第四話 三好千熊丸
※一部ルビ表記に「千熊丸」という表記がありました。ただしくは「千熊丸」です。お詫びして訂正いたします。
飯盛城が日本史に初めて現れるのは、久秀の時代からさらに二百年ほどさかのぼる、南北朝時代の終わりのことである。
楠木正成の子、正行が、足利氏の大軍勢に押し潰され、南朝の命運が決した戦。いわゆる四條畷の戦いにおいて、この城はひとつの舞台となった。
と言っても、その頃の飯森城はまだ山を陣地化したものに近く、本格的な城郭ではなかった。
河内守護畠山義堯が、腹心の木沢長政に命じて城郭を整備させ、この城を河内支配の拠点としたのは、わずか数年前のことである。
今、その畠山義堯が三好元長とともに、木沢長政の籠る飯盛山城を包囲している。
久秀は山城を包囲する軍勢を遠目に眺めながら、首を傾げる。
奇妙といえば奇妙な光景である。
かつて自分で築城を命じた城を、自分で囲んでいる。
しかも、津田宗達の言によれば、三好元長の主君であり盟友であるはずの細川六郎が、この包囲軍を外から攻撃しようとしているのだという。
「権力ってのは不思議なもんだ」
つぶやきながら、久秀は別のことを考えていた。
どうやって三好元長に会うか、ということである。
三好・畠山連合軍は、元長の指揮の下、厳重な包囲を敷いている。
単に金が目当てであれば、包囲の中のどの陣だろうとお構い無しに情報を売り込めば事足りるが、久秀の目的はあくまで平蜘蛛の茶釜である。
元長に会わなければ、意味がなかった。
「さすがに、直接行くのは無理かな」
どうやら元長の陣は、包囲のかなり内側、敵城近くに置かれているらしい。
総大将はあくまで河内守護の畠山義堯であるという建前と、自身は常に前線にあるべしという元長の意志とが、陣立てにも表れている。
その陣立てを眺めていると、久秀は奇妙なことに気づいた。
包囲の最外殻、最も安全と見られる位置に、小勢ではあるが三階菱の旗印がはためいている。
三階菱に釘抜の紋は、清和源氏小笠原氏の流れを汲む、三好氏の旗印だ。
それがなぜ、小勢で、しかもことさら安全な位置にあるのか。
(わからんが、三好の血族がいるのは間違いない)
そう判断して、久秀は陣の中へと入っていった。
入るなり、久秀は一里先にも届けとばかりに叫ぶ。
「火急の報せにて! 三好殿にお取り次ぎ願いたい!」
常人のものとは思えぬ大音声である。
衛兵は肝を潰し、半ば恐れるような表情で久秀を見ている。久秀は、あえて怒気をはらんだ声で再び叫ぶ。
「元長様のお命に関わる重大事である! 三好殿にお取り次ぎ願いたい!」
今度は陣内の将たちまでが、別の意味で肝を潰した。
戦場において総指揮官の生死に言及することなど、あってはならないことだ。それを、天まで響けとばかりに大声で叫ぶ者がいる。
普通なら切り捨てるところだが、ことがことなだけに、本当に重要な使者であったら大問題になる。切るわけにはいかない。
番兵がたまらずなだめにかかった。
「待てっ……! 待て待てっ! 話は聞いてやるからっ! まずは黙れ!」
「三好殿はおられるか!」
久秀はかまわず声を上げ続ける。
小勢の陣である。久秀の声は、間違いなく陣の主にも聞こえているはずだ。
案に違わず、ほどなく華美な具足の侍たちが現れた。
その中から、一人の少年が進み出る。
「大きな声じゃ。父上より大きな声を、初めて聴いたぞ」
その声で、一瞬、久秀の時が止まった。
久秀は無意識のうちに、膝を突いていた。
その少年が、あまりにも美しかったためである。
一見して貴公子とわかる端正な容貌。
その中で、一点、まるで燃えるように輝く瞳。
内に激情を秘めながら、声はあくまで穏やかに、夕凪の海音のように響く。
―――美しい。
久秀は初めて、人を“物”よりも美しいと思った。
一瞬とも、永遠とも思える恍惚があった。
近習の咳払いで気を取り直し、久秀は口上を述べる。
「……摂津国五百住の住人、松永久秀と申します。無礼なる振る舞い、お詫び申し上げます」
「三好千熊じゃ。元長は我が父である。父の身に危険があると申しておったな」
「全軍の士気に関わることですが、ここで申し上げても」
「よい。戦闘のさ中にあらざれば、狼狽で陣の崩れる恐れはない」
当年十歳と聞いたが、異様なほどに落ち着いている。
この年で戦場慣れしているなどということがあり得るだろうか?
ともかく、久秀は来意を告げた。
「山科本願寺が一揆勢、二万余りが当地に向かって進軍中です。早々に包囲を解き、迎撃ないし退却の準備をなさるべきかと」
陣中にどよめきが起こる。
「貴様、確かな証拠あってのことだろうな? 包囲を解くために木沢方が放った草かもしれん」
千熊丸の横に立つ武士が、声を荒げる。
久秀は少しも激さず、冷静に答える。
「本願寺は摂津、河内、和泉三国の門徒を動員中にて、斥候をお出しいただければ確認できるかと。ただし、時間はありません。堺にてこの情報を知ったのが昨晩のこと。早ければ今日にも一揆勢がここに現れましょう」
「しかし、虚報の疑いが消えたわけでもない……まずは斥候を出してから……」
動揺する武士たちを横目に、再び少年が口を開いた。
「久秀とやら、ぬしの持つ刀、天王寺屋よりの預かりものではないか?」
慮外の言葉に、久秀は一瞬迷ったが、正直に答えた。
「いかにも、天王寺屋津田宗達所持の品にて」
「やはりか。先だって宗達と面会した折、火急の要件あらばその刀を秘密の使者に持たせて届けると言うておった。この者、草にあらず。直ちに父上にお目通りいたせ」
言うが早いか、千熊丸は久秀を引き起こすように腕を取り、引っ張る。
「し、しかし若殿!」
群臣が千熊丸を止めようとしたとき、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。
草摺りのような、地鳴りのような、低い轟き。
大軍勢が道を進む音だ。
「……早いな」
久秀は、苦虫を噛み潰すように独りごちた。
堺で宗達から情報を仕入れてから、早馬で夜通し駆けて来たものの、本願寺の進軍がここまで速いとは思わなかった。
「も、物見よりご報告! 凄まじい数の軍勢が接近中! その数、およそ三万!」
「三万とな! こちらの倍を超えておるぞ!」
「旗印は!?」
「不明! どうやら一揆勢のようにて!」
とたんに陣中がざわめく。
音がどんどん近づいてくるのがわかる。
通常の進軍速度ではない。
軍全体が“駆けている”速度だ。
「ご、ご対応を! 信じられない速度で迫っております!」
「どうする!? 今から各陣に伝令を飛ばして包囲を解いても間に合わんぞ!」
「このままではこの陣が最前線になるではないか! 万一にも若殿を傷つけるわけにはいかん、単独でも撤退を!」
「馬鹿な! あの多勢を前に先陣がいち早く撤退なぞしようものなら、全軍たちまち雪崩をうって崩れるわい!」
近臣たちが口論を始め、兵たちに動揺が広がりつつある。
「鎮まれい!」
少年が狼狽する家臣を一喝する。
将兵たちが恥じ入るように膝を突いた。
千熊丸は一同を見渡して言う。
「直ちに隣の畠山陣に、迎撃の用意を整えるよう要請せよ! 我らも斉射用意。わずかでも足止めせよ、守るべきは千熊でなく父上じゃ!」
たちまち、人が動き始めた。
ついに飯盛城の戦いが始まりました。畿内の情勢はこの戦いを境にして、一気に大戦乱へと突入していきます。その中心となるのは、本願寺の一向一揆勢。信長との死闘が有名な本願寺ですが、石山合戦の30年前にも畿内で大暴れをしていました。
なおこのあたり最近またよい本が出まして、読み込んでひっくり返ってしまった部分がいくつかあります……。本作は半年ほど前に書き上げているため、新著の内容を完全に反映することはできていませんが、「最新の研究とぜんぜんちゃうやんけ!」とはならないよう、なんとか工夫していきたいと思います。
参考文献:
『一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)』著/神田千里 など
■TIPS
木沢長政(左京亮):統率82 武力78 知略85 内政52 外政78
元は畠山氏の被官ながら取次として細川氏に両属し、その立場を利用してやがて主家をもしのぐ権勢を得た。最大勢力時は山城半国、大和、河内の畿内二か国半を支配。戦国初期の典型的な梟雄であるが、織田信長とほぼ絡みがないので、歴史マニアの間での知名度と一般的な知名度との落差がすごい。
三好千熊丸(長慶幼年期):統率61 武力43 知略75 内政82 外政85
長慶の活躍は父・元長が畿内に進出したころから、その名前が資料に見られる。十歳前後から家臣団を通じて主に外交などに携わっていたようだ。松永久秀との出会いがどのようなものであったかは想像するしかないが、飯盛城の戦いでの敗戦と重臣たちの死により、長慶は少年期から人材不足に悩まされており、久秀の登用もそうした背景の中で行われたものと思われる。