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第四十九話 江口の戦い その5 曜変天目

 六月二十四日、未の刻(午後二時頃)。

 夏空には雲ひとつなく、苛烈な日差しが川面を照らしている。


 短冊ひとつを手に、江口に籠もる高畠たかばたけ神九郎じんくろうは、同輩、一宮いちのみや佐渡守さどのかみに迫った。


一宮いちのみや殿、かかる歌が一宮殿の営巣に落ちてござった。ご説明願いたい」


  川舟を とめて近江の勢もこず 問わんともせぬ 人を待つかな


 歌の意は、よくわからない。


 いや、歌自体は簡単なものである。「川に舟を止めたまま、近江の兵は来ない。訪れようともしない人を待っているばかりだ」という慨嘆である。


 しかし、これを詠んだのは誰で、何のためにこんな歌を詠んだのであろうか。

 高畠が詰問するように言う。


「仮にこれが一宮殿の思惑であれば、もってのほか。糧秣りょうまつ心許なくとも、城中ことごとく江北衆の来援あるべしとそれのみを心に念じ、城を守っておる。それを嘲笑あざわらうがごとき歌を、あろうことか城中に置き捨てられるとは、守将にあるまじき振る舞い」


 一宮佐渡は短冊を受け取り、困惑したようにそれを眺めている。

 高畠が続ける。


「仮にこれが一宮殿の作ではなく、もし長慶方の歌であれば、なお由々しきこと。六角勢は来ぬとして内応を迫ったものと見るが、歌のみ落ちて誘降の文がない。すなわち一宮殿はすでに長慶の誘いに応じておるということ」


「さような言いがかりがあるか!」


 一宮は怒りを発して怒鳴った。

 すでに、それぞれの従卒だけでなく、城中の雑兵たちまでがわらわらと集まってきている。


「裏切りでなければ証拠を見せい、証拠を! 誘降の文があろう!」


「そんなもの、受け取ってもおらぬし、歌も詠んではおらぬ!」


 両将の言い争いが続く中、周囲の兵たちの間にもいさかいが広がっていく。


「貴様、昨晩どこにおった! 長慶の兵を招き入れる算段をしておったのだろう」


「こやつ、米を隠しておるぞ!」


「裏切りじゃ! 裏切りじゃ!」


 六月の湿地帯である。

 じめじめとした暑さと、食料の不安、そして包囲されているという圧迫感が、城兵たちの精神を蝕んでいる。

 そこに、一首の歌が火種を投じたのである。


 そして、喧嘩が始まった。


 事態を聞いた宗三が駆けつけてきたときには、すでに現場は収拾困難な状況に陥っていた。

 兵たちの喧嘩が、刃傷沙汰にまで及び、到るところで切り合いが始まっていた。


 宗三は呆然としながら、原因となった短冊を手に取る。


「……このような紙切れひとつで、かくも人の心をもてあそぶか。とても私ではかなわん」


 そのとき、城外から鬨の声が聞こえた。


 正面から、長慶の大軍勢が攻め寄せて来たのである。

 固めたはずの門は、守るはずの城兵が消えたまま、脆くも破れた。

 城内に、悪鬼のごとき敵兵が満ちていった。




 長慶方の兵が城に侵入すると、城中はたちまち阿鼻叫喚の地獄と化した。

 兵たちは逃げ惑い、川へ落ちて溺死する者たちが相次いでいる。


 遅れて城中に突入した久秀は、本丸と思しき陣地にまっしぐらに向かう。


「首はいらん! 宗三殿の私室を見つけろ!」


 久秀は陣中を駆け回りながら、供回りに向かってそう叫んだ。

 部隊の副将を任された松山新介が、川岸を指して言う。


「宗三は舟にて逃げるのでは? そちらを探したほうが!」


「違う、部屋だ! この乱戦で持って逃げたりはしない、おれなら絶対にせん!」


「は!? 何をお探しで!?」


 やがて、陣の奥に惣村の名主の家と見える屋敷を見つけた。

 陣幕が張られており、おそらくはここが宗三の居住地であろう。


 久秀が屋敷に突入すると、すでに中はもぬけの空であったが、その一室に、宗三の私物が収蔵されていた。


「なんと、かくも過酷な戦場に、こんな宝物を持ち込んでおるとは」


 松山新介は茶器を前にして、呆れたように言う。


「過酷な戦場だからこそ手元に置いておきたかったのだろう。いずれも失われれば日ノ本にとって大損失となる名物ばかりだ。乱取りさせるわけにはいかん」


 その中から、久秀が一点、木瓜印もっこういん桐箱きりばこを見つけ、手に取った。

 木瓜は、摂津池田氏の家紋である。


「それが、宗三が略取したという池田家の家宝ですか」


「そうだ。これは長慶を通じて、池田家に戻す。だが……」


 久秀は、宗三ほどの名人が我を忘れて求めるほどの名物がいかなるものか、確かめずにはおれなかった。


 桐箱を開けると、中には、一点の茶碗が収められていた。

 久秀が取り出したその茶碗を覗き込み、新介は驚き、腰を抜かした。


「な、なんと……この世に、かようなものが在るのですか」


 その茶碗は、暗闇のような黒い肌をしていながら、傾けると光を受けて七色に輝くのであった。

 そうしてその内側には、まるで夜空を覗き込んだかのように、瞬く星たちが舞っている。

 小さな椀の中に、宇宙を映じた茶器。

 吸い込まれるほどに、美しい茶器であった。


「……宗三、あんた、生まれる時代を間違えたよ」


 久秀はそうつぶやき、器に魅せられる気持ちを振り切るように、再び茶碗を箱へと戻した。


「戦は続く。ものを愛でる世になるには、まだしばらく戦いが必要だ」


 まもなく川岸で、敵将討ち取ったりの声が響く。

 この日、宗三方では細川家縁者の天竺てんじく弥六やろく、晴元側近の高畠神九郎、一宮佐渡守ら多数の将が討死。

 死者の総数は八百にも及んだという。


 のちに江口の戦いと呼ばれる戦が終わった。

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