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 携帯の通知が鳴った。

どこかの小説で読んだのであろう、死刑宣告をされた囚人が刑を執行されるまでの間、今か今かと待つというシチュエーション。その心境は、もしかしたらこんな状況で今自分が感じているものの延長線上にあるのではないかという思いがする。しかし同時に、さすがにそれは命に対する敬意が足りないのでは、という戒めの気も呼び起こした。


 自分の部屋の窓から外を確認してみる。

2階にあたる高さから見下ろしていて、最近のタクシーは昔に比べてなんだかふっくらしたもんだよな、という情感を真っ先に抱いた。まずは外に出よう。

忘れ物に関してはおそらく3回ほど確認しただろう。といっても、病院に行くのに持っていくものなんてのはある程度限られているが、やはり抜け穴があるような気がして仕方がない。ただ、どこかで覚悟は決めなければいけない。直後にもう一つ乗り越えなければならない壁があるのだから。



 玄関から出て、アパートの階段を降り、外へと向かう。

面識もない相手なのに、いよいよご対面だ。自分の心情に不思議な感覚がある。


 タクシーの運転手はこういう時、客を見逃さないためというよりは、客がタクシーを見逃さないために客の出て来る方向を見つめているのではないかと思う。ただ、その視線の先に映るものは、おそらくは到底予想し得ないものだったはずだ。今日ほど「目が点になる」という表現がしっくりくることは今後の人生に二度とないかもしれない。頭が元に戻れば、だが。

「お客さん、あの―」

50代くらいだろうか。穏やかそうな運転手だ。

「言いたいことはわかります。ただ、とりあえず危険はないのでこのままこの住所まで行ってもらえますか。」

そう言って予め控えておいた、細川のいる病院の住所を書いたメモを渡した。

「はあ、…〇〇丁目××番地。ああ、△△クリニックですね。」

「そうです、お願いします。」

そう言ったら、タクシーは静かに動き出した。心なしか、丁寧に運転してくれている気がする。

「お客さん…苦しくは、ないですか?」

空気穴一つないスイカを被っていると見れば、そういう感想になるのも仕方ないと思った。

細川の指摘を受けるまで気づかなかった、自分がアホだったのだろう。

「ええ、幸いにも。…やっぱり、気になりますよね。これ。」

「私ね、タクシードライバー20年近くやってるんですよ。

色んなお客さんを乗せてきましたが、さすがにお客さんが初めてですよ。頭が見事にスイカになってるってのは。」

「そりゃそうですよね。自分でも驚いてるんです。」

「ご自身で仮装されたわけじゃないんですか。

前、会社の余興がこれからあるって言って、体はコート羽織っていて、頭だけリオのカーニバルみたいになってた方いらっしゃったんですよ。てっきりそういうものかと。」

会社の余興でスイカを被るのであれば、間違いなく割られる運命にあるだろうと妄想した。

「信じてもらえるかわからないんですけど、今朝起きたらこうなっていたんです。

で、どうなってるのか調べてもらおうと思ってこれから病院に行くってことになったんです。」

「合点がいきましたよ。…不思議なこともあるもんですねぇ。」

運転手は朗らかに言った。もしかしたら今の自分よりももっと変な客をたくさん相手にしてきたのかもしれない。


「お客さん、よかったら私の仕事の話を聞いてもらえませんか?」

「まあ、時間もあることですし。是非、どうぞ。」

「私ね、本当に色んなお客さんを乗せてきたんですけれどもね。

例えば、酔っ払いの方なんかでね、『俺は次期社長になる男だぞーっ』って仰られる方とか、いるんです。」

「時間帯によっちゃ、多そうですよね。そういう人。」

「それでね、私にゃその方の経歴とか身分はわからないもんですが、疑うわけにはいかないんで、そうですか、すごいですね、なんて言ってやり過ごすわけです。」

「逆上されても困りますもんね。」

「そうなんですよ。で、この方、後日ニュースでお見掛けしまして、ホントにとある企業の社長になったようなんです。」

「たまたまニュースに出るなんて。それは中々の偶然じゃないですか。」

そう答えながら、これは何の話なのかと少し訝しんだ。

「長くやってると、そんなこともあるもんです。

もう一つ、別の方の話をしてもいいですか?」

「どうぞ。」

「今度は初老くらいの男の人を乗せたんです。

襟元にバッジを輝かせながら、『弁護士をやっております』ってその方は仰った。」

「ご立派な方ですね。」

「そう思ってたんですよ。

結構な距離を乗ってらして、これまたご立派なお宅に到着したら、払えるものが無いって仰るんです。」

「おやまあ。」

「そうこうする内に家の方が出てきてくださいましてね。

『どこ行ってたのよお父さん!』という具合で騒ぎになってたんですね。」

「それはまさか。」

「認知症だったみたいで。

元々その手の仕事は以前なさってたようですが、引退しても忘れられなかったのか、息子さんのバッジ付けて出歩いてしまってた、というオチでして。」

「色々あるもんですね…。」


 一向に運転手の話の意向が見えない。

どうせ暇なので構わないが、気になってきたので聞いてみることにする。

「これは一体何の話なんですか?」

「いやね、最初の酔っ払いのお客さんは、自分のこと次期社長って分かってて、私はそれを大して信じていなかった。でも事実次期社長だったじゃないですか。」

「話によればそうでしたね。」

「で、初老のお客さんは、ご自身を弁護士だと思ってて、私もそうだと思ってた。でも事実は引退したご隠居さんだったわけです。」

「ええ。」

「他にも色んなケースがありましたが、こうして経験してる内に、

・自分をどういう人間と思うのか

・他人からどういう人間と思われるのか

・実際、どういう人間であるのか

っていう3つにあまり関連がないんじゃないかって思うようになったんですよ。」

「…。」

「そうしますとね、今、お客さんは自分の頭がスイカになっていると思ってらっしゃる。私にも、恐縮ながらそう見える。でも、実はお客さんの頭が本当はスイカではない、なんてこともあり得るんじゃないかって、そう思っちゃったんですよ。」

なるほど。この人なりの経験を元に、自分を励まそうとしてくれていたのか。

ありがたい反面、やはり目の前にある事実ー緑と黒のストライプ、そして丈夫な皮―がある以上、その方向に希望を見出すのは難しいように思えた。何より、仮にそんなことがあったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が問題の本質であると思う。


「たしかに、そういうこともあるかもしれないですね。」

それでもこんな話をわざわざしてくれたことに感謝しないわけにはいかない。なのに理性的な感謝の念を自らに強要するまでで留まり、言葉にし切れない自分の人間性に、少しばかり嫌気がさした。

「本当に、色んな生き方があります。私が見てきたのは皆さんのほんの一部ですが、それでも皆さん、良く生きています。病院の検査も不安でしょうが、大丈夫。生きていけますからね。おっ、そろそろ到着しますよ。」


 普段は運転手の名は気にも留めないが、今回は鈴木という運転手名の表示が印象に残った。

なんとなく、色々と苦労をしてきた人なんだろうと思った。しかし、その言葉のおかげで少しだけ前向きに病院に向かって歩いていけそうだ。



 おっと、いけない。

前向きになるあまり、細川に連絡するのを忘れてしまうところだった。

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