第十二話 天下人、六角定頼
万を超える大軍が、ゆるゆると山道を進んでゆく。
京と近江とをつなぐ志賀越道。およそ四十年後、織田信長が京へ上るための交通路として整備することになる道だが、このときはまだ、万余の軍勢が行軍するには狭く、長蛇の列が続いていた。
その列の中ほど。
可竹軒周聡と、馬を並べてゆく直垂姿の武将がいる。
年のころは四十手前。
心身に覇気を満たしながら泰然として、今まさに人としての盛りを迎えた英雄の趣があった。一万を超える男たちがひしめく行軍の中で一人、甲冑も纏わずにゆくこの男のみが、しかしなお際立つ威厳を放っている。
「少弼殿、此度のご出馬、主に代わり感謝申し上げまする」
周聡が、男に語りかける。
男は難しい顔をしながら、しかし穏やかに応じた。
「六郎殿の将軍家に対する忠節に比べれば、この程度」
近江守護、六角弾正少弼定頼。
彼の出現以前、近江は京極氏・佐々木氏の庶流や国人たちが割拠する混沌のさなかにあった。
先代の六角家当主高頼は、将軍家から二度にわたり討伐軍を差し向けられ、そのたび伊賀の山中に逃げ込むという有様であった。
それが、変わった。
定頼は家督を継ぐと間もなく、細川高国を助け、京に侵攻してきた三好勢を撃破。将軍義晴と管領高国とからなる政権を確立させる立役者となった。
その後、高国の援助を受け、定頼は急速に近江国内を平定してゆく。
このころ定頼は高国に依頼し、瀬戸内海航路用の大船を、大坂湾から琵琶湖へと運ばせたという。この大船を使って、定頼は琵琶湖の南岸から北岸に至るまで縦横に兵を巡らし、六角氏本来の所領である南近江に留まらず、江北衆をも屈服させていった。
その後、細川高国が三好元長の軍に破れ、高国が擁立する将軍義晴が京を逃れるに際しては、六角氏が将軍の身元を引き受け、琵琶湖の北岸、近江朽木谷に将軍の居館を動座させた。
その六角定頼が、今、可竹軒周聡と並び、近江から京へ、軍を進めている。
「ところで周聡殿、ひとつうかがいたい」
定頼の言葉は、常に穏やかでありながら、独特の緊張感をはらんでいる。
周聡はできるだけ鷹揚な調子でそれに応えた。
「何なりと」
「六郎殿は、どれほどの御仁だろう」
言葉面だけでいえば、漠然とした問いであった。
しかし、ことこの局面においては、並々ならぬ問いである。
受け取る周聡からしてみれば、「おれは六郎に従いに行くのではない、六郎がどんな男か見に行くのだ」と言われているに等しい。
「……天運、賭けるに値するお方と存じまする」
周聡は、言葉に己の人生すべてを乗せるように言った。
本心である。心から、周聡は細川六郎を大人物であると信じていた。
六郎の栄達以外に一切の望みを捨て、六郎のみに尽くすことを生きがいとする彼ではあるけれども、六郎の器量がもしも人後に落ちるものであったならば、周聡もこうはなっていなかっただろう。
定頼はしばしその言葉を咀嚼するように沈黙し、それからぽつりと言った。
「縁組を考えている」
周聡は一瞬、この言葉にどう反応してよいかわからなかった。
あまりにも唐突であるし、定頼によき年頃の娘がいるとも聞かない。未婚の六郎にも当然子はいない。六角家の家臣の誰かの話をしているのかとすら思った。
「三条公頼殿より、娘に良縁をとの相談があった。かの娘を我が猶子に迎え、六郎殿の正室としたい」
「おお、それは……」
三条家といえば、現当主の三条実香は右大臣である。
京兆家を継ごうとする細川六郎の正室として、これ以上の血統は無い。
しかも、六角定頼の猶子として嫁ぐということは、六角家と細川家が婚姻同盟を結ぶということにほかならなかった。
血統、実力、ともに一度に満たす婚姻政策。
破格の申し出といってよい。
ただ、定頼は言葉を付け加えた。
「会って決めたい」
「……勿論に候」
応えながら周聡は、この縁談をまとめることこそ、生涯最後の大奉公となるような気がしていた。
軍が進んでゆく。
本願寺を焼くための軍が。
しかしこの軍中ではすでに、未来の政権の姿が描かれようとしていた。