裏で行われていたこと
マルグリットは「社交界の華」と呼ばれていた。
美しく、学や教養があって話術に長けていて、絵画や音楽への関心も深い。
そんな評価を受けるマルグリットだから、周囲からの信頼も厚くなる。
しかし、今回の場合はその信頼の厚さが災いしてしまった。
国王陛下ならびに王妃様からも信頼を得たばかりに、エクソリア王子の婚約者として選ばれてしまったのだ。
選ばれた理由というのが、「こんなに聡明な令嬢ならば、決して賢いとは言えない我が王子を矯正してくれるかもしれない」という期待をこめてのものだった。
マルグリットにはとんだ災難である。
王族と繋がりが持てるとなれば、本来なら喜ばしいことではあるけれど、相手はあのどうしようもない王子様なのだから。
とはいえ、あの偉大なる国王陛下に楯突くことなどできない。
ましてや、マルグリットの実家は国王陛下からの出資で事業の成功をおさめた恩もある。
到底、拒否できるものではない。
こんな苦悩を強いられて、愚痴をこぼすなと言うほうが無理な話であろう。
公爵令嬢としてはいささか、はしたない言動ではあったが、マルグリットはさまざまな場所で友人知人に話した。
「あんな王子様と結婚なんて、先が思いやられるわ」
「ただでさえ公務が大変なのに、夫のスキャンダルの揉み消しに苦労しそう」
「あんなのの子どもを産めなんて、国王陛下も無茶をおっしゃるわ。ろくなのが生まれてくる気がしないもの」
「きっと、苦労の果てに肺を病むか捨てられるかして早死にするのよ」
一応、マルグリットは「他では言わないでね」と釘を刺してはいたが、人の口に戸は立てられないものだ。
いろんなところでこんなことを言えば、社交界では末端に近い男爵家の召使いの耳にまで入る。
ジュスティーヌはこれを利用しようと考えたのだ。
ある日突然、「ジュリエット・ヴァノロス」の名で、マルグリットの邸宅に「お嬢様に会わせてくださいませ。王子様との婚約のことでお話がございます」という旨の手紙をよこしてきた。
マルグリットは何の共通も友好も無い男爵令嬢からの連絡には驚いたが、「王子様との婚約のことで」という一文が気になって、「かしこまりました。一度お話し致しましょう」と返事を送った。
約束の日時が来て、手紙の主はマルグリットの邸宅へやってきた。
ジュリエット嬢もといジュスティーヌは、マルグリットの部屋へ通されるなり「自分はジュリエット・ヴァノロス男爵令嬢の影武者である」と本当の身分を明かしてみせた。
「あなた、あの王子様との結婚が嫌なのでしょう?アタシに考えがございます。協力してもらえないでしょうか?」
そう言って、あの婚約破棄騒ぎの計画をマルグリットに話し始めた。
ジュスティーヌがこんな計画をマルグリットに持ち出したのは、ジュリエット嬢の父──ヴァノロス男爵の放蕩が遠因となっている。
普段は召使いのひとりとしてヴァノロス家に奉公して暮らすうち、前々から噂になっていたヴァノロス男爵の横領や文書偽造が、事実であったことを知ってしまったのだ。
すでに国王陛下直属の監査官による調査の手も迫りつつあった。
男爵の悪事が白日の元に晒されるとなれば、財産没収や爵位剥奪は免れないし、ジュリエット嬢の身も危ない。
自分だってタダではすまないだろう。
このままではいけない。
さて、どうしたものか。
そこで、ジュスティーヌはあえて男爵家をつぶさせることにしたのだ。
男爵が密輸、横領、文書偽造を行い、さらにその娘がエクソリア王子をたぶらかし、虚偽の証言をして婚約者たる公爵令嬢を陥れたとあっては、国王陛下も何らかの処分を下すはず。
そう考えたジュスティーヌは、手始めにジュリエット嬢を安全なところへ移動させた。
虚弱な体での移動はなかなか苦労したが、ゆっくり養生ができる場所に無事に移れたのを確認すると、今度はマルグリットに近づいた。
「マルグリット様、アタシがあの王子様に近づいて、何とか気を持たせるようにします。それで「マルグリット様にいじめられた」とか「あの方と会うのが怖いわ」とか言ってみます。そしたらきっと、あの王子様はあなたを邪魔モノ扱いして、なんとかして捨ててしまおうなんて考えるんじゃないでしょうか?」
マルグリットの部屋に通されたジュスティーヌは、そう提案してみせた。
「あの王子様なら、近づく女の誘いはみんな断らないで手を出すだろうけど……そんな上手くいくものかしら?あの人は気が多いし、彼の周りには女が掃いて捨てるほどいるし……」
その計画を聞いたとき、マルグリットは不安だった。
どうしようもない王子様との婚約を無かったことにできるとしたら、実にありがたいことだ。
しかし、出会ったばかりのジュスティーヌを、果たして信用していいものか。
「上手くいくかしら、じゃあございません。上手くいかせてみせますよ!アタシにまかせてください!!」
ジュスティーヌが頼もしい笑みを浮かべた。
根拠はないが、その笑みにどこか確信めいたものを感じたマルグリットは、大きな賭けに出た。
「婚約破棄の協力は惜しみません。その代わりの交換条件と言ってはなんですがね……」
そうして、ジュスティーヌが要求したのは、ジュリエット嬢を匿うのに必要な資金援助と、男爵家がつぶれた後の自分と老メイドの住居確保だった。
「そう、それなら、お安い御用よ。よろしくね」
さほど難しい条件でもなかったし、あの王子様との結婚などまっぴらごめんだったマルグリットは、条件を飲んだ。
こうして、数年がかりでの計画がスタートしたのだった。