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第六話 敗けた

 馬上、崩れゆく自軍を見渡す目があった。

 三好家総帥、筑前守ちくぜんのかみ元長の目である。

 その視界の端に、戦場から離れてゆく一騎の影が映っていた。


「千熊丸様の陣より出たようですが……」


 近習の声に、元長の眼はちらりとそちらに動いてから、すぐ戦場へと戻った。


「捨て置け」


 息子のことを案じている余裕は無かった。

 すでに味方の陣は崩壊を始めている。


けた」


 元長がつぶやく。近習たちは、何も言葉を返せなかった。

 口に出さずとも、誰の目にも明らかな敗北であった。


 三好勢のみで固めた軍勢ならば、まだ巻き返しようもある。しかし、飯盛山城を囲む総勢一万二千の兵、その半数以上が畠山勢である。城を囲うことはできても、三倍の軍勢を受け止め得るほどの強さはない。


 畠山勢を支えようと元長の本隊が動けば、その瞬間、飯森山城の木沢長政が背後を突いてくるだろう。

 詰みである。

 元長は感情を表に出さず、左右に下知し、叔父の三好一秀(かずひで)を呼んだ。


「おう、大将。こりゃあ負けじゃな。ここからどうする?」


 一秀は、乱れた白髪を掻き上げながら、笑って言った。

 純粋な戦士の笑みであった。


「退いてきた畠山の兵たちを再編して左翼に固め、旗本は右翼中腹に置く。叔父御おじご、右翼先陣を任せる。ここで死んでくれ」


「任せろ。敵兵の壁に穴を穿うがつ!」


 老兵が、振り返らずに駆けてゆく。

 元長は、細かな下知を繰り返して隊列を整えながら、戦場を見渡している。

 そうして、畠山勢があらかた潰走したと見ると、一言つぶやいた。


「帰るぞ」


 貝が吹かれた。


 三好勢が、じわりと動き出す。

 乱戦の中で、三好勢の本隊が錐の形をとった。

 錐の切っ先は、本願寺勢の中央本陣を向いている。


「進め」


 元長の指令とともに、兵たちが動き出した。


 目の前には、三万を超える一揆勢が群がっている。対して今、動いている三好勢は、わずか三千程度。

 敵は十倍である。

 その十倍の敵に対し、ほぼ正三角形に固まった軍が、正面からぶつかっていく。無謀に見える進軍だった。


 一揆勢はこれを受け止めるべく中央に兵を集めながら、寡兵の敵を包囲しようと、タコの触腕のように左右にも兵を伸ばしてくる。


叔父御おじごは、惜しい武者だ」


 元長がつぶやく。

 先陣では、鬼神のごとき形相ぎょうそうで三好一秀が槍を振るっている。

 押される一方だった戦場で、そこだけが敵を押し返している。


「殿の身には代えられませぬ」


 近習の言葉に、元長は沈黙した。

 元長は、言葉のすくない将である。

 若くして辛酸を舐めた者に特有の、感情を腹に溜め込む癖がついていた。


 元長が一秀に先陣を任せたのは、自らが生き延びるためではない。

「敗けた」とつぶやいたとき、元長はすでに誰がこの状況をつくったのか、そして今回の敗戦が畿内情勢にどんな影響を及ぼすのか、先の先まで読み切っていた。読み切ったからこそ、「敗けた」とつぶやいたのだ。


 この戦場から生還したところで、本願寺は元長が死ぬまで攻撃を続けるだろう。現在の畿内において、この攻撃を止め得る勢力は存在しない。細川六郎でさえも例外ではない。

 それを承知の上で本願寺を動かしたのだとすれば、元長は六郎の器量を読み誤っていた。それが敗因であると、彼自身がすでに納得していた。


 いずれにせよ、元長は死なねばならない。

 それは一秀も同じである。

 であるなら、一秀は戦場で死ぬことを望むだろう。

 望むようにさせてやりたかった。


 右翼の先頭を行く一秀の勢いに対して、左翼の畠山勢は明らかに劣勢であった。

 主君の本陣はすでに敵中に呑まれ、形を留めていない。畠山義堯の生死も不明である。士気は上がるべくもなかった。自然、一揆勢の攻撃も、弱い左翼に集中した。


 右の一秀と、左の畠山勢。

 左右非対称となった戦力比が、次第に戦場の模様を変えてゆく。


 進軍を開始した時点では、一揆勢の中央へ突撃を敢行するかのように見えた三好勢の陣形は、左翼が押し潰され、右翼先陣が突出し、大きく右斜めに傾いた。

 もとの正三角形から、先の鋭い矢のような形へと変形している。


 一方、一揆勢は、左翼へ攻撃を集中したために、右翼側が明らかに薄くなっていた。

 そして恐ろしいことに、三好勢の矢先の向く先は、いつの間にかその最も薄い部分を狙っている。


「修羅の巷もこれで終いぞ! 笑え! 笑え! 笑うて殺せ! あの世で殺した兵の数を称え合おうぞ!」


 一秀は大声で笑い、兵を煽りながら、進む方向を少しずつ変えている。一秀の槍の向く先が、三好勢の進む先となる。

 結果、左右に薄く展開された一揆勢の陣に対し、右斜めに楔を打ち込む形が生まれたのである。


 無謀に見えた敵中央への突撃が、いつの間にか包囲離脱の好形へと変わっている。


 まるで敵味方の陣をどちらも元長が動かしているかのような、鮮やかな采配だった。

 同じだけの兵力を持たせたら、元長に比肩できる者は今、日本にいないのかもしれない。

 だが皮肉なことに、その才覚こそが人々を恐れさせ、今、元長を死地に追い込んでしまった。


 前線が包囲を抜けた。

 一騎、武者が下がってくる。


「はっはは、穴は開けたぞ、大将! これより死地を賜る」


 血まみれの一秀が、笑っている。


「ああ、あの世で少し待っててくれ。おれもすぐ行く」


 血路を開いた武者が、今度は殿軍しんがりへと向かう。

 その後ろについて行きたい気持ちを呑み込んで、元長は進んだ。

 自分もまた、死ぬべき場所で死ぬために。

■TIPS

三好元長:統率92 武力88 知略87 内政68 外政83

阿波細川家(細川氏之:六郎晴元の弟)の被官。三好本宗家当主。細川高国に敗れた祖父・之長の跡を継ぎ、若くして三好氏の総帥となる。雌伏ののち、阿波に逃れてきた前将軍足利義稙とその養子・義維および細川六郎(晴元)を擁して挙兵。高国を京から追い出し、畿内の覇権を握る。以後、足利義維を将軍候補、六郎晴元を管領候補とする「堺公方」と呼ばれる権力機構を築き、自らは堺政権における軍事力の中核を担った。元長は早期の権力基盤安定化を図り、高国との和睦を模索したが、あくまで高国の排除をゆずらない六郎との方針に行き違いが生じ、自らが擁立するはずだった管領候補・六郎晴元に謀殺された。


将軍と管領:

明応の政変以降、管領と将軍の対立が続き、将軍候補者が複数生じる事態が常態化したことから、足利将軍と細川京兆家当主の管領は互いに一組として揃ってはじめて安定した幕府権力と見なされるようになっていた。これにより、将軍候補者の側からも「誰を京兆家当主と認めるか」が政権構想における重大な要因となり、「両細川の乱」と呼ばれる京兆家の家督争いが泥沼化する原因ともなった。

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