第十四話 凛冽なる晴元
山科本願寺焼き討ちから月が改まり、天文元年(1532)九月。
法華門徒は勝勢に乗って攻撃を続けていたが、六角定頼は一足早く兵を収めた。より重要な戦略として、細川六郎との会見に臨むためである。
会見の場は御所の北、下鴨社にほど近い慈照院とされた。
定頼自身が幼いころに得度した寺でもある。
その客殿に定頼は座し、難しい顔で庭を眺めている。
見事な庭であった。
石組豊かに枯滝を描き、白砂はうねりながら苔を帯びて、雄大な海原を成している。
しかし、これを眺める定頼の脳裏に満ちる光景は、滝や海原ではなかった。それは水ですらなく、人、物、そして金。その流れが、定頼の頭脳に描き出されている。
(まず、近江)
定頼の頭脳に、近江の淡海が見える。この広大な湖を人と文物が渡り、同国大津を経て京へと上っていく。
(そして若狭、能登)
地図の焦点が北へと動く。
湖の北には、若狭湾がある。能登を経由して越後から北国へ至る北の日本海航路への入り口である。
近年、その能登に英明の君主が現れた。
畠山義総という。
義総は七尾に堅固な山城と豊かな城下町を築き、能登の国力を驚くほどの速度で増大させている。
定頼はこの義総との間に同盟を結び、ゆくゆくは縁組による血縁に発展させてゆく計画を立てていた。
(その富を、京に流す)
地図の上に、能登から若狭・近江を経て京へと至る人と物の流れが現れてくる。
(そうして、さらに西)
地図は西へと動き、その焦点は摂津へと定まる。
背後から穏やかな声が聞こえたのは、その時だった。
「美しい庭ですね」
よい声だった。
穏やかに、深く澄んでいる。まるで湖水のように。
定頼はゆっくりと振り返り、その声の主を見た。
長身にして痩躯だが、少しも貧相に見えないのは、その容貌に現れる気品のゆえだろうか。
驚くほど小さな顔に、優美な面立ち。
しかしその中で、意志の強そうな瞳が爛と輝いている。
理想的な若者の顔だった。
「……無作法仕った。六角弾正少弼定頼にござる」
定頼はまず凝視の無作法を詫び、自分から名乗った。
若者はさわやかな微笑みを浮かべ、礼を返す。
「細川六郎です」
六郎は簡単にそう名乗った。
しかし、その簡単な名乗りの中に、六郎の強い矜持が現れている。
京兆家の家督を襲う六郎が名乗るべきは右京兆、すなわち右京大夫以外にありえない。
その正式な叙位任官を受けるまで、彼は無官のまま六郎を名乗り続けるつもりであろう。
「此度は、ご助力まことに感謝申し上げます」
六郎は続けて援軍の礼を述べた。
定頼は笑う。
このいつも難しい顔をしている男が笑うのは、会話の相手を気に入っている証拠だった。
「はっは、なんのこれしき。いつでも馳走いたす」
定頼の上機嫌な応答に、六郎は一言返した。
「さるにても、本願寺が霜台殿の威に順ずるは、民にとっても喜ばしいことです」
定頼は微笑を浮かべたまま、しかし声はやや熱を帯びて聞き返す。
「ほう、それはまた何故に」
「まず能州の安寧。霜台殿の一喝で越中の門徒までが大人しくなれば、隣接する能登は一層富む。その富は、交易により若狭へ、そして近江へと流れるでしょう」
定頼は目を見開いた。
この若者は、定頼が能登畠山家との間に同盟を結ばんとしていることを知っているらしい。
その上で定頼の思考をなぞるように、同盟の裏側にある雄大な絵図を描いて見せている。
さらに六郎は続ける。
「しかるにもうひとつ、押さえるべき国があります」
「ほう、申されよ」
定頼が促すと、六郎は言った。
「摂津です。難波津、兵庫津から塩飽を経て周防山口、博多へと至る瀬戸内海航路。これらの確保を私に任せていただきたい」
その声が、涼し気な顔に似るべくもなく熱い。
気づけば六郎の頬には赤みが差していた。
さもありなん、と定頼は思った。
六郎はいま、自ら西日本の王となることを宣言したのである。
この若者は、自分の壮大過ぎる野心を吐き出し、それを受け止めうる人物を、ずっと求め続けてきたのだろう。六角定頼がそれを任せるに足る人物を求めるのと同じように。
細川六郎という男は、誰かの傀儡に収まるような人間ではなかった。
定頼の脳裏で、日本を横断する巨大な流れが、東と西から一本につながっていった。
定頼は破顔して言う。
「その事業、この少弼が喜んでお手伝いいたそう。今日はまことによき会談であった。さればこそ、公方のご意向をばお伝え申す」
定頼は威儀を正し、言葉を続けた。
「細川六郎殿、まずは京の街に、武家による秩序を取り戻すべし。そして将軍より偏諱を受け、晴元と名乗られよ。さすれば公方の権威、少弼の武をもって、右京大夫の任官奏上を約そう」
この日、細川六郎、のちの晴元は、生涯最大の擁護者を得たのである。
■TIPS
霜台:
弾正台の唐風の呼び方。弾正台は日本の古代律令制において、京洛の警察機構を担った。弾正尹を長官とし、その下に弾正大弼、少弼をそれぞれ一名置き、以下、弾正忠が続く。現代では織田信長および父・信秀の名乗った弾正忠が有名だが、織田弾正忠家の正式な任官は信長から。なお松永久秀も弾正を名乗り、のちに弾正少弼に任官しているが、おそらくは六角定頼の存在を意識したものだろう。
六角定頼:統率83 武力60 知略77 内政95 外政93
近江守護・六角高頼の次男。次男であることからいったんは相国寺で仏門に入るも、兄の死により還俗。六角氏の当主となる。細川高国との同盟のもと、近江を平定。高国死後は将軍・足利義晴を近江に擁し、実質上の天下人として君臨した。某ゲームでも再評価著しく、すごくつよい。本作では室町後期における英雄の象徴として登場、彼との接触は三好長慶に天下を意識させる契機となる。