第五十三話 将軍の離反
天文二十二年(1553)、長慶の畿内支配が強化されるにつれ、幕府奉公衆内では長慶排除の声が、上野信孝を筆頭に聞こえ始めていた。
二月末、長慶は清水寺で将軍義藤と対面する。
反長慶派と目される奉公衆、上野信孝ら六名から人質を徴収するためであった。
親長慶派の伊勢貞孝、細川藤賢(氏綱弟・典厩家当主)をはじめ、奉公衆の中でもすでに長慶を支持する者が大勢を占めている。
上野信孝は奉公衆内でも批難を浴びる結果となった。
清水寺会談ののち、上野信孝は自身の政治生命が危機に瀕していることを察知し、義藤にこうささやいた。
「公方様、細川氏綱と三好長慶、まことに信の置ける相手とお考えにあられましょうか」
前将軍義晴の時代に奉公衆の長老・大舘常興がすでに世を去っている。
信孝は今や義藤にとって、父の代から苦節の将軍家を支えてくれた、数少ない譜代の臣だった。
義藤はまだ十代である。
身近な者たちの言葉までを疑うには、若すぎた。
「信孝、言わんとすることはわかる。しかし、今は彼らを頼るより他なかろう」
「氏綱と長慶はかつて、公方様や義晴公を朽木に追い落とした逆賊。その失意の中、義晴公はお亡くなりになられ申した。いわば義晴公の仇にござるぞ」
義晴の最期を、義藤もよく覚えている。
京の奪還を目指す中での、まさに失意の死であった。
実際には義晴自身、一度晴元を見限って氏綱を支持し、現状へと至る原因を作っていたのだが、当時の義藤はまだ十歳。
政治の機微など把握できようはずもなかった。
そして、細川氏綱、三好長慶は父の仇である、その観念はわかりやすかった。
「しかし、背いたところで、勝てるか?」
義藤は問う。
この問いを引き出した時点で、すでに信孝の勝ちであった。
「公方様は、将軍におわしまする。霊山城に拠り、反攻の姿勢を天下に示さば、今は氏綱、長慶についておる各地の大名も、やがて将軍のもとに集いましょう。加えて申さば、もし氏綱、長慶が将軍を討つようなことがあれば、彼らは天下の逆賊。公方様が不退転の決意を示し続ける限り、奴らは決して霊山城を攻め落とすことができぬのでございます」
逡巡ののち、義藤の顔が紅潮していく。
想像すればするほど、己の号令のもとに諸国の大名が集結する美しい絵図が、脳裏に鮮やかに浮かぶのである。
「やるか」
ついに義藤は、義晴であれば絶対に選ばなかったであろう判断を下した。
己の判断が没落の道に続いていると想像するには、義藤の血は高貴に過ぎた。
彼は正統にして正当な将軍であり、その一点については誰もこれを否定することはできない。
まして彼自身をして、その将軍の権威がもはや通用しないなどと、考えることが許されるだろうか?
しかし、この判断こそが、足利将軍家の権威を決定的に貶める決断となり、ひいては室町幕府滅亡を招く分岐点となるのであった。
そして翌三月。
義藤は奉公衆の助言すら無視し、氏綱、長慶の陣営から離反した。
晴元勢への警戒のために築いたはずの霊山城へと、上野信孝ら反三好派の奉公衆とともに入城した。
京で将軍にまつわる騒擾が続く中、三好家の本貫地である阿波においても、ひとつの事件が進行していた。
阿波守護にして細川晴元の実弟である細川氏之は、長慶および之虎が晴元から氏綱に鞍替えした時点で、微妙な立場に置かれていた。
しかし彼は晴元と結んで長慶に反逆するでもなく、かといって積極的にこれを支援するでもない、中立を選んだ。
晴元と長慶の力量を推し量った上での穏当な判断とは言えたが、中立とはときに最も危険な立ち位置と成り得る。
事件の発端は、之虎が主君である細川氏之の居城・勝瑞城を訪れたときのことである。通り一遍の近況報告を終えて城を出ようとする之虎の耳に、彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
「……彦次郎様……」
見ると、女がこちらを見ていた。
かつての幼馴染、小少将である。
小少将は、長じてその美貌人を驚かすほどとなり、氏之が側室に求めた。
氏之には大内義興の娘が正室として嫁いでいたが、この妻との間に子は無く、小少将の父・岡本牧西は喜んで齢十二の娘を献上した。
之虎がまだ十歳あまりのころである。
小少将は恋というものを知らぬまま嫁ぎ、翌年、氏之の子を産んだ。
「彦次郎様、小少将をお忘れですか?」
小少将は之虎に近づき、そしてそう問うた。
「忘れるものか。六郎殿(氏之の子・細川真之)は息災か?」
之虎がそう問い返すと、小少将は悲しみとも喜びともつかぬ目をして言う。
「はい。十四になりました」
「そうか、もう十四か……」
之虎の瞳に、暗い影が落ちた。
真之は間もなく元服を迎えるであろう。
阿波守護家をこの先、どのように扱うべきか……。
「彦次郎様、私は六郎殿を愛しております。けれども」
「けれども?」
「叶うことなら、あなたのお子を産んでさしあげたかった」
小少将は、それだけ告げて去っていった。
その夜、之虎は篠原長房を呼び、ある策を打ち明ける。
長房はさすがに驚き、しかし心のどこかで、この日がいつか来るのを予期していたようでもあった。
「……容易ならざるご決断にて。筑前殿にはご相談を?」
「しておらぬ。兄上に言えば、決して賛成しないだろう」
すなわち、これは二人だけの謀議である。
之虎は重ねて、こう言った。
「おれは、兄上ほど純粋に天下や民の安寧を願うことができぬ。あの阿呆の将軍に振り回されるのも飽き飽きだ。せめて女一人守れずして、何が天下だと思わぬか?」
痛烈な長慶への揶揄であった。
長房は笑って答えた。
「もちろんのこと。小少将の身、我らにとっては天下より重うござれば」
「貴様も同じだ、長房。おれたちは、おれたちの国をつくろう。この阿波に。ついてきてくれるか」
長房の目が、焔の燃ゆるが如く輝いていた。
「この長房、死して地獄と極楽、いずれに往くかと問われれば、殿の御座るほうを選びまする。この世にては言うまでもなきこと」
そして、六月十七日。
之虎は勝瑞城に手勢を入れ、主君・細川氏之を討った。
その手際は粛々たるもので、戦にすらならなかった。
氏之の家臣の中から、久米義広らがこれに反発して挙兵したが、反対派を糾合する間もなく、之虎と長房はわずか三千の兵のみでこれを鎮圧する。
阿波ではこれ以上の反乱が火を噴くことなく、阿州守護の座は氏之の子である細川真之が継承。
之虎がこれを後見する形で、守護権力を取り込んだ。
鮮やかな、あまりに鮮やかな下剋上であった。
勝瑞城に入城する之虎を、小少将は妻として迎える。
「お待ち申しておりました。ずっと」
「小少将、おれは地獄に落ちるだろうな」
「その折は、私もお供仕りとうございまする」
この時を以て、之虎は名を改め、実休と法号を名乗る。
阿波においても三好家は、守護被官としての殻を破り、戦国大名としての在地支配を開始させたのであった。




