3切れ目 スイカの糖度
ー携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。
こんな急な電話に対応するほど暇ではないだろうという予想は立つが、果たしてー
呼び出し音が止むプツという音がしたので、「来たか」と身構えたが、どうやら留守電らしい。
「ピーという音の後にメッセージを」という旨のガイダンスが流れるが、こんな大事件を限られた時間の中でまとめる自信はない。ここは一旦諦めることにしよう。
あいつならその内折り返してくれるはずだ。
そういえば仕事先への連絡も必要になると今更思い立った。
自分の都合の前に仕事先への配慮を優先しなかったことを上長に詰められる妄想が広がったが、果肉と種のどこにそんな映像を流す力があるのだろうか。
普段あまり仕事をやすまないので、仕事先への連絡先はなんだったっけなと探していたその時である。
断続的な振動とともに画面に「細川 守」の字が表示された。
思ったより早い折り返し電話だった。ありがたい!
「もしもし。」
「もしもし。すまんな、電話出られなくて。」
「いや、こちらこそ朝から突然で申し訳ない。今大丈夫だったか?」
「問題ないが…どうした?」
「実は少し困ったことになったんだが、ちょっとその伝え方をどうしたものか考えているところで…」
「何か体調を崩しでもしたのか。」
「体調は今のところは大丈夫なんだ。
…とりあえず、怒らず、疑わず、一旦話を聞いてみてくれるか。」
「随分言い淀むなぁ。言い辛いことか?」
「実は、自分の頭が、スイカになってしまったんだ。」
「…」
「…細川?」
「OK、おそらく今日時間の空きが作れるはずだから、そこでオンラインで診るので大丈夫か?」
「信じてくれるのか。」
「俺の忙しさを知ってて下らない嘘をついたりしないことはわかってるよ。それに悪気のない虚言だとしたら、そっちの方が俺の本領発揮ってもんだろう。」
「それはまあ…いや、助かるよ、ありがとう。
一応現状としては、全く飲み食いもできずどうやって生活すればいいのかわからない状態なんだ。」
「念のため聞くが、そういう被り物が取れなくなったとかではないんだな?」
「ああ。昨日寝るまでは普通の頭だったのに、今朝起きたらまるっきりスイカだったんだ。
感覚的には中身までそうなっているような詰まり具合で―」
「そうなってくると、だ
もしかしたらオンラインだと何もわからないかもしれないな、実際のところ。」
「どうすればいい?」
「ひとまず十時にオンライン診療をしよう。で、その時までに自分の体調の変化によく注意していてくれ。空腹や喉の渇きが進行したり、他に変化があったりするようなら、できるだけ詳細に教えてほしい。どこまで力になれるか正直わからないのだが、まずそこから見極めたい。今日はさすがに仕事は休むんだよな?」
「なんて連絡すべきか…とは思うが、そのつもりだ。」
「よし。どんな影響が出てくるかわからないから、くれぐれも用心しろよ。」
「わかった。…本当にありがとう。」
「ああ。それじゃ、また後ほど。」
「うん。よろしくお願いします。」
「あいよー」
そう言って電話は切れた。
ホッと息をつく暇もない。
仕事の休みの連絡をどうやって取ればいいのだろうか?
うちは当日の有休申請NGだし、休んだことないから知らないが、何かしらの病気だなんだと言えば書類の提出があるに違いない。そもそも頭がスイカになりましたなんて言って休ませてもらえる場面が浮かばない…
ふと、実はこの頭の変化は仕事のストレスによって生まれたものなのではないかという考えが頭をよぎった。イライラによって顔が真っ赤になることはあっても、頭の中身が真っ赤になってしまった例は中々あるまい。
そんなことを考えていたら、整合性を考えるのもバカバカしくなってきてしまった。
電話をかけてしまえ。
「お疲れ様です、堀内課長。西川です。」
「おお、おはよう。どうした?」
「実は自分でもよくわからない病状を発生いたしまして、顔色がものすごいことになっているのです。とても人前に出られないような…」
さすがに頭がスイカになりましたとは言えなかった。
「熱あるか?」
「いえ、それが不思議なことに熱はないようなのです。顔色だけ緑色に―」
「黄疸か…!おい、いつからだ。」
堀内課長は何か誤解をされているかもしれない。都合がいいのでそのまま話を続けてみる。
「まさしく今朝方からでして。昨日はそんな気配はなかったものですから、私も驚いているのですが。」
「わかった、病院は予約取れてるか?」
「はい、先ほどそちら確認しました。」
しまった、会社より先に病院の確認したことを認めてしまった―
「よかった、では診察受けて療養してくれ。もし何かわかったら伝えてな。」
「…?はい、承知いたしました。では失礼いたします。」
なんだか今日は優しいな、と不思議に思いながら電話を切った。
とりあえずは何とかなった。まずは細川に言われた通り、自分の体調の様子を見ながら約束の時間をじっと待つことにしよう。なれない頭で動き回って万が一転んだりしたら、えらいことになってしまう。
慎重に寝室に戻り、慎重に布団に潜り、慎重に枕にスイカを乗せた後、携帯電話を操作する際に頭の上に持ってこないよう注意しながら、アラームを9時50分に設定したのだった。