第一話 元長のクソボケがっ……! 退けるかっ……! ここまで来てっ……!
「三好がなんぼのもんじゃい! おるぁぁぁぁ!」
「元長の首ィ獲ったらんかぃ! うるるぁぁぁぁ!」
「四国まで追っかけてぶんどり放題じゃ! うぃぃぃぃ!」
兵士たちが、気勢を上げている。
摂津池田城を落とした細川高国の軍勢は勢いを得て、今まさに、政敵・細川六郎と彼を支援する三好氏の一大拠点、堺へと迫ろうとしていた。
その陣中のことである。
「右京兆殿ォ、吉報にござるぞォ!」
そう声を上げるのは、汚いひげ面の武者だった。
山陰の覇者・尼子氏から、高国を援けるべく派遣された武将である。
ひげ面に満面の笑顔を浮かべて、幔幕の内に入ってくる。
右京兆と呼ばれた男、すなわち細川右京大夫高国は、荒武者とは対照的に気品ある顔だちをしている。このときはひどく疲れた顔をしていたが、それでも高国は精一杯のほほ笑みを浮かべて、温かく荒武者を迎えた。
「吉報ですか。ぜひお聞きしたい」
「河内の木沢長政より、調略に応じるとの返書が参ったッ!」
たしかに、吉報であった。
木沢長政は敵方の有力な武将である。
その木沢を、戦わずして味方につけることができたらしい。
「木沢長政は、いまや六郎めの側近のひとり。側近が裏切るということは、六郎も相当に追い詰められているのでしょう。よく成し遂げてくれました。ありがとう」
高国の言葉に、荒武者は顔をくしゃくしゃにして涙ぐんだ。
幕府において将軍家に次ぐ最高の権威が、一介の地方豪族に過ぎない自分を、かくも丁重に扱ってくれる。
その事実だけで、もう感極まってしまったのである。
「『出でては入らずして往きては反らず。平原はるかにして路超遠たり』とは、こういう気分のことを詠ったのかもしれませんなァ。高国殿ォ、幕府を立て直せるんは、アンタしかおらん。いかなる苦難があろうとも、アンタを天下人にしたい。ワシぁ、そう思うとるけん」
強い山陰なまりでそう語る武士は、涙を拭いながら幔幕を出た。
「……屈原の『國殤』か。尼子家はよい侍を抱えている。あのような者がひとりでもいるうちは、私もあきらめるわけにはいかない……」
高国はひとりつぶやく。
張りつめていた気が少しやわらぎ、床几に腰を下ろしてわずかにまどろんだ。
うつら、うつらと夢を見始めたばかりのころ。
幔幕の外から悲鳴のような声が聞こえてくる。
「てっ、てっ、てっ、敵襲ゥゥゥ! 前方より敵襲ゥゥゥ!」
高国は立ち上がり、幔幕を出て左右に問う。
「敵襲とは何事ですか! 前線はどうしたのです!」
すぐさま近習が駆け寄り、状況を告げる。
「さっ、堺手前で待機中の前線は! かっ、かっ、壊滅したものと思われまするッ!」
「壊滅……!?」
「おそらくっ、三好方の奇襲があったのではないかと! 元長の敵本隊がこちらに向かい急速に進軍中にて、ただちにお退きを!」
高国の整った顔が、ぐにゃあっと歪んだ。
「もっ……元長のクソボケがっ……! 退けるかっ……! ここまで来てっ……! 海千山千の諸侯をたばね……正統な将軍宣下を勝ち取り……あと一歩っ! 乱世の終わりまであと一歩っ……!」
近習の顔が恐怖に引きつる。
「まさか……決戦にございますか!?」
ありえない選択であった。
先陣が壊滅し、戦闘態勢も整わぬまま、敵の本隊と総大将の部隊が衝突するなど、あってはならない事態だ。
「がっ……ぐっ……ぐっ……ぐむむぅぅ!」
「右京兆殿っ! どうか冷静なご判断を!」
「ぐむっ……てっ……撤退だ! 撤退ッ! 全軍、天王寺まで退けッ!」
かくて、敵の最大拠点を目の前にしながら、高国は撤退を余儀なくされる。
この数か月のち、高国は三好元長に敗れ、摂津国大物の地に散った。
世に言う「大物崩れ」である。
ときに享禄四年(1531)。
のちの覇王、織田信長がこの世に生を受けるおよそ三年前のことであった。
長慶の父である三好元長は、管領・細川高国を滅ぼして天下を手中にする目前まで至ります。
余談ですが、この細川高国という人も立派な人物です。将軍家、管領家が血族同士で争う状況の中、なんとか幕府の秩序を取り戻そうと戦い、一時は畿内に安定を取り戻しました。彼が苦境のときには大内義興、六角定頼、尼子経久などの英雄たちが常に誰かしら支援しており、家柄や能力だけでなく、人間としても支え甲斐のある人物だったのではないでしょうか。
参考文献:
『室町幕府分裂と畿内近国の胎動』著/天野忠幸 など
■TIPS(ここから下は読み飛ばしてもストーリーには影響ありません)
※ステータスは作中のキャライメージを補足するための目安とちょっとした遊びです
右京兆:
官名「右京大夫」の唐風の呼び方。細川本宗家の当主は代々右京大夫に就任することが通例となっており、このことから細川本宗家を「京兆家」と呼ぶ。中世の人々は何よりも前例を重んじ、この時代、前例にならうことがひとつの社会正義であった。
畿内:作中では山城、摂津、河内、和泉、大和の五か国を指す。五畿内とも。室町時代においてはまさに日本の政治的中心部である。
細川高国(右京大夫):統率71 武力63 知略88 内政92 外政95
細川氏一門・野州家の生まれ。「明応の政変」によって京兆専制を築いた管領・細川政元の養子として、京兆家の後継者となる。家督継承後は混迷を極める畿内情勢において外交手腕を駆使し、大内義興の協力を得て幕府体制の維持に努める。大内義興の周防帰国後は、尼子経久・浦上村宗らの助けを借りて再上洛を図るが、三好元長らに敗れ、摂津国大物城(現兵庫県尼崎市)付近で捕縛され、自害。