第十九話 女検断人
検断人が、声を発した。
「では、これより判決を申し述べる」
涼やかな声だ。顔を見ていなければ少年の声とも聞き違えそうな、中性的な響きをもった声だった。
「そも本件訴訟は江場村の住人、弥兵衛の耕せる田地七段歩について、近江国観音寺城下住人、与十郎が、その所有権について五年前に自身の父より相続したもの故、借地料ならびに土地代金を弥兵衛に対し請求したいとの訴えを起こしたことによるものである」
見ると、理玖を間に挟み、左右に訴訟人たちが立っている。
右手に立っているのが、被告人の弥兵衛であるらしい。いかにも健康な農夫然とした男だ。
一方、左手に立つ男が原告の与十郎だ。弥兵衛に比べると、ずいぶんと身なりがよいようだ。
双方とも、神妙な表情で判決を待っている。
女の声が淀みなく続く。
「まず与十郎の相続について、寺の書庫に証文の写しを見つけ、与十郎の証言が真実であることを確認した。その証文によれば、享禄二年、与十郎の父・与助は流行病を患い、回復したものの先行き心許なく、息子・与十郎に田地を譲る旨、証文を起こしたものとされる。よって与十郎の言い分、もっともなれども、しかし」
理玖は証文を示しつつ、ことの詳細を述べる。
ことは相続争議の例に漏れず、やや複雑であった。
「江場村の住人複数の言によれば、与助は息子与十郎に田地を譲り、自らは隠居を望んだものであるようだ。これに対し与十郎は江場村へ帰らず、近江国で商売の道を選んだ。これにより田地は著しく荒廃したであろうことが推察される」
一転、与十郎に不利な事実の登場に、見物人たちがどよめいた。
「相続より三年後の享禄五年、与助は予後悪く他界したが、継ぎ手のいない田地について、与助の妻、すなわち与十郎の母おつねは、近隣に住む弥兵衛にこれを貸し出し、年貢米を除いた収穫のうち三割を得て生活の糧としたという。以上の内容について、双方三問三答を行い、事実に相違なきことが確認せられた」
弥兵衛も与十郎も、難しい顔をしているものの、異論を挟むことはしない。
理玖の言葉通り、事実関係についてはすでに決着がついているのであろう。
「しかして判決を申し述べる。与十郎の儀、相続の正当性あれども、五年にわたり田地を放置したるの怠りあり。その間、土地を保ちたるは単に弥兵衛の耕作によるものである。また、与十郎母より弥兵衛が土地を借りたるも正当な契約によっており、三割の借地料は適正に支払われているゆえ、与十郎の請求する五年分の借地料はこれを認めない」
これを聞いて与十郎はことさら苦い顔をしたが、その実おおむね予想の範囲内だったのか、黙ったまま判決を聞いている。
「さらに、土地価格を保った弥兵衛の耕作を相殺する額を五年分の手間賃として三十貫文と見積もり、土地代金七十七貫文よりこれを減じた四十七貫文を、弥兵衛は与十郎に支払うことで、土地の権利を買い取るものとする。仍って件の如し」
そう言い終えると、理玖は以上の内容を清書した証文を示す。
与十郎が慌てて手を挙げる。
「ちょ、ちょっと待っとくんなはれ!」
「与十郎殿、異議があればどうぞ」
理玖が涼やかな声で返すと、与十郎は一度ごくりとつばを飲み込んで言う。
「判決に不服はありまへん。中人殿のお裁き、一々《いちいち》ごもっもと思うとります。しかしでんな、この春、観音寺城下では楽市が立つちゅうて、一世一代の商機なんや。城下のええとこに店構えるには、今、金が必要ですねん! 弥兵衛に四十七貫文の財はあらへんし、どないして取り立てたらええんですか!?」
与十郎は伊勢桑名の生まれらしいが、言葉はすっかり上方のものとなっていた。
与十郎が江場村の両親を捨てて上方で商売をしていると聞いた直後でもあり、聴衆の何割かは、与十郎の態度に露骨な不快感を示した。
理玖はあっさりと答える。
「わかりました、即時の決済がお望みとあらば、麹屋殿」
理玖が隣に座す旦那風の男に声をかけると、男は柔和な声で応じる。
「ええです。保証金三割でもって、麹屋が弥兵衛に四十七貫文、即時貸付けます」
即座に理玖が与十郎に問う。
「与十郎殿、四十七貫文の三割、十四貫文はそちらの負担となるが、かまいませんか?」
「え、ええと……しゃあない、保証金引いた額、すぐ用立てたってや!」
与十郎が苦り切ってさざえのような顔になって言うと、理玖は閉廷を宣言した。
「それでは、与十郎訴訟の儀、これにて終いといたす。各々方、お気をつけてお帰りあれ」
聴衆が、満足したように散っていく。
他国の者との相論では訴訟当事者よりも周囲の聴衆がいきり立つことも珍しくない中、驚くほど穏やかな決着だった。
「このあたりは治安がよろしいですな。相論の際はいつもこうですか」
久秀が隣の旦那に聴く。
旦那は笑って答えた。
「そうですな。揉め事になると、武家が介入してきますしな。皆、その辺りはわきまえとるんです。もっとも、あの女検断人殿の腕なら、なかなか揉め事にはなりませんわ」
人々が散っていく中、久秀のもとに供回りが戻ってきた。
宿の手配が済んだという。
「ああ、ありがとう。今日は宿にて休み、明日改めて願証寺を訪おう」
久秀がそう言い、皆、宿に向かって歩き出す。
その夜、久秀は一人、宿を抜け出した。
無論、件の女検断人、斎藤理玖に会うためである。
今回からある女性が登場しますが、彼女は完全なオリジナルキャラというわけではありません。松永久秀の人生に深くかかわっていく女性であり、また本作独自の設定として、三好家となじみのある重要人物とも深い関係があります。三好家に詳しい方は、どのような人物相関を織りなされていくのか、予想しながらお楽しみください。