第四十二話 舎利寺の戦い その4 大会戦
戦場が、じわりと動き始める。
まず晴元方の左右両翼、畠山在氏と松浦守が前進を開始する。
優勢な兵力にものを言わせ、敵を包囲して撃滅しようという動きである。
これに応じるように、氏綱方は両翼を広く伸ばし、側面に回り込まれるのを防ぐ。
同時に、中央の遊佐勢が前進する。
包囲せんとする敵陣を食い破って突破する構えである。
結果的に、晴元方がいわゆる鶴翼、氏綱方がいわゆる魚鱗の陣形を成す。
これは戦術、戦法というより、自然の現象というべきかもしれない。
平地における歩兵の集団戦闘が織り成す力学の絵模様であろう。
両軍は互いに矢を放ちながら接近する。
そして必然、より敵陣を突破したい意志の強い側が、先に矢頃を越える。
最初に駆けたのは、右翼の松浦勢である。次に、左翼畠山勢が突出した。
この両翼の動きに反発するようにして、遊佐勢が中央突撃を敢行する。
左右の両翼が敵陣を突破し、包囲を完成させるのが先か。
それとも敵先陣に中央を突き破られるのが先か。
そういう戦いになった。
矢の射程内に入った軍勢は、もう立ち止まることができない。
矢の雨降り注ぐ危険領域を抜け、さらなる混沌である白兵戦の領域に駆け込むほかに道はない。
万を超える歩兵たちが駆ける。
摂津と河内の国境に、土煙が上がった。
「兄者、来るぞ」
槍を構えながら松永(甚助)長頼が言う。
久秀が長頼に、そして自軍に向けて叫ぶ。
「守れ! 両翼が敵を抜くまで耐えきれば我らの勝ちだ!」
晴元方の中央は、前一段目に松永兄弟と篠原長政、そして安宅冬康の各隊である。
彼らが、最初に遊佐勢の猛烈な勢いを受け止める。
最も危険な任務であった。
騎乗の武者たちの槍が迫る。
その突進を、槍衾で受ける。
戦場に、すさまじい激突の音が響いた。
普通ならば、これでひとまず突進は止まる。
そこから槍の間合いでの押し引きが始まるはずであった。
しかし――
「兄者、いかん、崩れるぞっ!」
長頼が叫んだときには、もはや遅かった。
敵の足軽たちが、後ろの者たちに押されながら、勢いを止められぬまま、槍を抱いて突っ込んでくる。
味方の数が多すぎるのである。
たちまち戦場は阿鼻叫喚の地獄と化した。
槍に貫かれ即死する者、腕、足に傷を負うもの、敵味方問わず数多の者が悲鳴を上げている。
各所で、槍衾が崩れ、乱戦が始まる。
「長柄のみ一旦退け! 槍衾、立て直せい!」
久秀は叫ぶが、呼応するのは周囲の手勢のみである。
万を超える敵味方が互いにひしめく大会戦の戦場において、将の声は兵の悲鳴にかき消され、馬は人の波に飲まれ、指揮することも駆けることもできない。
槍の穂があやうく久秀の頬をかすめる。
太刀を抜き、飛び出てきた敵兵を斬る。
「……これが大戦か」
久秀は十数歩退いて馬の上で立ち上がり、周囲を見渡した。
どこも同じように隊列が崩れ、混沌とした乱戦と化している。
その久秀に、一騎の武者が駆け寄る。
昨年久秀の部下となり、部隊においては伝令を務める松山新介(重治)である。
「殿っ!」
「おお、新介! 戦況どうだ!?」
久秀が問うと、重治は即座にそばに寄り、久秀の腕を掴んで引き寄せ、耳に口当てて重大な報せを伝える。
「篠原雅楽助殿討死、安宅左京亮殿討死! 前線は辛うじて崩壊を押し留めております!」
最前線で、篠原氏、安宅氏ともに一族格の侍大将が早くも討死を遂げていた。
おそらくは乱戦に突入した混乱の中で討たれたのであろう。
久秀は報せを聞くと、前線に長頼を見定め、駆け寄って叫んだ。
「甚助っ! これより敵を押し返す!」
長頼は槍を振るいながら、大声で聞き返す。
「押し返す!? 守るんじゃないのか!」
「敵を一時引き受ける! 横の備えが統制取り戻さねば、長慶の策が実らん!」
答えて、久秀は前線に躍り出る。
と、馬を煽って後ろ足立ちに嘶かせ、兵の目を集めて大喝した。
「我こそは三好筑前守が第一の臣、松永弾正久秀なるぞ! 天下に名を残さんと欲さん者は、この首獲りに来候えや!」
たちまち、兵たちが蝟集する。
雲霞の如く湧き出る敵兵に囲まれながら、しかし久秀は弟甚助と背を預け合って巧みに応じ、一歩も退かない。
その様を見て、敵勢の中から一人の将が進み出る。
「我、三木午ノ助なり! 松永弾正、その首頂戴仕る!」
上背で久秀に勝るとも劣らず、横幅ゆうに倍はあろうかという大兵である。
久秀はこの挑戦を受けて、不敵な笑みを浮かべながら、応えて叫んだ。
「応とも! 槍合わせ仕らん! 甚助、槍を寄越せ!」
弟から槍を奪うように受け取ると、それを頭上で一回ししたのち、逆手に持ち替え、そのまま投げた。
槍は三木某の馬の鼻先をかすめる。
「ぬう犬槍ッ! しかも馬を狙うとは外道な!」
三木が驚きわめく馬をなだめようとしたとき、すでに久秀は目前にいた。
馬上、すでに千子村正を抜いている。
応ずる間もなく、三木の肩口に、鎧の上からざくりと五寸ばかり切り込んだ。
「ぐあっ!」
三木某はなんとか落馬をまぬがれたが、傷が深い。
主を守ろうと、兵たちが殺到してくる。
久秀は手負いの敵将を一瞥もせず、馬首を返すと、あっさり自陣に引き返しながら弟に向かって言う。
「甚助、横が整った。退くぞ!」
「応とも」
松永隊が、二人の指揮でぞろぞろと退いてゆく。
遊佐勢はこれを追って前進する。
久秀と甚助は、敵の追撃を受けながら、じりじりと下がる。
遊佐長教の軍は分厚く、前線がどれだけ倒れても、突破の意志はいささかも緩まなかった。
「遊佐のおっさん、くそ強ええじゃねえか!」
返り血に染まり、肩で息をしながら、久秀が遊佐長教の奮闘を賞す。
その背後に、長慶の使番が走り寄り、声をかけた。
「松永殿、出来にござる!」
「ようやくかよ! ものども、太鼓鳴らせ!」
松永隊の太鼓が激しく打ち鳴らされる。
続いて安宅隊、篠原隊からも、同様の太鼓が聞こえた。
すわ突撃かと、遊佐勢に緊張が走る。
が、一転、久秀は退いた。隣りの部隊も同じく退いていく。
遊佐勢がこれを追い討とうとした、その時。
突然、遊佐勢の前に、無数の盾が出現した。
掻盾――
通常、砦や櫓などで敵の矢を防ぐために設置するもので、折りたたんで持ち運べる形の大盾である。
これを担いだ兵たちが前線に躍り出て、一気に盾を展開したのである。
盾に阻まれて、遊佐勢の進撃が速度を失った。
掻盾自体には何の殺傷力も無ければ、そう堅牢なものでもない。
これだけで軍勢の進軍を防ぐことなどできない。
しかし、一時の防御にはなる。
その盾の後ろで、兵たちが入れ替わる。
松永隊に代わって前に出てきたのは、長慶と之虎の旗本である。
その装備が異様であった。
皆、鎧をしっかと着込み、持ち盾を手にしている。
さらに投入される、掻盾を抱えた防御のためだけの兵たち。
攻城戦のごとき武装である。
機動性と攻撃力を著しく損ねる装備であった。
そうして、ひたすら守る。
遊佐勢の進撃を遅滞せしめる。
それだけを目的とした編成であることが明白であった。
遊佐長教は前線からの報せを受け、長慶の作戦を理解し、戦場を見渡した。
すでに自軍は三好勢の懐深く食い込んでおり、転進は不可能な位置にある。
正面の敵を打ち破るほかない。
長教は法螺を鳴らし、突撃を繰り返した。
しかし、破れない。
下がった松永隊や篠原隊が遊撃隊と化して、突撃を敢行する度に遊佐勢の中で最も戦意が旺盛な部隊を叩く。
戦線はひたすら膠着し、時のみが過ぎていく。
やがて、右翼方面から勝鬨が上がった。
松浦勢が、筒井勢を退けたのである。
遊佐長教は瞑目し、使番を呼んで言った。
「無念、我らの敗北である。氏綱殿に退却を要請せよ。我らが殿軍仕る」
そこから先、戦場は凄惨なものとなった。
松浦勢に側背から攻撃を受けた遊佐勢は、包み込まれるようにして磨り潰されていく。
必死の抵抗も虚しく、遊佐勢が潰走を始める。
長慶の勝利であった。
後世の記録によれば、この日、遊佐長教の部隊は死者だけでおよそ四百名に及んだという。
戦場全体で討死したものは二千名とも伝わっている。
追撃戦では三好勢が堺から河内へと下って氏綱勢残党を掃討。
将軍は氏綱の敗報を受けて、定頼仲介のもと晴元と和睦に踏み切る。
近江坂本において義藤は晴元に謁見を許したが、前将軍義晴は、会おうとしなかったという。
京では細川国慶が孤軍奮闘したものの、十月、晴元の軍勢の前に敗北。
国慶はここに戦死した。
かくて、応仁の乱以来といわれる最大規模の会戦、後にいう舎利寺の戦いが、ここに幕を下ろしたのである。




