ショート 旧友を見つめて
連作の1作目。
彼の描いたものを最初に見たのは数学の授業中だった。
ノートの余白に描かれた、おそらく当時流行りのアニメキャラなのだろう。理解するまでに時間はかかったものの、特徴的な髪型や着ている服などがポイントとなりようやく判別がついた。ヘタクソすぎると直接的に伝えるわけにもいかず、彼のおそらく初めてであろう作品をただじっと見ていたのである。
授業中だけではなく、彼はいろんな時間に描いていたようだ。私はたまにしか見せてもらえなかったが、自信作を広げて嬉しそうに笑う彼が羨ましくもあり、同時に黒い何かを感じ始めていた。
美大に通うと決めた彼は本格的に道具を揃え、シャーペンとノートから、絵の具とカンヴァスに変わっていった。自画像や風景画などが多く、当時付き合い始めた彼女の絵もちらちらと見え始めた。微笑ましい光景ではあったものの、私が見ている時にガラス窓に反射した彼の表情は、どことなく暗い印象を私に与えた。
周囲に縛られず自分のやりたいことに専念できる彼が、妬ましい。彼の作品を見ているうちに、憧れが嫉妬に変わっていく。そんなつもりで見せているのではないだろうに。私が勝手に見て、何かしらの怒りを抱いていることに、彼は気付かない。この頃から、彼は額に手を当てるようなポーズを取り、悩み始めた。
売れない絵描きとして3年が経過した、そんな時だった。町で彼の絵を見かけた画廊のオーナーが、絵を高く買い取ってくれた。そんな金額は受け取れないと言い張って、最初は受け取ろうとしなかった。ならば今描いているものも含めて、全て譲ってくれと迫られた。絵を描くのにも金は必要だし、評価されること自体が嬉しかったのだろう。数点を除いて全ての絵をオーナーへと手渡し、その金で工房を借りた。
順風満帆という言葉が当てはまるような、不自由のない暮らしだった。
妻に先立たれ、筆が進まなくなるまでの話だが。
異変は唐突に起きた。額に当てていた手はだんだんと下がり、右の眉、そして右まぶたを押さえるようになった。ひどい頭痛も始まって眼科に行き、ついに診察を受ける。どうやら目の奥に悪性腫瘍とやらが出来たそうで、絵は続けられそうにない、手術をしなければ命に関わるという話だった。絵と命、彼は迷わずに手術することを決心し、腫瘍ごと摘出した。
私が彼について知っていることは、このぐらいだ。
君達がなぜ彼にこだわるのかが分からないが……伺ってもよろしいかね?
「私達はその絵を探しているんです。奥様を描かれたという3枚の絵を」
なるほど、確かにあれは素晴らしい出来だった。彼の借りた工房に無いのだとすれば、恐らく自宅の屋根裏……そう、彼は大事なものを屋根裏にしまうという変わった癖があってね。子供の頃から変わっていなければ、の話だが。
本人に聞けば良いのに、わざわざ私にこうやって聞くということは……死んだのかね。
いや、聞くまい。
もし絵が見つからなかったのなら、それは最後の望みなのかもしれない。その場合には私が言ったことは忘れて欲しい。
初めて喋ってみたが案外と疲れるものなのだな。伝えられるものは全て伝えたから、この装置を外してくれたまえ。
そして、出来ることならば彼の傍に埋葬してくれ。元々我らは一つだったのだから。