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第四十話 舎利寺の戦い その2 長慶と之虎

 堺会合衆の仲介により危地を脱した長慶は、越水城に帰還する。


 その間、堺の包囲を解いた氏綱勢はさらに兵を進めた。

 九月四日には天王寺の大塚城おおつかじょうを陥落させ、摂津の池田信正、三宅国村を調略して晴元方から離反させている。

 いずれも、晴元の国人統制策に恐怖を感じていた国人たちである。


 さらに十三日、氏綱の勝勢に乗じて細川国慶が丹波から進出して京を制圧。

 晴元は洛北嵯峨に退避した。


 十八日には摂津における晴元方の主城である芥川山城が降伏開城。

 大略、京に加え摂津の半分が氏綱方の手に落ちたというべき状況に陥った。

 晴元方の版図は無残にも切り裂かれ、氏綱方の勝勢ほぼ定まったといっても過言ではない。


 連日、摂津諸城落城の報が届く中、しかし長慶は越水城を頑として動かなかった。


「長慶、どうする。このままじゃ越水も飲み込まれちまうぞ」


 焦れた久秀がそう問うと、長慶はただ一言、こう答えた。


「弟が来る」


 そして、十月二十日。

 冬の霧立ち込める中、兵庫津に夥しい数の船が現れた。


 事実上の阿波守護代、千満丸せんみつまる改め、三好之虎(ゆきとら)の軍勢である。

 続々と上陸する兵たちはおよそ二万を数えた。


 兵庫津で船団を迎えた久秀の前に、凛々しい若武者が現れる。

 武者は久秀の姿を認めると、静かに頭を下げて言った。


「松永殿、過日の無礼、申し訳ございませぬ。篠原しのはら孫四郎まごしろう長房ながふさにございまする」


「おお、あの時の少年かよ! いい時に来やがって、待ちわびたぞ!」


 久秀が長房の肩を抱いて言う。

 その長房のあとから、直垂姿の若者が船を下りてきた。


 男装の麗人と見紛うような、妖しいまでに美しい武者であった。


「久しいな、松永殿。出迎え、痛み入る」


 名乗られるまでもない。

 かつての千満丸、三好彦次郎之虎である。


 少年のころの美しさを少しも失わぬどころか、長じてなお人間離れして見える。

 久秀は畏れに近いものを感じながら、地に膝を突く。


「彦次郎殿、来援まこと忝ない。早速ながら、越水へご案内申し上げる」


 かくて、越水城に長慶と之虎が合流を果たした。

 二人は再会を喜ぶ間も無く、軍議に入る。


「之虎、情勢どう見る」


 長慶が問い、之虎が答える。

 之虎は阿波に在しながら、畿内各所に草を放っており、情勢については長慶以上に詳細な分析を行っていた。


「はっきり悪い。将軍もおそらく、氏綱方に寝返っているだろう。晴元殿の義父である霜台殿が動かぬのも、それゆえと思う」


 之虎は言いながら、地図を指差す。


「まず、京だ。京への進入路を確保したい。将軍の喉元に、匕首を突きつける」


 之虎の策を聞いて、長慶はさらに問う。


「将軍に対し攻撃の意思を示せば、六角氏を敵に回すことにならんか? 近江諸勢兵数二万は下るまい。氏綱の兵力が二万、合わせて四万。こちらが二万では、勝負にならんぞ」


 これに之虎は、笑みすら浮かべて答えた。


「定頼も腹では晴元を見切りたくはないだろう。娘を嫁しているのもそうだが、それ以上に注ぎ込んだ時間、思い描いた構想への未練が思考を縛る。晴元を盾にしつつ京に圧力をかければ、定頼は少なくとも中立を維持するだろう」


 之虎の言葉を受けて、長慶は定頼との会見を思い出していた。

 「晴元を見捨てるつもりはない」という定頼の言葉が、長慶の脳裏に蘇って響く。


「……よし、ならばまず狙うは大山崎じゃ」


 決まれば、三好家の行動は速い。

 長慶は西宮神呪寺(かんのうじ)に逃れてきた晴元を擁立すると、兵を山城へと進める。


 十一月十一日、之虎の名で大山崎に禁制を発行。

 京への進入路を確保するとともに、反撃の姿勢を示した。




 こうした情勢の中、将軍義晴は我が子、菊幢丸に将軍職を譲ることを宣言した。

 旧例に則れば、管領たる細川京兆家の当主が将軍の烏帽子親となるべき儀式である。それを、あえて晴元が不在のうちに、しかも近江坂本にて執り行なおうというのである。


 そして、義晴は烏帽子親に、管領代として定頼を指名した。

 明らかに、定頼を将軍方、すなわち氏綱方へと引き寄せんとする人事である。


 定頼は生来、式典好きな男である。このときは自ら有職故実を参照し、式次第を添削するほどの熱意を示した。


 かくて菊幢丸は元服を終え、義藤と名乗る。

 すべてを終え、義晴は定頼を呼んで言った。


「霜台、ご苦労であった。無事、我が子に職を譲ることができたのも、大方はそちのおかげじゃ」


「なんの。本心から申して、義晴様ならでは今日までの御苦難、打ち克ち難しと存ず」


 定頼の言葉に、義晴は幼少からの苦難を思い出し、涙がこみ上げるのを感じた。

 そして、感情の溢れるままに、義晴は言う。


「半生、将軍家の権威をなんとか再興せんともがいたが、その血脈を維持するのみで精一杯じゃった。都は荒れ、畿内は定まらず。まことに以て余の不徳の致す限りじゃが……次期将軍には、安定した京を継いでほしい。晴元には、京の鎮護の役、重すぎるのではないか。氏綱の京兆家継承、これを認めようと思うが、いかに」


 定頼は、いつものように笑って答えた。


「はっは、定頼、生涯幕府の忠臣にござれば、公方様のご意向に従うばかりにござる。されども六郎晴元、我が義理の子にて、これを攻むるは人のみちに反しまする。されば、六角は此度の戦、静観させていただきたい」


 しかし、義晴はなおも食い下がって言う。


「三好勢が京に攻め入らんとしておる。これを撃退するはどうじゃ。京兆家内紛への介入に非ず。将軍家の、京の警固であるぞ」


「なりませぬな。この近江には一兵たりとも入れさせませぬ故、坂本にて戦の決着をお待ちあれ。うかつに動いては、結果次第で将軍家の命運、左右されかねませぬぞ」


 定頼は頑として動かない。義晴も引き下がらざるを得なかった。


 しかし、将軍家も将軍義晴の一存だけで動いているわけではない。

 氏綱への期待を高める幕臣たち、そして新将軍義藤(義輝)の母・慶寿院と、その実家近衛家から、坂本での待機という消極策への反対が相次いだ。


 これに押されるようにして、義晴は定頼の忠告に反して兵を発した。

 坂本から京への通路に位置する、北白川の瓜生山の陣所を城として整備。

 勝軍地蔵山城として、入城の準備を整えていく。


 晴元、将軍家、氏綱、定頼、そして長慶と様々な者たちの思惑が入り混じる大戦が、ここに準備されつつあった。

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