞き返した。

 聞かれて、晴元は言う。


「私にさえ見えたことが、お前に見えないはずがない。長慶、お前は恐れたのではないか? 将軍を追い、朝廷を抱き込み、幕府を滅ぼし……その先に自分を待ち受けるものが、怖くなったのではないか?」


「…………」


 長慶は押し黙った。

 晴元は続ける。


「己を押し上げようとする力と、引きずり降ろそうとする力……私はいつしかそうした外からの力に支配され、己の意思の介在する余地なく、傀儡のごとく判断を下すようになった。しかし天下に臨んでひとり立つものは、誰であれそうした力に縛られる。縛られざるを得ない。それが天下というものだ。違うかね?」


「……違いませぬ。私のとる行動は、もはやほとんど私の意思を離れている。妻と離縁し、二人目の妻に義父の死を告げたとき、自分がすでに天下に支配されていることに気づきました」


 長慶がそう答えたとき、晴元の目に、一瞬、深い憂愁の色が差した。

 晴元が言う。


「長慶、それなら天下など、放り出してしまえ。今なら、何も失わずに済む。京を六角に明け渡し、河内を畠山にくれてやれ。天下の争乱に、お前まで喰われることはない。私にはわかる。いや、私にしかわからぬ。それが、お前の残りの人生を幸福に生きる唯一の方法だ」


 それは、長慶をだますための詐術であったろうか?

 それならば、晴元はもう少しうまい嘘をつくだろう。


 誰も晴元の本心はわかるまい。

 もしわかると者がいるとすれば、それは彼と同じく、今、天下に対峙している長慶をおいてほかにいない。


 長慶は、しばし何事かを考えていた。

 そして、静かに言った。


「それができる者であれば、はじめからこんなところまで来たりしないでしょう?」


 言われて、晴元は笑う。


「ふっ……ふふっ……その通りであるな。では、戦うのか」


「無論です」


「そうか。ふふっ、そうか。では苦しむがいい。存分に、天下にはらわたを食いつくされるまで」


 晴元はそう言った。

 それは呪いの言葉であったはずだが、久秀にはどう聞いても、弟の門出を祝う兄の言葉のようにしか聞こえなかった。


 長慶が言う。


「見ていてください。長慶の戦を」





 普門寺を去る長慶に、久秀が馬を寄せる。


「親の仇との和解とはいかなかったな。いや、そうでもないか?」


 長慶は笑って応じた。


「和解など、もう必要ないのかもしれんな。親の仇、その言葉自体が、もうずいぶん遠くにあるような気がするよ」


「気持ちのケリはついたのか? お前自身の」


「ついてはいないさ。最大の敵であり……一時は兄とも思った人だ。さまざまな想いが去来して、とても整理がつかん」


 そう語る長慶に、久秀は驚いて言う。


「そうか。お前がそんなふうに思っていたとは、知らなかったよ」


「ふふ、久秀にもあるのか。わしのことで、知らぬことが」


「馬鹿言え」


 久秀は馬首を返し、長慶の横を離れる。


「おれは兵をまとめ、若殿を支える。それでいいな?」


「うむ。義興に兵を預け、京の防衛を任せる。補佐してやってくれ」




 七月に入り、六角承禎(じょうてい)は兵を起こした。


 承禎は近江で養育してきた晴元の次子・晴之はるゆきを擁立し、長慶が旧主である晴元を普門寺に幽閉したとして、その非道をただす戦であると大義名分を掲げた。


 とはいえ、情勢から言えばその真意は明らかである。


 将軍義輝との和睦以降、三好氏は播磨、丹波、若狭、大和へとその勢力を急激に拡張しており、やがてその牙が近江、紀伊へと伸びることは明らかであった。

 近江の六角氏と紀伊の畠山氏が結んでこれに対抗することになるのは、もはや必然といってよい。

 言わばこれは、もはや避けられない戦いであった。




 そして十一月、三好六角両軍が京の東端で対峙した。


 六角承禎が決戦に動員した兵力、実に二万。

 六角勢は兵数の優位を盾に、三好勢の陣容が整わぬ間に京の東端、勝軍地蔵山城しょうぐんじぞうさんじょうおよび神楽岡かぐらおかを占拠することに成功する。


「多いな。そして速い。六角がこれほど迅速に数を集めてくるとは思わなかった。定頼の時代と遜色のない動員兵力だ……いや、このときのために、兵力を溜め込んでいたと考えるべきか」


 義興の横に並び、久秀が言う。

 その久秀に、義興が問う。


「こちらは摂津、大和、山城の衆合わせて最大兵力三万を数えるものの、各地の守備に兵を残さねばならず、しかもまだ十分に戦力が結集できていない。手持ちの兵は合わせて一万四千。どう迎え撃ちます?」


 義興の声に不安の色があった。

 久秀はしかし、はっきりと答える。


「お前が率いる初めての大決戦を、不利な状況で始めなきゃならんとは、痛恨の極みだよ。だが、勝てぬ相手ではない。兵を二つに割ろう」


「正気ですか? 兵力敵に及ばぬうえになお兵を割っては、各個撃破されます」


「まともにやったらそうなる。が、奇策がある。まず、お前をおとりにする」


 久秀が言うと、義興は怖気づくどころか、かえって表情に生気が戻ってきた。


「面白いですね。どういう作戦ですか」


「お前は選りすぐりの精兵を率いて、北白川に進め。敵は恐らく兵を割いてくるが、地の利はこちらにあり、敵兵二倍以下なら負けはしない。勝たなくていい。敵を引きつけろ」


「万一敵が大兵力をこちらに投入してくれば?」


「そうなったら終わりだが、六角家は決戦において必ず保守的に軍を動かす。神楽岡の本陣、将軍山城の前線基地、そして洛中への要路たる白川口。この三点に兵力を分散するなら、北白川に一万を割くことはありえない」


「久秀は?」


「おれは主力を率いて、手薄になった将軍山城を叩く。そしてそのまま、敵本陣の神楽岡を攻める」


 聞いて、義興が笑う。


「すごい。まさに勇者だ。しかし、一日で城を抜けますか?」


「城といっても、今の将軍山城はほとんど野戦陣地のたぐいだ。抜いて見せるのがおれの役目だろう。あとは敵を近江に押し返せばおれたちの勝ちだ」

 

 かくて義興と久秀は、それぞれの戦場に進む。

 先に戦になったのは、義興の軍勢であった。


「やあ皆のもの、見よや。あれなるは江州勢、万の軍を率いて来るかと思いきや、見ればわずか数千ばかり! 当千の武者ども、踏み散らすばかりぞ!」


 義興は数において劣勢であるにも関わらず、精兵たちを鼓舞し焚き付け、凄まじい勢いで敵陣に迫った。


 不幸なことに、この義興の抑えに回った六角勢の中に、晴元の次子・晴之がいた。


 名目上とはいえ、総大将格の晴之がここに居たのは、六角勢から見てこの場所が激戦地になるとはまったく思っていなかったためであろう。

 晴之を含め、北白川の六角勢は義興の突撃に十分な対応ができぬまま、たちまち乱戦となった。


 激戦のうしろで、白川口を松永勢が抜けていく。


 義興はここぞとばかりに寡兵のまま攻めに攻める。

 義興が率いるのは、久秀が西宮に所領を得て以来、手塩にかけて育ててきた三好家中でも最強の兵たちである。

 その強兵たちが、寡兵の不利を覆し、なお敵を穿うがち抜いていく。


 両軍互いにおびただしい死者を出しながら、それでも突き進んでくる三好勢に、六角勢はやがて崩れを見せ始めた。


 白川口は六角勢にとって、命を賭してまで守るべき拠点ではない。

 崩れたそなえから雪崩を打って、六角勢が次々と退いていく。

 その中で、晴之の備の対応が遅れた。

 三好勢が津波のように迫る中、晴之は逃げながら、背中に矢傷を負った。


 混沌とした状況の中、義興は白川口を奪取することに成功する。

 が、兵の損耗も激しく、追撃は不可能であった。


「あとは久秀に任せるしかないな」


 初の決戦を勝利で飾った義興はしかし、その胸中の不安がいや増していくのを感じていた。




「江州の侍は揃って腑抜けなるか! 貴様らが出て来ぬとあらば、我らこのまま六角承禎の本陣に突っ込むぞ! 主君の危機に穴熊あなぐまか!」


 将軍山城に迫った久秀は、城に向かって得意の大音声を放っていた。

 将軍山城の城内では、侍大将の永原ながはら重澄しげすみがいきり立つ城兵を必死に抑えている。


「待て、待て! まだ出るでない! 松永が挑発を繰り返しておるのは、我らを背後に抱えたまま神楽岡へは向かえぬためじゃ。やつがしびれを切らし、転進したところを一気に追い打つゆえ、まだ待て!」


 ほどなく、久秀は兵を転進させる。


「江州勢は腰抜けゆえ、放っておいてもよかろう。神楽岡の本陣に向かう!」


 そう叫んで、馬を走らせた。

 しばらくして、将軍山城の周囲に充満していた兵たちが消えた。


 城の前には、わずかな手勢が押さえとして残されているばかりである。


「騎乗の者だけでかまわん! 松永の背を追い打つぞ!」


 永原重澄は城中の士卒を率いて城門を開くと、押さえに残された兵たちを蹴散らし、白川口を一気に駆けた。


 その直後。


 山道脇に埋伏していた松永勢が、永原隊の背後に突如出現する。

 率いるのは、久秀の長子、松永彦六(ひころく)久通ひさみちである。


「よおし、獲物が釣れたぞ、一網打尽にせよ!」


 久通が叫ぶと、伏兵たちが永原隊へと一斉に襲いかかる。


 加えて、すでに久秀の率いる本隊は、反転して正面に待ち受けていた。

 久秀の号令一下、殲滅戦が始まる。


 細い山道で永原隊は松永親子に前後から挟まれ、為す術も無く、すり潰されるように壊滅した。

 永原重澄の首級を挙げ、久秀はさらに号令を下す。


「ここからが本番だ。神楽岡の敵本陣を突く!」


 京の東に、巨大なときの声が上がった。




 将軍山城を痛撃し、その拠点機能を麻痺させた久秀は、後顧の憂いを断ち、六角承禎の本陣、神楽岡へと兵を進めた。


 六角勢の本陣兵力は、およそ一万。

 これを撃退すれば、京における三好方の勝利が確定するばかりでなく、畿内全域において三好方は圧倒的な優位を得られるであろう。


 本陣周辺に威力偵察を行った久通が、敵情を報告する。


「敵は神楽岡全域に広く布陣しておりまする。兵力拮抗すれども、敵方は陣を固く守る構えなれば、強攻は困難にて」


 久秀は報告を聞き、首を振った。


「それでも攻めねばならん。敵は六角だけではない、畠山が南から攻めてくるなら、我らが一刻も早く六角勢を京から駆逐することが肝要だ」


 久秀は軍を分け、各所から神楽岡本陣への攻撃を開始する。


 久秀自らも一隊を率い、主攻を担った。

 四方から同時に攻め寄せる松永勢の攻撃に、六角勢の兵が分散する。


 そのとき、久秀はその視界に、六角承禎の馬廻りを捉えた。


「見よ、六角承禎の備ぞ! あれへ攻め上れい!」


 怒号一下、久秀の手勢が神楽岡を駆け登る。


 寄せ手の勢い、敵方を圧倒し、急造の陣を踏み破る。

 六角承禎の首まで、あと壁ひとつ、陣ひとつ。


 そこまで迫ったとき、にわかに頭上、太鼓の音が鳴り響いた。


「……ものども、伏せよ! 伏せよ!」


 久秀が叫んだ。


 ほとんど同時に、松永勢へと矢の雨が降り注ぐ。


 ただの矢雨ではなかった。

 その狙い、その威力、ともに通常の弓射をはるかに凌駕し、一射一射が精密に兵たちの頭を、胸を射抜いていく。


 久秀は大樹を盾に、丘の上を見やる。


 そこには、弓を洋弓のごとく斜めに構え、驚くべき速さで矢を番え射つ武者の群れがあった。

 武者どもはことごとく室町風の綺羅びやかな具足を着込み、皆一様に尋常ならざる闘志を漲らせている。


 近江源氏に伝わる日置流ひおきりゅう弓術、その手練およそ三百による一斉射であった。


 先代定頼、先々代高頼の代より、受け継がれたる武家の伝統、その精髄。

 それを六角承禎はたしかに継承し、この一戦に惜しみなく投入してきたのである。


 これこそは三好長慶が、そして松永久秀が打ち破らんとしてきた権威、伝統、格式、その鮮やかなる抵抗であった。


 久秀のもとに久通が矢の雨を掻い潜って駆け寄り、必死の形相で叫ぶ。


「高所に尋常ならざる弓の手練多数! 反撃も進軍も能いませぬ!」


「何か、策は無いのか」


「父上、我らこの場にて壊滅ともなれば、北白川の若殿が孤立いたしまするぞ!」


 久通は、久秀の腕を掴み、その目を見据えて言う。


「下知を!」


 久秀は天を仰ぎ、瞑目して言った。


「……退却だ」


 松永隊は、士気を維持したままじわりじわりと退いていく。

 六角勢はその様を見ながら、あえてこれを追い討たず、この日の戦を終えた。


 義興、久秀の攻勢により、京における戦力は拮抗にまで持ち直した。

 これにより、京での戦いは両軍互いに攻め手を欠き、にらみ合いとなる。


 かくて畿内の大戦は、その主戦場を南へと移すのであった。

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