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第四十三話 無名の男

 舎利寺の戦いが終わり、天文十七年(1548)四月。

 六角定頼が自ら奈良へと赴いた。

 遊佐長教と会い、晴元との和睦を仲介するためである。


 この奈良行に、定頼は老年の妻を伴っている。

 夫妻は宇治で蛍を鑑賞し、春日社に参詣した。

 老境に至っても仲睦まじい夫婦の姿が偲ばれるが、この夫婦旅行にはおよそ千五百の兵が帯同していた。


 定頼は奈良で遊佐長教と会談すると、晴元との和議を取り付けるとともに、木沢長政の死後大和で勢力を伸ばした筒井順昭から何事かの相談を受け、その他奈良の相論をいくつか決裁したのち、その足で京へ上る。


 七月になり、将軍義藤と父・義晴が京へと帰還する。

 これを祝して室町殿では観世能が催され、定頼と晴元が伺候した。

 戦後処理が終わり、長慶は越水に、之虎は阿波に戻る。

 こうして、つつがなく戦のあと始末が進んでいく。


 すべてを終え、定頼も観音寺へと帰る。

 その途上。


「あれは何ぞ」


 定頼は、寺の縁側で僧たちが一人の若者を囲んでいるのを見つけた。

 近習が町人の一人から事情を聴き、定頼に伝える。


「将棋との由。あれなる若人に誰も勝てぬとか」


「ほう」


 将棋という遊戯がいつごろ日本で普及したかは定かでないが、室町後期から江戸初期にかけて競技として洗練されていったとされる。


 定頼も碁はたしなむが、将棋を指したことはなかった。興味を惹かれ近寄ると、僧たちは驚き、地面にひれ伏そうとする。

 定頼は大げさに手を振ってそれをやめさせ、若者に将棋指南を乞う。


 若者は身なりこそ粗末ながら、整った顔立ちに爽やかな目をしている。

 そうして、楽師のような繊細な指で、将棋の駒を並べた。


「駒はかように動きまする」


 声が良い。

 定頼は一通りの説明を受けると、実際に指してみたいと言い、若者を相手に一局、指し始めた。

 無論、定跡など何も知らない。

 無茶苦茶に指して、形勢は随分悪くなった。

 そこで定頼は手を止める。


「うむ、大方理解した。盤面を交換しよう」


 そう言って、盤をくるりと回す。

 若者の手元に、今まで定頼が指していた、敗色濃厚な側が渡った。

 若者は一瞬驚いた風を見せたが、文句も言わずに指し続ける。


 定頼はそこから、この若者を打ち負かすつもりで指したが、あっという間に逆転され、駒を投げた。


「負けた。おぬし、いつからこれを学んでおる」


「昨日の夕飯どきに、商人からそこの僧が買い求めました故、昨日の晩より」


 聞いて、定頼は目を剥いた。


「まことか?」


 駒と盤を買ったという僧に聞くと、僧は頷いて言う。


「まことにございまする。その者、幼き頃より存じておりますれど、将棋など触ったのは確かに昨日が初めてのはず。それで皆、驚いていたのでございまする」


 定頼は若者に問う。


「いかにして強うなった。単に頭の出来ではあるまい」


「恥ずかしながら、昨晩、一人で先後双方指し続け、習得いたしましてござる」


 嘘を吐いているようには見えない。

 たかが遊戯のことと、自嘲している風情まで見受けられた。

 思わぬ逸材の発見に、定頼は笑う。


「はっは、面白い見つけものをしたわ。貴様、名乗れ。申し遅れたが、わしは近江国主、六角霜台である」


 若者は驚いて、たちまち地べたに手と頭を突き、平伏する。


「おっ、恐れながら、只今お役目無き傭兵の身にござれば、叶いますれば仕官を! 祖父の代に仔細あって美濃より落ち延び申したが、祖先は土岐源氏にさかのぼりまする、名を……」


 若者が名を言いかけたとき、定頼が激しく咳き込んだ。


 ただの咳ではなかった。

 肺が破れるが如き悲痛なもの。

 周囲の僧さえ怖気づき、立ちすくんだ。


 近習たちは驚きながらもその体を抱え、定頼を駕籠へと運び入れる。

 去った後に、点々と血の跡が残っていた。




 一方、越水では、ある貴人が長慶を尋ねていた。

 前関白、九条稙通である。


「戦勝、祝着です」


 稙通はさして興味もなさそうにそう言った。

 長慶も慣れたもので、笑って返す。


「恐縮に。源氏注解のほうが難敵にて」


「ふふ、おもしろきこと。して、此度は三好殿にご相談あって参った次第」


「ほう、珍しきことです。なんなりと仰せあれ」


 そう答えながら、長慶は稙通が相談という内容に少し興味を持った。


 九条稙通が長慶に要求することと言えば、そのほとんどが金銭なのだが、金銭であれば稙通はご相談などと言わない。

 彼にとって大名が金を出すのは義務なのであり、自身の権威と人脈に正当な対価を支払わせるものと心得ている。


 その稙通が、改めて言う相談とは何か。


「実は、娘が拾八になる。三好殿、嫁にもらってくれぬか」


 言われて、長慶は驚きつつ、丁重に辞す。


「これは過分な……されどそれがし、正室も嫡子もおり申す」


 と言っても、稙通に年頃の娘などいないことを長慶も知っている。

 長慶の察するところ、稙通はどこかの公家より娘の縁組について相談を受けたために、その娘を稙通の養子とし、しかるべき武家にめとらせたいとの意向であろう。


 それ自体は悪い話ではないが、養女とて、前関白の娘を側室にするわけにはいくまい。

 したところで、男児が産まれれば家中騒乱の元となるのが目に見えていた。


時宜じぎいっしたか」


 稙通が首を捻る。


 三好家全体で見れば、九条家との血縁は願ってもない良縁である。

 それを見越して、稙通も話を持ち込んでいるのであろうと思われた。


 長慶は即座に代案を出す。


「申し訳ございませぬ。されど、我が弟ならば」


「阿波の三好殿(之虎)か」


「あるいは、次弟・冬康(ふゆやす)、三弟・一存(かずまさ)が」


 この婿選びに稙通は興が乗ったらしい。

 内密に三好兄弟それぞれと娘とを見合わせた。


 稙通の娘とされる夕姫ゆうひめは、長慶も驚くほどの美貌の人であった。

 そうしてさらに驚いたことに、気位高く勝ち気な性格らしく、長慶の前で三好兄弟各人の感想をずけずけと言い放った。


「末弟の十河そごう様は品が無くて嫌です。安宅様はお優しくあらはるけれど、少し頼りないし、船で居城を転々とされてはるのが不安。妾は彦次郎ひこじろう(之虎)様がよい。でも阿波は遠いのが気になりますな」


「なんや、結局顔やないの」


 稙通が苦笑する。

 たしかに、容貌だけで言えば圧倒的に之虎が優れている。

 長慶は笑って言う。


「之虎は見目みめかれども、阿波での暮らしとなり申す。一方、一存は姫をいたく気に入り、なんとしても嫁にと言っており申す。一存は粗暴な振る舞いあれど、兄弟の中では最も人との間合いの妙を得たる者。岸和田きしわだをば任せたいと思うゆえ、堺にも近くお心安く過ごせましょう。今一度、一存に機会を与えたいが、どうしても気に入らぬというところがあれば、お教えくだされ」


 そう言われて、夕姫は少し考えたあと、こう言った。


「頭の傷、そこだけ禿げておられるのを、見苦しゅうのうしていただければ」


 長慶は一瞬、さすがに苦い顔をした。


 十河一存の頭、額の直上あたりには、たしかに傷があった。

 槍の稽古の最中に起きた事故で、主君に傷をつけた家臣は腹を切ろうとしたが、一存は笑って許した。

 これを見苦しいと言われては、一存には立つ瀬が無かろう。


 それでも、長慶が姫の言葉をそのまま伝えると、一存は真剣な顔で受け取り、文句も言わずに再度の見合いの日取りを約して下がった。




 そうして、再会の日。

 現れた一存を見て、夕姫は驚きの声を上げた。


 一存の髪が、額から頭頂にかけて、つるりと剃り上げられていたのである。

 目立っていた禿は消え、代わりに傷跡がはっきりと見えた。


 一存は恥ずかしげに額に手を当てながら、言った。


「この傷は、友たる家臣との絆にござる。隠さんよりは、返ってはっきり示すがよかろうと、剃り申した。やはり、お見苦しゅうござるかな?」


 夕姫は一存のそばに寄り、その額を撫でて言う。


「いいえ、お美しゅうございます」


 一存は慌てて、顔を赤くしながら問う。


らば、その、我が妻になっていただけまするか」


 夕姫は、笑って答える。


「ええ、最初から、あんたはんがいちばん、うちの好みでしたもの」


「なんと! では額の傷は?」


「一生を託す男子の気持ち、一度くらい試しても、ばちは当たらんのと違います?」


 一存は、喜びのあまり、声が震えた。


「それがし、年少なれども、構いませぬか?」


「くどいわ、しゃんとしなさい!」


 夕姫の叱咤で、一存は背筋を正す。

 夕姫は一歩下がり、居住まいを正してから、武家の礼法に倣って深く頭を下げて言った。


「これよりはあなた様の妻として、身を尽くしまする。末永く、添い遂げさせたもう」


 一組の夫婦が、ここに生まれた。

 十河一存は、以降、九条家との縁を持つ三好一族として、長慶の政権のもっとも重要な人物のひとりとなっていくのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど、ノブヤボの十河一存の変な月代はこうして生まれたのか……
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