第四十四話 三好宗三
およそ半年ぶりに越水へと戻った久秀は、山積した政務と訴訟の裁決に忙殺されていた。
その久秀の私邸に、天王寺屋の津田宗達が訪れる。
「おお、宗達殿。何のもてなしもできず、すまん。今宵は明石の蛸を用意させた。今持たせよう、しばし待ってくれ」
「いやいや、いつもご贔屓にしてもろとるさかい、気ィ遣わんでや」
宗達はそう言いながら、腰を下ろす。
久秀はあらためて、頭を下げた。
「堺包囲の折の尽力、いくら感謝してもし尽くせん。心以て、ありがとう」
「やめてや、そんなん。まあ、わてもこれでようやく、元長公の墓前に顔向けできるような気がするんや」
元長の死から、十五年の時が経っていた。
久秀は今や三好宗家の筆頭家老であり、宗達は堺随一の豪商である。
そして互いに、いい具合に年を取っていた。
そこに酒と蛸が来る。
久秀が、酒盃に酒を注ぎながら言った。
「明石の蛸漁ってのは、奈良朝以前から続く古い漁法らしい。本当かどうか知らんが、食い方も当時から変わっておらんのだとさ」
その刺身になった茹で蛸を飲み込んで、宗達がしみじみと言う。
「古いと言えば、わてらの縁もずいぶん古い。思えばあれが始まりやった。平蜘蛛の茶釜を拝領するっちゅうて、死地に等しい飯盛城に駆け込んでったな」
「ああ。あれがおれの人生を変えた。奇妙な縁だ」
「その縁に免じてな、会うてもらいたい人がおるんや」
いつも闊達なはずの宗達の声が、暗く、深い。
久秀はただならぬものを感じ、問うた。
「誰だ」
「三好、宗三」
宗達がその名を口に出すと、久秀は沈黙した。
「たぶん引き抜きっちゅうか、懐柔やろうな、目的は。松永はんが応じひんのはわかっとる。それでええから、会ってみてほしいんや」
宗達の言葉に、久秀は困った顔で再び問う。
「分かってるなら、なぜ会わせようとする?」
「あんたから見たら、三好宗三ちゅう人物は、どう映っとるんやろな。小賢しい小才子か、鼻持ちならない気取り屋か。どっちも間違ってへんけど、あの人はそれだけの人間とはちゃうで」
宗達は酒盃を口に運び、一息に飲み干して続けた。
「おそらく、近いうちに長慶はんと宗三はんはぶつかるやろ。わても商人や、そんくらいはわかる。そんで、そうなったら長慶はんに勝ってほしい。利害からも、感情からもそう思っとる。それでも、その戦いん中でどんなもんが切り捨てられていくのか、それは本当に切り捨ててええもんなのか、あんたには見とってほしいんや」
あるいは、それは宗達なりの、天下への憂いなのかもしれない。
久秀はそう受け取り、うなずいた。
「……わかった。行こう」
宗三の茶室は榎並城の城中、その一隅にひっそりと置かれていた。
それはごく小さな草庵で、丁寧に手入れされた木々と花々の中に埋没するように、静かに佇んでいる。
久秀は案内の小姓に大刀を預け、脇差を帯びたまま、庵へと入っていく。
小姓はそれをたしかに認識しながら、咎めもせず、下がっていった。
主が暗殺されてもよい、という雰囲気ではない。
むしろ、ここで殺人など起らぬと、そう信じているようであった。
草庵は紹鷗好みの簡素なつくりで、茶の間は四畳半、檜の柱と土壁の、いかにも枯れた印象の小さな建物である。
履物を脱ぎ、茶室へと進むと、途端に視界が暗くなる。
南北の向きに窓は無く、北側にひとつ配された円窓のみが、障子越しに薄明かりを供給している。
暗さに目が慣れ始め、ようやく、囲炉裏を前に座す宗三の姿が、ぼうっと浮かび上がってきた。
「……来てくれてうれしいよ。ああ、腰の物はそのままで構わない。どうぞそこに」
宗三はにこやかに席を勧める。
久秀は勧められるまま、そこに座した。
座した瞬間、久秀はぞくりと、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
まるで、自分が何か曖昧な、どこか懐かしい夢の中に座しているように思われたのである。
それは明らかに、作られたこの空間の作用であった。
円窓から取り入れた光は、部屋の中心線を外し、床の間だけを照らしている。
その床の間には、牧谿のものと思われる画が掛けられている。
白く、ぼんやりと空間に浮かぶようなその画は、弱い光を受けて、ひどく遠くにあるように見えた。
わずかに香るほどに焚かれた伽羅とともに、光と影が折り重なり、距離感と現実感とを失わせる。
そこに、す、と茶が差し出された。
その茶碗が、黒い。
形は天目のようであるが、闇に溶けるような黒である。
しかしその表面に、点々と光が見えるのはなんとしたことか。
久秀は魔術に当てられたように陶然としながら、その茶を口に運ぶ。
濃い茶の苦味と、爽やかな香りが鼻を抜け、霧を払うように、はっきりとした意識が戻ってきた。
「……これは……見事な手前に」
久秀は、長慶とともに武野紹鷗から直接教わった茶の湯の様式すら忘れ、感嘆の声を漏らした。
「茶の湯は、面白いですね。己の創意を活かせる部分が、まだまだ沢山ある」
この日の宗三はひどく穏やかで、悠揚迫らず、常よりも数段、人物としての格が上がって見えた。
あるいは、これまでは久秀の目が、この人物を低く見ようと望んでしまっていたのかもしれない。
宗三が、明るい声で言う。
「来てくれて、本当にありがとう。しかし恐らくは、私からの誘いということで、懐柔が目的と思われているんじゃあないかな?」
「……そうだとすれば、お断り申し上げるつもりで参りました」
久秀がそう答えると、宗三は屈託なく笑った。
「はは、まあそうなるだろうね。でも安心してほしい。私はきみを懐柔するつもりもなければ、暗殺するつもりもない」
「されば、なにゆえ」
聞くと、宗三はいたずらっぽく言った。
「趣味の話をね、したかっただけさ。右京兆殿は真面目な方で、茶も歌も芸事は皆政治のため。諸将は武勲にしか興味なし。つまらん限りでね」
「わが主家はその点、恵まれておりますな」
たしかに、長慶の歌道はすでに宗養ほか当代一流の歌人も認めるところであるし、弟の之虎は武野紹鷗に師事して茶の湯の才を賞され、次弟・安宅冬康もまた歌に明るい。末弟・十河一存は武張った男だが、九条家の養女を嫁に迎え、家格に合った教養を身に着けようと悪戦苦闘している。
かくも家中ことごとく文武両道を尊ぶ家である。
しかし、それは三好家が特殊なのであって、まだそうした武家は少ない。
「本当は、長慶殿とも腹を割って話せればよかった。でも、今はもうその時ではないらしい」
言ってから、宗三は打ち消すように首を振る。
「ああ、やめだやめだ。そんな話より、茶の湯の話でもしよう」
「さらば、この茶器は……」
久秀はたまりかねて、気になっていた品を問う。
宗三はにやっと笑って答えた。
「面白いだろう。油滴天目という。どうぞ、手にとってよく見るといい」
言われたとおり手にとって覗き込むと、釉薬の上にきらめく点状の模様が無数に見える。
そのきらめきが油の滴のように見えることから、油滴というのであろうが、よくある金接ぎとはまったく風合いが違い、仕組みがまるでわからない。
「南宋の茶碗でね、建窯で焼かれたもののひとつだが、極稀に、そのように釉薬が焼成で変じて星が現れるらしい。その技術は唐土でもすでに失われ、再現ができないという」
「なんと奇な……いや、面白い」
食い入るように茶碗を見つめる久秀に、宗三は満足げに微笑んだ。
「ふふ、きみならそう言ってくれると思っていた。私はこれを復元したいのだよ」
そう言って、宗三は堰を切ったように語り始めた。
「和物は唐物、高麗物に一段劣るものとして扱われ、名物といえば唐朝の誰それが所持した品というのが昨今だ。しかし、私はやがて和物が唐、高麗に並ぶようになり、中からそれらを越える名品が生まれると思うんだ。いや、そういう夢を見ている。その油滴天目が日の本の窯で焼けるようになれば、その夢がひとつ叶うと思わないかい?」
久秀は、それを聞いて、目の覚める思いがした。
この男は、本当に武士であろうか。
もともと武士でなかったはずの自分より、さらに武士らしからぬ考え方をする。
しかし――
「武士がこんな話をするのは奇妙かな? でも、そもそも武士というのは、鎌倉の御家人以来、土地の管理者であり、行政官でもあったわけだ。戦がなくなれば、土地の農、工、商を興し、守り立てていくのが役目だ。私は、戦など早くやめて、そういう仕事がしたいんだよ」
久秀の内で、急激にこの男への親しみが湧き上がってきた。
そうして、たまらず言った。
「宗三殿、三好宗家の家老となりませぬか。長慶は、恨みで目を曇らせるような器量の小さな男ではない」
宗三は、笑う代わりにぽつりとつぶやくように言った。
「晴元を見捨ててかい?」
久秀は黙った。黙るしかなかった。
「できないよ。長慶にきみが必要なように、晴元には、私が必要だ。いや、私だけでなく、本当はもっと多くの人が、彼のそばにいる必要があった。けれど、そうはならなかった。私まで離れてしまったら、悲しすぎるじゃあないか」
いま思えば、すべてができすぎたことのように思われる。
可竹軒周聡の死以降、ことあるごとに国人衆からの批判が宗三に集まったのも、あるいはこの男自身があえてそのように仕向けたことなのかもしれない。
宗三はそれから、やや緊張した面持ちで言う。
「松永殿、今日はきみと話せてよかった。不躾なお願いがあるんだが、聞いてくれるかな」
「……何なりと」
「もし私が死んで、私の所有する名物たちが奪われるようなことになったとしたら、その名物たちはきみが引き取ってほしい。他の誰にも触らせたくない。すべてきみが持っていてほしい」
宗三の言葉からは、彼が抱える業の重さが、じわりと滲み出るようであった。
そうして、久秀はそれと同じ業を、自らの内側にも感じていた。
おそらくは、宗三もまた、それを感じ取っていたからこそ、今日ここに久秀を呼んだのだろう。
「承った。されば手前からも頼み入り申す。万が一、万々が一、手前のほうが左様な憂き目に遭ったとしたら、平蜘蛛の茶釜だけは長慶に返していただきたい。それ以外のものは、すべて貴殿に差し上げまする」
「確かに、承った」
その日、二人は日暮れまで種々《くさぐさ》のことを語り合い、それから別れを惜しみながら別れた。
まるで、十年来の親友のように。
そしてまるで、それが今生の別れとなるかのように。




