探偵はハーブボイルド ―VS 切り裂きジャック二世―
ロングラウンド国の首都、ランドン。
ここは別名『霧の都』と呼ばれていて、その名の通り、街が霧で覆われる事が多い。
もちろん、そのせいで視界が悪い事が多いが、住人達には慣れたもので、特別何かを感じるわけでもなく生活をしていた。
しかしそれが濃霧となると、話は別だ。住人達の多くは一斉に建物の中に避難する。濃霧を恐れているからだ。
『霧は時に、良からぬ者を連れて来る』。濃霧の発生中に犯罪が行われる事が多い事からそう言われている。そして今、最も『良からぬ者』として危険視されているのは『切り裂きジャック二世』であった。
100年以上前、ランドンには『切り裂きジャック』と呼ばれる殺人鬼がいた。彼は霧に紛れて連続殺人事件を起こし、住民達を恐怖のどん底に陥れていた。
そんな彼と手口がそっくりな殺人事件が、今になって続けざまに起こっていた。住民は言う。『奴が戻ってきた』、と。
もちろん100年以上も前の人物が今もまだ生きているとは思えない。それに、仮に生きていたとしても、今まで大人しくしていた理由が見つからない。
そこで住民らは『奴の意思を継ぐ者が現れた』と噂するようになった。こうして『切り裂きジャック二世』という存在が生まれたのであった。
初代同様、二代目もその正体は未だに不明であった。警官達は朝も夜も厳しく目を光らせていたが、それでも彼を捕らえる事はできなかった。相当頭が切れる者らしく、監視の目を避けて殺人を行っているらしい。
そして今日もまた、彼の手によって殺人が行われようとしていた。
濃霧の中、フェレットの女性、エイダは息を切らしながら走り続けていた。そして、その後ろを人影が追っていた。この人影こそが切り裂きジャック二世である。
エイダは後悔していた。家事で忙しかったとはいえ、幼い息子の事をちゃんと見ていなかった事を。
息子は知らないうちに、外へ遊びに出てしまった。行先は分かる。近所の公園だろう。これは初めての事ではなく、今までに何度もあった事だから、すぐに分かった。
しかし、今日は濃霧になると予報が出ていた。だから今日一日は、室内で過ごさせるつもりだった。ところが彼は幼い故に分からなかったのだろう。外に出てしまった。
そこで迎えに行くためにエイダも外へ出た。その時にはすでに霧が濃くなり始めていた。しかし、可愛い我が子の安全のためにと公園を目指した。
その途中でエイダは切り裂きジャック二世に遭ってしまった。そして今に至る。
エイダは必死で逃げ続けた。公園の方向とは全く違う方向に、だ。このまま公園を目指せば、自分の子供も狙われるかもしれないと考えたからだ。
切り裂きジャック二世は黙ってエイダを追う。その手には光る物を持っていた。ナイフ。今までに何人ものの血を吸ったであろう凶器で彼女を襲おうとしていた。
「……えい!……はっ!」
エイダは両手の指先に火をともすと、振り返って切り裂きジャック二世に放った。護身用に覚えた火球の魔法である。
しかし、彼はナイフで弾いてしまった。エイダが覚えている魔法は他に、冷気の魔法と麻痺の魔法がある。が、今のを見て、何も効かないのではと思ってしまった。
ここは逃げ続けるしかない。そう思って進行方向へ体をひねった時であった。
「あ!」
エイダはバランスを崩して転倒した。その時、足首を捻ってしまったらしく、そこに強い痛みを感じた。もう逃げる事はできない。
コツコツコツ……
一定のリズムで歩く靴の音が聞こえてくる。そして霧の中から黒いコートに身を包んだ虎の男が現れた。彼こそが切り裂きジャック二世の正体である。
「俺から逃げられる者はいない。特に、俺の顔を見た者はな……」
彼はそう言うと不気味な笑みを浮かべた。
「その様子だと、足首をヤっちまったらしいな。だが安心しろ、すぐに楽にしてやる」
エイダのそばに立った彼は、しゃがみ込んで言った。そして首筋にナイフを突き立てようと、振りかぶった。
もうダメだ。エイダは思った。そして同時に、息子の事が気になった。
自分はここで死ぬ。そうしたら、誰が息子の世話をすればいいのだろう。自分はシングルマザーだ。父親はいない。そうなると孤児院に行く事になるのだろうか。
今はまだ死ぬわけにはいかない。そう思った。だから、生きたい、誰か助けて欲しい。そう強く願った。
「じゃあな、アバヨ」
切り裂きジャック二世はナイフを振り下ろそうとした。
その時であった。突然若い男の声が聞こえてきた。
「そこまでだ!」
その声に切り裂きジャック二世はナイフを持つ手を止める。
「切り裂きジャック二世君。いや、ベン・ポーター君。君の悪業もここまでだね」
さっきとは別の声も聞こえてくる。
本名を言われて動揺したのか、切り裂きジャック二世ことベンは立ち上がって声のした方向を見た。
エイダもゆっくりと片足で起き上がりながら、声のした方向を見た。
霧の中から二人の男が姿を現した。一人はスーツ姿の猫、もう一人はハードゲイの恰好の野兎だ。
猫の男はニヤけ顔でギョロっとした黄色い目をしている。そして野兎は細目で筋肉モリモリのマッチョマンだ。
恰好良く登場したわりには、その正体は変質者。エイダは思わず落胆した。
「お前ら何者だ?何故俺の名前を知っている?」
ベンは彼らに問いただした。
「残念だけど企業秘密さ。でも僕らの事なら教えてあげる」
野兎の男は答えた。
「僕の名前はヘイヤ。そしてこっちの猫がチェッシャー。僕たちは探偵さ」
二人はポーズを取った。
「探偵だと!」
「そう、そして君を制裁しに来た」
ヘイヤはそう言うと自身のパンツの中に右手を入れた。
「これでね」
彼はパンツの中から人参を取り出して言った。
「人参?はっ!それでどうやって――」
ベンが言い終わる前に答えは出た。ヘイヤは人参をダーツのように飛ばした。人参は勢いよくベンの頬をかすめ、石畳に突き刺さった。
「……はぁ?」
ベンは驚いた様子で、石畳に刺さった人参を見た。
エイダもそれを見る。よく見ると人参は湯気のようなもので包まれている。
それを見てエイダは思い出した。
魔法の中には、魔力で体や物を包んで強化する魔法もある、と。エイダには難しくて習得できなかったが、今までに目にしたことは何度かあるから間違いない。
ヘイヤ、彼は魔法を使える。それも護身程度ではなく、戦闘が可能なくらいにだ。
「外しちゃった。でも、替えならいっぱいある」
ヘイヤはパンツの中に両手を入れた。すると中から人参以外にも胡瓜や二十日大根やらが出てきた。
「それ!それ!それ!それ!」
ヘイヤは野菜をどんどん投げつけた。剛速球だ。ベンは避ける事ができず、全て命中する。そして命中するたびに野菜は体に刺さり、ベンはうめき声をあげる。
強い。エイダは思った。
彼はどう見ても変質者だが、力はある。思わず見とれてしまう。
そうしていると、突然ヘイヤは動きを止めた。
「あれ、なくなっちゃった」
ヘイヤはパンツの中を見て呟いた。用意した分は全て投げてしまったらしい。
「貴様ぁ!」
これをチャンスと捉えたのか、ベンはナイフを振り回しながらヘイヤに迫った。
危ない。エイダは目を閉じた。すると、金属が折れたような音が聞こえた。
何が起こったのかとエイダは目を開ける。
「ニヒヒ、ダメじゃないか僕ちんの事を忘れちゃ」
チェッシャーがヘイヤの前に立っていた。その右手にはペロペロキャンディーを持っている。
その一方で、ベンは彼の前で立ち尽くしていた。その足元には折れたナイフが落ちている。
「……何でだよ。何でナイフがアメなんかに負けるんだよ!」
ベンは大きな声を出した。
「それはね、僕ちんだからさ」
チェッシャーはそう言うと、ペロペロキャンディーを斧のように振った。
袈裟斬り。ベンの体から血が噴き出し、チェッシャーを濡らす。
常識的に考えて、キャンディーでナイフを折る事や人を斬る事なんてできるはずがない。
きっと彼も『物を強化する魔法』を使う事ができるのだろう。
「グフッ!」
ベンは後退するが倒れる様子はない。
「さらにここで僕ちんの追加攻撃」
チェッシャーはどこからか、大量のりんご飴を取り出した。そしてベンに向かって投げつけた。
大量のりんご飴は彼の体にぶつかる。そしてその瞬間、爆発した。エイダはその近くにいたが、爆風の規模が小さかったおかげで巻き込まれずに済んだ。
「ニヒヒ、どうだい?僕ちんの魔法、『りんご飴手榴弾』は?」
チェッシャーはお腹を抱えて笑った。
ベンは黒焦げになって倒れていた。しかし、ゆっくりと起き上がる。
「まだだ……俺は切り裂きジャック二世……ここで終わるわけが……」
彼は荒い呼吸で呟くように言う。まだ戦う気があるようだ。
「今だよ、ヘイヤ。彼にトドメを」
「うん」
彼は頷くと、ベンに向かって跳びかかった。そして空中で大きく開脚すると、そのまま彼の顔に自身の股間を押し付けた。
「んごあぁぁぁぁぁぁ!」
よほど嫌だったのだろう。ベンはすぐに倒れた。そしてヘイヤが退くと、彼は白目をむいて失神していた。
「……勝ったね」
「そうだねぇ」
探偵二人は嬉しそうに言った。
信じられない光景であった。あの俺は切り裂きジャック二世が、二人の変質者によって倒された。それも一方的に。
あまりの衝撃にエイダは、この光景をずっと見続けていた。
「あ、大丈夫?」
こっちに気づいたのか、ヘイヤが近づいてきた。
「来ないで!」
エイダは叫んだ。
彼は命の恩人だ。しかし、変質者である事に代わりはない。知り合いにはなりたくなかった。
「大丈夫です。私、大事な用事があるので。失礼します」
そう言ってエイダは立ち去ろうとした。
「待ちたまえよ。用事っていうのはこれの事かな?」
チェッシャーが声をかけてきた。エイダは彼の方を向く。その瞬間、あっと驚いた。
「ママー!」
息子だ。公園で遊んでいたはずの息子が、チェッシャーのすぐ隣に立っていた。
「坊やぁ!」
エイダはすぐに駆け寄ると、ギュッと息子を抱きしめた。
「公園で一人で遊んでいたから保護しといたんだ。でもまさか、ここで再会となるとは僕ちんも思わなかったよ」
チェッシャーが説明した。
エイダはさっきの行動を恥ずかしく思った。助けてくれたばかりか、息子を保護してくれていた。それなのに、あんなに冷たい事をしてしまった。
顔が恥ずかしさで熱くなるのを感じた。
「ごめんなさい。私ったらなんて酷い事を……」
エイダは謝った。
「大丈夫。慣れてるから」
ヘイヤは許してくれた。
「そうそう。あのくらいで傷つくような僕ちん達じゃないのさ」
チェッシャーも答えた。
「さて、目的は果たしたし、カレーでも食べて事務所に戻ろうか?」
チェッシャーは大きく伸びをしながらこの場を去ろうとした。
「待って、その前に警察に引き渡さないと!」
ヘイヤは先にするべき事があると注意した。
彼らの様子を見てエイダは思った。
彼らはとても変な人。だけど人助けをしようとする思いは、人一倍強い。
探偵の中にはハードボイルドって呼ばれる人達がいるけれど、彼らには似合わない。
彼らのために言葉を贈るなら、『ハーブボイルド』。ハーブをキメているような二人だけど、その強さと優しさは一流。
今度みんなに教えてあげよう。変わり者だけど、強くて優しい探偵が、この街にはいるって事を。
エイダは微笑んだ。