因果応報
「もって残り1週間かと…」
病室の外。機材の出し入れや医師、看護師の処置によってバタバタとせわしなく動いていた彼らも、今はその喧騒から身を引き、束の間の静寂が辺りに立ち込めていた。医師から話があると呼び出され苦い顔をした彼の初めの一言が余命宣告とは、なんとも辛いものだった。
覚悟はしていたのだ。ここ最近、ひっきりなしになるコール。意識がなくなってから1か月が過ぎ、彼女の体内に残る二酸化炭素の量も多くなっていた。理由はよく知らない。だが体の調子が悪くなっていることには違いがなかった。
何故、彼女なのか。そう思わない日はなかった。彼女がこの難病にかかってから数年が経ち、最初は元気にしていたものの、徐々にやつれていき、私と会うときにはあからさまに無理をしているのがわかるように笑顔を絶やさないのだ。それが不憫すぎて見ていられなかった。私を悲しませたくないのが本心なのだろうが、見え見えすぎてかえって辛いものだった。私が変わってあげられたら…と思う日も少なくない。
「……そう、ですか」
「できる限り一緒にいてあげてください。彼女も最後を一緒にいてもらえて、喜んでいると思いますよ」
「はぁ……そう、ですね」
医師の声が雑音に変わり始める。館内放送、扉を開け閉めする音、病室に会いに来た見舞いの人の甲高い笑い声。彼らの音が、私の耳を通り抜けていった。熱を帯びた頭はスッと冷えていくのがわかった。少なくとも彼女が生きるのを否定しないでほしかった、など、医師の反応がわかりそうなことは言わない。私は怒ることすら面倒に感じていたのだ。もう、何もしたくなかった。彼女のいない世界。想像するだけでも辛いのに、現実味を帯びた今、私はどうすればよいのだろうか。
失意の夜、私は彼女の手を握り、眠りについた。12月24日、世間一般では今日がクリスマス・イブだ。サンタの衣装に身を包み、私たちに希望を届ける幸福の象徴。だがきっと、そんなサンタが私にくれるのは絶望であり、彼女がもらうのは死への片道切符だろう。彼女には悪いが、そんなプレゼント願い下げである。送り返してやる。彼女が生きること、ただそれだけを私は望んでいるのだ…
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「----プレゼントを送り返す宣言をしたのは、君だね?善意で渡したものを送り返すとはなんとまぁ…人の愛だの恋だの、わからない我に非があるのかもしれないが。まぁ、いい。ちょうど今、そこまで忙しくもない。君の善性に応じ報いるためにも、我が直接聞いてあげようではないか。さぁ、君の願いを言いなさい。大抵のことは叶えてやろう…」
「……?どういうことだ、私は今眠ろうとしていたはずだが」
「あぁ、説明がまだだったな。我が君の精神領域を神界に持ってきた。イメージ的には、明晰夢を見ていると思ってくれていい。まぁ、明晰夢なんかよりもずっと素晴らしい夢であるかもしれないがな」
見渡す限りの闇。暗く、水面だけが果てしなく広がる世界にポツンと私、それから見えない椅子に座っている神がいた。どうやら私は、頂上の存在に対面しているようだ。これまで無神論者だったが、今から思い直し、悔い改めよう。それほどに神は類まれなる美の象徴であることを理解したからだ。それと同時にこの神に逆らってはいけない、そう本能が警鐘を鳴らしていたのだ。
「さて、暇にしていると言ってもそこまで忙しくないわけではないのでね。スピーディーに行こうじゃないか。さて、改めて聞くが、君の願いは何だい?大抵のことは叶えてやろう」
「……本当に何でもいいんだな?」
改めて聞かざるを得なかった。それは最終確認というよりも、彼女を生かせる選択肢に出会えたことの喜びを噛みしめるために改めて問いただした、という認識に近いのかもしれない。
「くどいぞ。だが、確かに今ある事象を書き換えるからそれなりの代償が必要になるとは言っておこう。」
神は呆れるように、つまらなさ気に答えた。であればもう、私の願いは一つしかない。
「あぁ、どんな代償を払っても構わない。彼女を、難病にかかった彼女を助けてくれ…これが俺の願いだ」
「なるほど、生命の限界を超えようとするか。実に人間らしい…だが他者の延命を願うとはな。いいだろう、気に入った。その願い叶えてやろう。但し…」
神は指を鳴らす。するとどこからともなく無数のワイングラスが入ったキャビネットが現れた。既に水がグラスの限界まで汲まれているものもあれば、あまり水が多いとは言えないグラスも中には存在した。
「その願い、自ら叶えて見せろ。これがお前の救いたがっている奴の器だ。この水は寿命を表している。この器に注ぐ器を自らの手で選べ」
そういうと神はグラスを私に渡す。彼女のグラスに注がれている水は雀の涙ほどしかなかった。この量の水がレストランで出されたら入れ忘れを疑うレベルである。
「つまり、彼女を生かす代わりに誰かの命を取らなければならない、そういうことでいいんだな?」
「……言っただろ?今ある事象を変えるためにはそれなりの代償が必要になる、と。人の命は人の命でしか埋め合わせすることができないのだよ」
酷く歪んだ笑みを見せながら神は肯定した。神は機械的で、人間の醜い感情などとは無縁かと思っていたが、性根は悪だったようだ。私の中での美しさの象徴でもありながらも、悪魔的。まるで堕天使のようだ。だが、言っていること自体は道理である。どんなに人類にとって大切な人間であったとしても、命はみな平等に与えられたものだ。金や他の何か物で補填できることがあってはならない。そして、そんな重いものを、私は奪おうとしている。平等な人の命を奪っていいのか?勝手なこっちの都合で?相手は何も悪くないのに?思考がどんどんネガティブな方向へ向かっていくのがわかった。だが何を悩んでいるのだ私は。彼女を生かす以上になんの理由がいるだろうか。他者の命など、捨ててしまえ…願いが叶えられさえすればよいのだ…
そうして選んだ、見た限りで水が一番多いグラスを、彼女のグラスいっぱいに注いだ。そうして水がなくなったグラスには、興味を一切湧かすことなく水面に捨てた。既に周りが見えず、水を注いだグラスを傾けてこぼれないようにすることだけに注力していた。
それを見て神は小さな声で呟く。
「これだから人間は面白い…!!」
そして今度は聞こえるように神は言った。
「喜べ!お前の願いは叶えられた!彼女は生き永らえるぞ。お前より、遥かに、遥かになぁ!」
世界が崩壊する。意識が混濁としてきた。神はただ私の眼を見つめ、裂けんばかりの笑みをこぼしていた。それまで興味がなさそうな顔をしていた神が何故、こんなにも笑っているのだろうか。謎が多いものの、私は決して後悔していない、彼女が生きていればそれでよいのだ。また、私と一緒にーーー
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「ねぇ、知ってる?うちの病室の313号室に来てた人」
「あぁ、彼女さんのお見舞いに来てた人ね。彼がどうかしたの?最近見ないけど…」
「彼、313号室で彼女の手を握ったまま死んでたらしいよ。今、事件として扱われているらしいけど、どうやら変死のようね。健康な体のまま死んでたんだってさー……」
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