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第二十九話 長慶、謀反

 九条くじょう稙通たねみちから将軍義晴の内談衆である大舘おおだち常興じょうこうを紹介された長慶は、河内十七箇所の幕府領代官権について、幕府に直訴を行う。

 大舘常興は女房衆にょうぼうしゅう宮内卿局くないきょうのつぼねを通じ、将軍義晴に上奏じょうそうした。


 これを京で伝え聞いた晴元は、三好宗三を呼び、事態の収拾を命じる。


「代官任免の件、すでに沙汰さたの済んだこと。これを不服として直接幕府に掛け合うとは、僭越せんえつと言わざるを得ません。とはいえ同族のこと、孫次郎にはその方より申し聞かせなさい」


 しかし、宗三は不安げに答える。


「承知いたしました。なれど元長の因縁もありますれば、大人しく従うかどうか」


「何を言うのです。従わなければ、武力で威圧するだけのこと。阿波の軍勢を率いてくるならともかく、畿内においては自らの城すら持たぬ者ではありませんか」


 晴元は珍しく激し、宗三に詰め寄る。


「宗三殿、私は彼の者に期待すると同時に、元長の再来となることを恐れてもいます。それを防ぐのは、あなたの役目ですよ。三好宗家はあなたが掣肘せいちゅうするのです」


「……ははっ」


 宗三はなにごとかを飲み込んで平伏した。

 このとき宗三が胸中の懸念を晴元に告げなかったことが、事態を困難な方向へと向かわせることとなる。




「おいおい、どういうことだよ。兵が勝手に集まって来てやがるぞ」


 晴元不在の摂津芥川山城あくたがわやまじょうで、久秀は城下に続々と集まってくる摂津の国衆たちの軍勢を見ながら、冷や汗を浮かべた。


 軍勢は、長慶を攻めるために集まってきたのではない。

 むしろ逆であり、長慶に味方したいと勝手に集まってきているのである。

 これには久秀も困惑せざるを得なかった。


 長慶は険しい表情で言う。


「これは予想しておらなんだが、何にせよ使者が目通りを願っておる。用意せよ」


 軍勢を城外に待機させたまま、長慶と久秀は使者と面会する。

 摂津池田(いけだ)家中の者という使者は、興奮した面持ちで長慶の前に現れると、早口で口上を述べた。


「孫次郎殿、此度、お父君の遺領継承につき、宗三殿による横領のこと、全く以て道理に合わぬこと。我ら摂津国人衆もまた右京兆殿、宗三殿の無体むたいなる振る舞いに憤懣ふんまんを抱えておりますれば、強訴ごうそ合力ごうりきすべく馳せ参じた次第にて!」


 その口上に、長慶は怪訝な顔で問う。


「待て、なんじゃと? 父の遺領?」


 使者が言うには、今回の一件、長慶が父・元長の領地であった荘園領の継承を願い出たところ、三好宗三がそれを妨害、元長を殺してその領地を奪ったものであると理解しているようであった。

 さらに使者はこうも口にする。


「わが主は伊賀守(連盛)殿よりそのように伺ったと……」


 長慶は久秀と顔を見合わせると、使者にしばし待つように言って、部屋を移る。

 人のおらぬところに出ると、久秀は声を落として聞いた。


「おい、どうする。完璧に誤解してやがるぞ」


「うむ、原因についてはそうじゃ。しかし、彼らにとって実のところ、原因はどうでもよかろう。重要なのは、摂津の国人衆が晴元殿と宗三殿に不満を抱えており、これを機会に強訴に及ばんとしておるということじゃ」


 長慶の鼓動が早鐘を打っている。

 ほとんど密着して密話する久秀にも、それが伝わってきた。

 それほど危険、かつ魅力的な機会なのである。


「なら、乗るか」


「……久秀、どう思う?」


 長慶には珍しく、本気で悩んでいるらしい。予想に反した事態であると同時に、自家の存亡にも関わる問題である。無理もなかった。

 久秀は笑う。


「いけると思ってるんだろう? この心音は、びびってる音じゃない。興奮して、やりたくてたまらんって音だ。それなら迷うことはない」


 その答えに、長慶は苦笑いで答える。


「まったく、悪い相談役じゃな。決めた。やるぞ」


 かくして、長慶は摂津国人を糾合きゅうごうし、率兵そっぺい上洛する。

 元長の死からおよそ八年。

 ここに三好長慶は初めて、自らの軍事行動を開始したのである。




 長慶の挙兵を、晴元はまったく予想していなかった。

 驚き慌てながらも、晴元は自らの軍勢を京の高雄に集め、長慶を迎撃する体制を整える。と同時に、義父となった六角定頼に援軍を依頼した。


 定頼は晴元の要請に応え、兵を京に近い近江坂本に進めるとともに、自らは京に入り、晴元と面会する。


「岳父殿、此度の失態、面目次第もございません」


 定頼を前に、晴元は家臣統率の不備を詫びた。

 定頼はいつも通り、陽気に笑う。


「はっは、婿殿、相手はあの元長の息子であろう。一筋縄では行かぬのは、誰もが承知しておるよ。恥じることはない」


 しかし、加えてこうも言った。


「とはいえ、根っこの問題は摂津の国人だな。婿殿、国主というのは、国人を御さねばならぬ。これまで、国人にその権能を奪われる同族や両畠山家を見て、情けないことと思うておられたか? しかし国主というのは、かようにままならぬもの。此度は霜台が収拾しゅうしゅう仕ろう。大いに学ばれるがよい」


 この言葉に、晴元は一層恥じ入らざるを得なかった。


 定頼の言葉通り、晴元は管領家の没落を当主の無能のせいと断じてきた。

 元長の言うがままになっていた阿波細川家。

 国人の松浦まつら氏に勢力を奪われつつある和泉細川家。

 家臣である遊佐ゆさ長教ながのり、木沢長政を制御できない両畠山家の当主たち。

 彼らを心の内では軽蔑してきた。


 それがここに来て、分国支配の難しさに初めて直面したのである。

 天下を語る前に、自らの領国を統治せねばならぬ。この思いが、晴元の胸に強く刻まれた。


 一方、事態の収拾を引き受けた定頼の対応は早かった。

 将軍義晴を動かし、摂津の主だった国人である池田氏、伊丹氏、三宅氏、芥川あくたがわ氏らに御内書ごないしょを出すとともに、晴元家臣の木沢長政にも同じく御内書を出して、調停を命じる。


 長慶はこれに対し、芥川氏を通じて、将軍家に逆らうつもりは無い旨を回答。

 しかし兵は引かず、西京に在陣する三好連盛と晴元方の軍勢との間で小競り合いが起こった。


 このような下準備を経て、ついに定頼本人が調停に乗り出す。

 定頼が提示した条件は、兵を解き芥川山城を開城させる代わりに、長慶を摂津下郡(しもぐん)(摂津西部)の郡代に任じ、西宮にしのみやの北に位置する越水城こしみずじょうを居城として与えるというものだった。


 和睦の条件を見て、久秀はうなる。


「越水城……摂津の西の端っこだな。貫高で見りゃ、河内十七箇所より落ちるが、ここは考えどこだろう」


 長慶は久秀の言にうなずく。


「うむ。年貢の取れ高と京への近さを見れば見劣りするかもしれんが、越水城の西には兵庫津がある。淡路の安宅氏と連携せば、大いに利を生むことができよう。摂津に確たる拠点を持てるというのも大きい。なにより、六角定頼の提示する条件じゃ。これを蹴れば、定頼殿は兵を動かすじゃろう。そうなれば終わりじゃ」


 折しも、山陰から尼子氏が南下しており、阿波三好家を率いる千満丸せんみつまるは阿波守護の細川氏之(うじゆき)とともにこれを迎撃すべく出陣している。実のところ、長慶には現状出張っている戦力以上に使える兵はもう無かった。




 和睦が成立し、城を明け渡すその日。

 驚いたことに、芥川山城に現れたのは、六角定頼その人であった。


「三好殿はおられるかな」


 定頼は和睦の調印に際し、城主への面会を要求した。

 長慶は威儀を整え、厚礼で定頼を迎える。


「弾正少弼殿、自らお越しとは存ぜず、失礼仕りました。お初お目にかかりまする。三好孫次郎に」


「おお、三好殿。此度は和睦成立、祝着至極。六角霜台にござる」


 定頼はいかにも機嫌よく、笑顔で言う。


「どうしても、かの英雄三好元長殿の子息を拝見したくてな。京に上ったついで、摂津までまかり越し申した」


 そうして、何を意図してか、定頼は摂津の名所など他愛も無いことを長慶に尋ね、その都度快活に笑った。

 その会話の中で、定頼がふと、不穏な言葉を漏らす。


「はっは、なるほど元長殿は見事な子息を持たれた。我が愚息にもこれくらいの器量があったれば、わしも天下に覇を唱えんとお父君と争い、桂川かつらがわで死んでおったかもしれんな」


「御冗談を。四郎殿は立派なお世継ぎとの世評、お聞きしております」


 長慶がそう答えると、定頼は突然、ぎろりとした眼を向けて言う。


「三好殿、して、これよりいかがなさるおつもりか」


「いかが、とは」


「右京兆殿は、我が婿である。あれも頼り無いところがあるが、わしはあの者を気に入っておる。わしが生きておる限り、あれを見捨てるようなことはない。もしも父君の復讐を考えておるなら……」


 長慶は、即座に否定すべきであったかもしれない。

 しかし、長慶は定頼の眼を見て、何か懐かしいものを感じていた。


 かつて覗き込んだ父の眼の中にあったのと同じような憂愁が、その瞳の奥に映じているように思えて、ただじっとその眼を見つめていた。


 己の瞳を懐かしげに凝視する長慶を見て、定頼は毒気を抜かれたのか、ふっといつもの笑顔に戻って笑う。


「考えておるなら、まあ、仕方がない。わしが死んだあとにするがよかろう」


 それから定頼は、蛇足ながらと言いつつ、こう言った。


「実際、復讐などはつまらんことだ。もし天下をうかがわんとするなら、何のために天下を得るのかを考えなくてはいかん」


「何のために、天下を得るか?」


「富も、栄誉も、権力も、ただそれを求めるだけならば、わざわざ天下をとる必要はない。天下人なぞ草臥くたびれるだけじゃ。それでも天下を望むならば、なぜそれを望むのか、考えなされ」


 それは今の長慶にとって、謎のような言葉でしかなかった。

 定頼はそれだけ言うと、開城の結果を見定めもせず帰っていった。


 その背を眺めながら、長慶は背筋をただす。

 天下人、その山の高さを仰ぎ見る思いであった。

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