第四十一話 舎利寺の戦い その3 嵐の前
阿波勢の来援により戦線が膠着状態に陥ったまま、年を跨ぎ、天文十六年(1547)。
長慶は官途をかつての元長と同じく「筑前守」に、名乗りも正式に長慶として、三好宗家当主を継承したことを内外に対し明らかにした。
之虎と久秀はこの間、大和と河内における反氏綱勢力の調略に奔走。
主だったところで、畠山総州家当主の畠山在氏、汚名払拭を目指す木沢長政の子・相政、和泉国守護代の松浦守らの加勢を得ることに成功する。
そして長慶次弟、安宅神太郎冬康も、淡路から水軍を率いて参集した。
「兄上、お久しぶりです。先度は窮地にお役に立てず、痛恨の限りに」
この小柄で実直な三男は、堺で長慶が包囲された際、救出に赴けなかったことをまず謝罪した。
長慶は久しぶりの笑顔を見せ、冬康の到来を喜ぶ。
「冬康、来援心強い。思えば三兄弟が揃って戦に臨むのは、初めてのことだな」
「はい。十河家の又四郎も駆けつけると言って聞かなかったのですが、若年ゆえ、此度は涙を呑んでもらいました」
こうして晴元方の決戦兵力はおよそ二万から二万五千に及ぶ。
三月、長慶はこの大軍を率いて、摂津の原田城、三宅城を攻略。
そしてついに京へと兵を進めた。
先発して京の偵察より戻った久秀が、情勢を報じる。
「将軍は、やはり城に籠もるようだ」
「うむ。六角氏の動きはどうだ?」
長慶の声は落ち着いているものの、その目にはやはり張り詰めたものがあった。長慶ばかりではない。家中の誰もが、大戦の迫る気配を感じていた。
「六角に動きはない。定頼は静観を貫くようだ」
久秀の報告を受けて、長慶は方針を決める。
「之虎の見立てが当たったな。ならばまずは足元を固めよう」
長慶と之虎が京を押さえつつ、まず摂津を敵勢力から遮断する。
晴元はこの機に自ら兵を率い、摂津の主城である芥川山城の奪還に成功。
続けて氏綱方に奪われた摂津諸城の大部分を取り戻していった。
こうした情勢の変化を受けて、六角定頼から晴元に使者が遣わされた。
晴元は宗三ら近臣と三好家の面々を集め、六角氏からの申し出を告げる。
「霜台殿より戦勝の祝賀とともに、重要な申し出がありました。六角氏は変わらず京兆家内々の戦に直接は手を出さぬものの、我らを支持してくれるそうです」
氏綱方に京を奪われて以来、意気消沈していた晴元の顔に、生気が戻っている。
定頼に見捨てられてはいなかったという思いが、気力を取り戻させたのであろう。晴元は一呼吸を置いて、言葉を続けた。
「さらに、将軍家との和睦、霜台殿が仲介していただけるとのこと」
一同にざわめきが起こる。
戦況は盛り返したとはいえ、将軍と敵対したままでは、氏綱方と決戦に及ぶわけにはいかない。
大兵力を結集した時点で、もしも将軍が天下に激を発し、周辺の大名たちがこぞって氏綱方につくようなことがあれば、一気に存亡の危機に立たされてしまう。
そうした状況にあって、将軍家との和睦は晴元方にとって喉から手が出るほどほしい条件であった。
これに長慶が当然の疑問を投げかける。
「しかし、将軍家が簡単に和睦に応じるとは思えませぬ。今も将軍山城では兵が気勢を上げております」
晴元はうなずき、答える。
「そのこと。霜台殿は、京兆家の戦には手を出さぬが、将軍家をお守りすべく、将軍山城を囲むと」
再び議場がざわめく。
将軍家を守るために、将軍が籠る城を包囲するとは、とんでもない詭弁である。詭弁であるが、六角氏が晴元支持を暗に示すなら、周辺諸侯も軽々には動けない。
「これまで、六角氏をいたずらに刺激すべからずとて、将軍山城には手を出せませんでした。しかし当の六角氏がこれを囲むというのであれば、話が変わる。我らも兵を整え、包囲に加わります。ただし、決して攻めぬよう、遠巻きにすること。間違っても将軍に傷をつけること、あってはなりません」
そして、七月十九日。
晴元と定頼は、北白川の将軍山城を包囲。
武力で以て、晴元と将軍家との和睦を強請したのである。
幼い新将軍義藤と父義晴は、自ら将軍山城に火を放ち、近江坂本へと退く。
細川晴元の完全な勝利であった。
しかし、戦いは終わっていない。
まだ畿内南部には、細川氏綱の本隊が盤踞しているのである。
長慶は兵を南に進め、摂津と河内の国境、榎並城に入る。
三好宗三の居城である。
ここに、長慶、之虎、安宅冬康、河内から木沢相政、大和から畠山在氏、和泉から松浦守らの軍勢が集結。
決戦兵力は約三万を数えた。
進発を前に、之虎が長慶に問う。
「兄上、陣立てはどうする。戦力は四分六分でこちらが有利であろうが、勝ち切るのは難しい戦だ」
長慶はこの問いに、淀みなく答える。
「各地での戦、その報告を総合すれば、敵の現有戦力で最も恐るべきは、遊佐長教の旗本だ。氏綱殿はおそらく、これをてこに戦局を動かそうとしてくる。予想するに、敵方の陣立ては中央突破を狙うものだろう。これを三好勢で深く受ける」
敵の陣立て、そして味方の陣立てを図示しながら、長慶は言う。
左右両翼に畠山在氏、松浦守の各四千。
中央前列に篠原、松永、安宅の各千。
中央第二陣に長慶、之虎の各五千。
後陣に晴元、および彼の弟であり阿波守護・細川氏之の各六千が控える。
「遊佐勢を中央で深く受けつつ、左右両翼で数の有利を敵に押し付ける。我らの被害は甚大なものになるだろう。しかし、中央が食い破られなければ、受け潰せる」
之虎も、久秀も、これを聞いてうなずく。
それは長慶を信ずるという意味の同意である。
果たして敵は確かにそのような戦術を用いるか。
用いたとして、長慶の読み通りに戦場が動くか。
そこに確信をもって断言できるのは、長慶のほか、誰もいない。
之虎と久秀は長慶の戦術眼を、そしてそれ以上に、長慶の天祐を信じていた。
対峙する氏綱側も河内側の高屋城に兵を集め、北上を開始。
榎並城と高屋城とのおよそ中間点、舎利寺付近で、両軍は相対した。
七月二十一日、早朝のことである。
馬上、久秀が長慶に物見の報せを伝える。
「敵軍、およそ二万から二万五千。数じゃこっちが勝っているが、敵の士気も高い。向こうもここを決戦の地と定めているようだ」
「敵の配置は?」
長慶の問いに、久秀は笑みを見せた。
「ご明察の通りだ、ご主君。左右両翼に紀州、泉州の国衆各三千。中央後方に氏綱の本陣一万。そして中央先陣には遊佐長教の四千だ」
「ならばよい。作戦に変更はない」
敵陣は、長慶が予想した配置、そのままの形である。
久秀のみならず、各部隊の将たちが皆、長慶の恐ろしさを実感しているだろう。
戦は目前に迫っていた。
真夏の日差しが、ぎらぎらと降り注いでいる。
午刻を待たずして、敵は開戦に及ぶとみられた。
長慶はふと立ち止まり、遠くを見て、一首、歌を口ずさむ。
道の辺に清水流るる柳蔭 しばしとてこそ立ちとまりつれ
夏を詠んだ、西行の歌である。
しかし周囲には、清流も、日陰をつくる柳も見えない。
あるいは、戦のことを歌に託したのであろうか。
それとも。
長慶は、もとより本意など言わない。
それでも久秀には、長慶がその遠い視線の先に何を見ているのか、わかるような気がした。
「行こうか、久秀」
「ああ。そうしよう」
三好長慶がその人生で初めて直面する大戦が、ここに始まろうとしていた。




