第二十八話 前関白、九条稙通
長慶と久秀が堺に着いて向かった先は、商家天王寺屋であった。
「三好の若殿、おおきに。松永はんも、久しぶりでんな。此度はわざわざお越しいただき、恐縮の限りにて」
天王寺屋の若き主人、津田宗達は二人を丁重に招き入れると、余人を退けた座敷で、深く頭を下げた。
「孫次郎はん、お父君のこと、守ることできず、まこと申し訳ありまへん」
ふだん飄々としている宗達が、こうも折り目正しく人を迎えるのは珍しい。
長慶はかえって驚き、肩に触れて宗達に親愛の情を示した。
「宗達殿、貴殿が謝ることはない。むしろよく我ら兄弟を逃してくれたと、感謝しております」
顔を上げて、宗達は痛恨をにじませながら言う。
「亡き筑前守様は、手前のような商人の小僧をも卑しまず、よく語ろうてくださりました。そのご期待に、無念にも答えられず、お恥ずかしい限りや。お父君の恩に報いるためなら、天王寺屋、店をかけても若殿のお手伝いさせていただきます」
「その志、ありがたく受け取らせていただこう。して、宗達殿、相談の件じゃが」
長慶が本題を切り出すと、宗達は頷く。
そうして、声を落として言った。
「河内十七箇所の件でんな。もちろん、手はありまっせ。幕府領代官権受任の請願、右京兆殿の頭を越して、幕府に直接願い出る策など、いかがでっしゃろ」
「なるほど、悪くない。だが三好家には義晴公とつながる伝手が無いぞ」
長慶が応じると、宗達は細い目をさらに細めてにやりと笑う。
「そこは商人の領域でんな。最高のお人をご紹介いたしまっせ」
「お名前を伺うことはできるかな?」
「本来ならお会いいただくまで秘密やっちゅうとこやけど、三好殿に隠し立てすることは何もあらへん。聞いて驚かれるな、前関白、藤原長者であらせられた、九条稙通殿や」
名を聞いて、久秀がつい声を上げる。
「関白だと?」
「前の関白や。九条家はとにかく金が無いちゅうことで、稙通殿は在籍一年で関白を辞任。一時は播磨の赤松家に身を寄せておられたが、最近、堺に移らはってな、何かと世話を焼かせていただいとるちゅうわけや」
得意げに語る宗達を見て、久秀は少しからかってやりたくなる。
「金が無くて関白になれないってんなら、天王寺屋が用立てたらどうなんだ?」
「無茶言うなや! 関白の台所支えるちゅうたら、天王寺屋潰しても一年と保たんで。それに、一介の商人が関白の後ろ盾になっても、権威をそのまま金に替えれるわけやないしな」
その言葉に長慶が反応する。
「なるほど、武力が要る。と」
「さすが、千熊殿は昔っから神童やったけど、頭の冴えに磨きがかかっとりまんな。稙通殿のご所望も、まさに武の後ろ盾や」
公家の事情に明るくない久秀が、頭を傾げた。
「どういうことだ?」
久秀の問いに、長慶が答える。
「公家権門はこの時世、御料所あっても武力無くば年貢の徴収能わぬゆえな。まあ、まずはお会いしてみよう。久秀、ともに参れ」
長慶の言葉に、久秀は驚いて聞き返す。
「おれが!? 自慢じゃないが、今の話聞いてなんにも把握できなかったぞ」
「むしろそのほうが良い。九条稙通殿といえば、なかなかに偏奇な人物と聞く。そういう相手には久秀だ」
長慶の答えに、久秀は露骨に嫌な顔をしてみせる。
「変人には変人をぶつけろって?」
「言葉を選ばずに言えば、そうだ」
ともかく、二人は九条稙通が逗留する寺へと向かった。
九条稙通の逗留所は、妙国寺の辺りにある小さな寺である。
稙通はここから見える大蘇鉄が気に入り、宿所としているという。聞くだに、奇妙な人物であった。
寺を長慶と久秀が訪ねると、稙通は供も無く、一人堂に座して書を読んでいた。
二人が平伏すると、稙通はうっとうしそうに顔を上げろという。
「もう関白やあらしまへんし、喋りづらいからやめてや」
「失敬、拝顔の栄たまわり恐縮の至りにござる。三好孫次郎に」
長慶が顔を上げると、稙通はまじまじとその顔を見つめて言った。
「ほう、ええ顔や。武家には珍しい骨相やね。気に入ったわ。そっちの人はどないやのん。顔見せておくれやす」
言われて、久秀も顔を上げる。
その顔を見て、稙通が笑った。
「ああ、こっちの顔も好みやわ。なんや、三好家ちゅうのは顔のええのが揃てはりますな」
反応に困惑しつつも、長慶が本題を切り出す。
「九条殿、此度は天王寺屋の取次にて……」
その言葉をさえぎり、稙通が問う。
「三好殿、その前にこれだけは聞いときたいんやけどな、あんた、物語ちゅうたら何やと思います?」
「は、物語」
「そう物語。竹取物語、うつほ物語などなど、日の本にはたっくさん物語がおます。そん中でも、これぞ物語っちゅうのは、何やと思う?」
突然の予期せぬ質問である。
久秀は混乱して、長慶の顔をのぞく。
意外にも、長慶は涼しい顔をして答えた。
「好みにもよりますれど、源氏物語しかるべしと存じまする」
「ほう、源氏。ほんまにそう思いますか? 五四帖の中では?」
「若菜巻かと」
「若菜上巻で源氏が女三の宮を迎えた際に紫の上が詠んだ歌は?」
「目に近くうつればかはる世の中を行く末遠く頼みけるかな」
淀みなくさらりと答える長慶に、久秀が目を丸くする。
稙通はしばし考えてから、思いもかけぬことを言った。
「よろしおま。三好殿、あんたを歌の弟子にします」
「は? いや、光栄にござるが……」
流石に困惑する長慶に、稙通は言う。
「ああ、幕府への伝手やったか。そんなら大舘常興への添え状、用意します。内談衆の筆頭やし、まあ不足あらしまへんやろ」
ついでのように言う稙通に苦笑しながら、長慶は面会を謝し、寺を後にした。
帰路、久秀は長慶に聞く。
「おい、奴の好みを知ってたのか? 源氏がどうとか」
「いや、知らぬ。まあ口ぶりから答えはわかった」
「口ぶり!?」
長慶は、稙通の前ではそぶりも見せなかった自慢げな顔で言う。
「物語の筆頭となれば、まずその原点である竹取物語か、伊勢物語、源氏物語というところじゃ。竹取は彼自身が名を口に出したので、これは無いであろう。伊勢は傑作じゃが歌物語の要素が強い。あえて物語中の物語ということを強調するなら、まず源氏で間違いない」
「うーむ、やはりおれは要らなかったんじゃないのか?」
「言ったじゃろう、たまたまじゃ。何が役に立つかわからん。しかし」
言って、長慶は何かよいことを思いついたような顔で笑う。
「歌か。よいかも知れんな」




