第四十六話 江口の戦い その2 氏綱と長慶
九月、長慶は堺を訪れていた。
遊佐長教との会談に臨むためである。
遊佐長教、細川氏綱、ともに現在は紀伊に潜伏中の身であるため、直接の会合は困難を極めた。
久秀は津田宗達、九条稙通と図り、遊佐長教と三好長慶という畿内の大名同士が秘密裡に会える場を、堺に整えた。
会談の前に、久秀は言う。
「長慶、遊佐殿は会合に同席する人間として、仲介者の宗達のほかに、三好方からはお前と取次のおれの二人だけの出席を要求している。向こうも遊佐殿ともうひとりが出るらしい。九条殿の仲介ゆえ、まず晴元殿に漏れることは無いはずだ」
「うむ。先方の、もうひとりの出席者とは?」
「わからん。問い合わせちゃいるが、回答がもらえなかった。そこは遊佐殿を信じるしかない」
長慶はうなずき、会談の場である天王寺屋の客間に入る。
中では、遊佐長教がひとり座し、宗達は部屋の隅に控えている。
「……筑前守殿、お初お目にかかる。遊佐河内にござる」
「三好筑前に。此度はご足労、まことに感謝申し上げる」
長慶と久秀が座に着くと、長教は自分の頭をぴしゃりと叩いて言った。
「いや、わかってはいたが、若い。この若さで、あの戦強さか」
「時の運にござろう。むしろ私は、敗れても決起のたびに勢力を増す、遊佐殿、次郎(氏綱)殿をこそ恐れておりました」
長慶の言葉は実感を伴っており、隣で聞く久秀の耳にも、謙譲や阿りには到底聞こえなかった。
舎利寺の戦いは、それだけの死闘であった。
長教はその言葉を受けて、勢い込んで言う。
「そのこと。敗れても次郎殿のもとに兵が集うは、裏返せば晴元殿は勝っても諸勢の支持を得られておらぬということ。晴元殿は知恵人に優れ、野望高く、潔癖なれども、人を制さんとする心強く、それ故、人が服さない」
長教の晴元評は、皮肉なことにかつての三好元長への評価に似ていた。
長慶は複雑な表情で、短く言葉を返した。
「耳の痛いことですな」
長教はさらに一歩を踏み込む。
「それがしが次郎殿を奉戴したのは旧主の命によるもの。しかし、次郎殿のお人柄に触れ、この方こそ管領たるべき御仁と思うようになり申した。すでにお気づきかと存ずるが、本日の本題、次郎殿を京兆家の当主とするべく、筑前殿のお力をお借りしたいと思い、参った次第」
遊佐長教は、そうはっきりと本意を告げた。
長慶は即答せず、わずかに間を置いて、それから率直に言う。
「実は、迷っております。此度の戦は、宗三の追放を求むるもの。しかし、次郎殿のお力をお借りするとなれば、それは即ち、京兆家の家督争いとなる。河内殿のお言葉、重々理解すれども、まことそこまで戦を広げるべきかどうか」
「もっともに候。さればこそ、お呼びしており申す」
言って、長教はぽんぽんと二度手を叩く。
それに応じて宗達がするりと襖を開く。
奥の間から男が一人、姿を現した。
男は、武人というより、学者のような風貌をしている。
額広く頬痩けて、細い目の奥に深い知性と謹しみが同居しているのを感じさせる。いかにも才気煥発な晴元とは違った、物静かな印象を与える人物であった。
「姿を隠していて、すみません。筑前殿の本意、確かめたうえでお会いしたいと思い、次室にて控えさせていただきました。細川次郎氏綱にございます」
相手の名乗りを聞いて、久秀は驚き目を見開いた。
たしかに、氏綱方からの出席者は二名とされていた。
約定違いには当たらない。
しかし、氏綱こそはいま畿内を揺るがす戦乱の中心人物である。
狂気の沙汰であろう。
この場で長慶と久秀が彼を殺害すれば、それで戦は終わりではないか。
しかし長慶はこれを予期していたらしく、少しも動じず、すかさず平伏し、口上を述べた。
「三好筑前にございまする。拝謁、恐悦の至りに」
久秀も続けて平伏した。
ここぞのとき、久秀は長慶の判断ならば一瞬も迷うことなく従う。
それがこの主従の強みである。
氏綱は長教とともに対面に座し、二人に面を上げさせて言った。
「筑前殿、私は実のところ、京兆家の家督自体には意味を見出しておりませぬ」
これには久秀だけでなく、長慶も怪訝な顔をした。
そして当然の問いを発する。
「では何のために挙兵を?」
「それです。何のためにか。そも細川京兆家という家の力を保つためならば、戦わぬがよろしい。細川家のみならず、畠山家も、三好家もそうです。一族同士で相争うがゆえに、力を失っている。では、私たちは何のために戦っているのでしょうか」
「それは……」
長慶が言葉に詰まると、氏綱はゆっくりとした声で答えた。
「過去よりの怨恨のためもありましょう、中には天下に覇を唱えんとして戦を繰り返す者もおりましょう。しかし私を含め、多くの力弱き者にとってはそれら以上の現実的問題として、戦わねば生き残れぬからです。多くの大名、国人たちが、同じ理由で争っておるのです」
氏綱は続けて言う。
「晴元が勝ちを重ねても人々の支持を得られぬ理由が、ここにあります。晴元は敵のみならず、自らの味方をも強力に支配しようとする。安全を求めて戦っているはずが、晴元の下では味方であっても安全でない。それゆえ、晴元は彼より強い者に支持されることはあっても、彼より弱い者には叛かれるのです」
長慶は聞きながら、この哲人のような大名に驚いていた。
このような大名がいるとは、思いもしなかった。
氏綱が続ける。
「私が晴元と戦う理由もまた、ここにあります。彼が京兆家の当主にある限り、京兆家は畿内のあらゆる勢力から、際限無く恨みを買うことになるでしょう。どこかでこの状況を終わらせなければなりません」
氏綱の言葉のあと、やや間を置いて、長慶が問う。
「されど、晴元殿も統制を強化せんとするは天下静謐がため。いかなる力であれば、戦を止められるのでしょう。将軍家の威光も、戦での勝利も至らぬとあれば……」
「権威や武威で以て戦を鎮めるのではなく、諸勢力の利害を調整し、統合できる者が権威を輔弼すればよいのです。戦は、そのための手段に過ぎません」
「つまり、上からでなく、下より政体をつくれと」
氏綱がうなずく。
たしかに、晴元の国人統制が破綻を来たしているのは、国人たちが自ら望む惣領と晴元が望む惣領との間に、齟齬が生まれているためである。
そうであるならば、どのように自家を統治するかは国人衆自体に決めさせ、三好家はそれを保証すればよい。
今回、池田家が三好家に求めたのはまさにその役割であり、同じ期待を抱いている家が他にも多数あることは、容易に想像できた。
氏綱の巨視眼的政策と、長慶の現実的方針とが、期せずして合致している。
長慶はわずかな逡巡ののち、はっきりと言った。
「次郎殿、筑前は腹を決めましてございまする。此度の戦、次郎殿を盟主とし、反宗三に留まらず、反晴元の諸勢糾合し、天下静謐がための緒戦と為しましょう」




