■迎え撃つ ~ Queen of Hearts III
校門を出ると、有里朱の第六感が尾行者の存在を知らせる。後ろに目が付いているわけではないので確かめる手段はないが、今までの経験から十中八九間違いない。
「県道を逸れたら人も車も少なくなる。仕掛けてくるとしたら、そこだな」
『やっぱ緊張するよぉ』
「前にも一回拉致られただろ」
『あのときはワケがわからず連れ込まれて……けど、ほんの数分で孝允さんが対処してくれたじゃない』
「今回は一人じゃないから、かなり余裕だぞ」
準備は万端。服に縫い込まれたカメラを通して、互恵同盟の仲間に見守られていた。しかも、設定一つでその視聴者は世界中に拡大される。
『そうだけど……』
「かなめたちを信じてないのか?」
『し、信じてるよ。打ち合わせもしっかりやったし』
とはいえ基本的に有里朱は、か弱い女の子だ。わかっていても恐怖を消すことは難しいだろう。ならば、頼りになると思わせて誤魔化せばいい。自信過剰な方が効果は高い。
「大丈夫だ。おまえの身体に傷一つ負わせやしないよ。もし、そんな事態になろうものなら、あいつらが痛い目に合う」
『そ、それもある意味怖いなぁ……』
有里朱の苦笑いが聞こえる。けど、これは遊びじゃない。戦争だ。そして、勝利のために必要なのは圧倒的な武力ではない。現代戦に於いては綿密な準備と根回しが鍵を握る。
車の通りの激しい県道から左折し、センターラインのない小道へと入った。
住宅と畑が点在する道ということもあって道路の騒音からは解放された。同時に、僅かなエンジンの駆動音が聞こえてくる。三十キロ制限の道とはいえ、それ以下で走行しているような音だ。なるほど、尾行者は人から車へと変わったようだな。
住宅地とはいえ、道路上にはひとけがない。さすが田舎道。誘拐するタイミングとしては今でしょ?
急に後方の車のエンジン音が呻るように大きく鳴った。
キキッと急ブレーキを踏んで、目の前の道を塞ぐように黒いミニバンが止まる。スライドドアが開くと数人の男が降りてきた。どれも初めて見る顔だが一人だけ見覚えがあった。
降りてきた男たちの一人に口元を布のようなもので塞がれる。さらに両脇から屈強な男たちが身体を拘束する。布からは薬剤の匂い。まさかクロロホルムじゃないよな? 思わず息を止める。
松戸の親は病院関係者だし、薬の入手は容易でもある。可能性は高いだろう。
とはいえ、あれって気絶するには相当時間がかかるはずだ。そのことを知っているのか、それとも知らずに使っているのか? まあ、いいや。薬を嗅がされて眠りに落ちたというフリをしていればいい。
拉致される場合は、下手に抵抗しない方がケガをしなくていいからな。そのまま運んでもらおう。
俺は身体をぐったりとさせ眠ったフリをする。そうするとすぐに口元を押さえつけられていた布が外された。これで呼吸は楽になる。
代わりに両手首を大きめの結束バンドで縛られたようだ。ロープで縛るよりは効率がいい拘束方法だろう。前の奴らと違って手慣れているっぽいな。
持っていた鞄は誰かに奪われる。まあ、ダミーの鞄だから持って行かれた方が却って都合がいい。
有里朱の身体は奥の方の席へと座らせられ、すぐに車は発進する。
こいつらの目的は松戸美園のいる場所へ連れて行くことだろう。それまでは安全でいられるはずだ。騒がず落ち着いていれば問題は無い。
拉致の瞬間の映像はミドリーたちがモニターしているので、状況は把握しているはず。さらにスマホのGPSで、どこに連れて行かれようが場所は特定できる。
本当に最悪の場合は警察へ届ければいい。そのさいは、松戸美園と有里朱の名前は出さない方がいいだろう。あくまでも無関係の第三者が拉致されたということにしていれば、警察は動かないわけにはいかない。
―「あっちゃん大丈夫!」
イヤホンからかなめの声が聞こえてくる。少し興奮しているようにも感じた。彼女としても気が気では無かったのかもしれない。
俺はかなめたちを安心させるために、カメラが映し出しているであろう膝元にある手を動かし、右指で「OK」サインをさりげなく作る。
―「かなめさん。あんまり大声で喋るとイヤホンから音が漏れちゃうよ」
ミドリーの声らしきものも聞こえてくる。あの中では一番冷静でいられるメンバーだ。
―「ごめん。みどりさん。つい我を忘れてしまって」
―「この作戦が終われば当面の心配事はなくなるんでしょ? もう少しの我慢だよ」
―「ええ、そうね」
かなめの声も落ち着いてくる。ほんと心配性なんだから。まあ、似たもの同士である有里朱の方もフォローしておくか。
「有里朱。これが終わったらみんなでどっか遊びに行こうぜ」
『どっかって?』
「そうだなぁ……みんなで温泉ってのもいいと思わないか?」
一段落したら温泉行って、湯気にまみれてキャッキャウフフすればいい。有里朱たちに必要なのは自分へのご褒美なのだから。もちろん俺自身へのご褒美でもある!
『……た、孝允さん、ダメだよ。そんな事言っちゃ』
「ん? なんでだ?」
『だって……フラグが立っちゃうよ。よく物語であるじゃん。「この戦争が終わったら結婚しよう」って言ったキャラって死んじゃうし』
「おまえ……別な意味で心配性だな」
車は三十分くらい走り、目的地に到着する。
俺は薄目を開け、辺りの様子を覗う。そこには廃墟のような建物があった。看板はボロボロで落ちかけているが『木自動車整』という文字がなんとか読める。廃業した自動車整備工場跡かな?
薬から目覚めて頭が朦朧としている、という演技をしていると、隣に座っていた男から「出ろ」と凄まれる。
―「GPSから住所把握したよ。埼玉県さいたま市岩槻区田城西○○」
イヤホンからナナリーの声。そしてそれに反応した花見川先輩の声も聞こえる。
―「岩槻区っていうと北の方ね」
―「はい、そうです。とりあえず県道一〇三から東に向かってください。差間南の交差点を越えると左に国道一二二へ入る道があります。そこから岩槻街道へ出て、そのまま北上してください」
―「了解。美浜さん、ちょい待っとってや」
花見川先輩は俺にも声をかけてくる。ただし、まだ応答できるような状態ではなかった。
片手で頭を抑え、ふらつきながら車から降りると、そこには歪んだ笑いを浮かべた松戸美園が待っていた。
「ふっ、ようやくあんたにお返しができるね」
俺はその言葉に応えない。まだ薬の影響が残っているフリをし続けた。こうすることで無駄な暴力を受けることもないし、相手を油断させることもできる。
「そいつを中に入れな!」
女王様の命令で、男たちが俺たちを廃墟の中へと連れ込む。中にある事務所のような場所はガラスが散乱し、空き缶やコンビニの袋も落ちていた。部屋の隅には簡易ベッドが置いてある。ここで飲み食いしたり、女を連れ込んだりしていたのだろうか? 暴走族……もとい、珍走団のたまり場にでもなっていたのかな?
「美園さん、こいつこんなもんを持っていたんですが」
拉致してきた男の一人が松戸美園に、鞄の中に入っていた缶詰を渡す。それは彼女にトラウマを植え付けたものであった。
シュールストレミングの缶詰は特徴的な色合いと形なので、一度見たら忘れないだろう。
「ちょうどいいわ。この缶詰の凶悪さを自ら味わってもらおうかな」
彼女の顔は終始歪んでいる。それは有里朱への恨みが積もり積もって、というのもあるだろう。だが、元凶を作ったのはおまえなんだぞ。そのことすら理解できていないのだろうか?
さらに奥の部屋に連れて行かれ、倉庫のような場所に放り込まれる。
「小金原! その缶詰をあいつの前で開けろ」
「は、はい。でも、これどうやって? プルトップ付いてないっすよ」
配下の男はシュールストレミングどころか旧式の缶詰自体を見るのも初めてらしい。最近の日本製の缶詰ならば、ワンタッチで開けられるプルトップが付いているのがほとんどだからな。
「缶詰の上部に変な機械が填まってるでしょ? 缶詰をそいつの近くに置いて上部のボタンを押すだけよ」
松戸美園は缶詰の上面についている自動オープナーに気付いたようだ。まあ、一度引っかかっているから構造は理解しているようだな。
「わ、わかりました。お嬢」
男が俺の前に缶詰を置くと、恐る恐るそのボタンを押す。すると……。
「ひぇっ! なんだこれ?」
出てきたのは臭い液体ではなく白い煙。
「それ爆弾だよ。護身用にと思って持ってきたんだけど、まずったなぁ」
と、笑いをかみ殺しながらの棒読み台詞。慌てだす男たちを余裕の笑みで観察する。
「爆弾」という言葉が功を奏したのか、蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ出す男たち。松戸美園は……とっくに逃げ出していた。
まあ、爆弾というのは嘘でただの煙幕なんだけどね。
中身は無公害発煙筒と呼ばれる消防訓練や撮影効果等に使われる無害な煙。蝋燭と同じ成分なので、有毒性もなく刺激臭もない。ただ視界を遮るだけのものだ。
さて、結束バンドをなんとかしないとな。
スカートのポケットからワイヤーソーを取り出す。これはワイヤー状のノコギリである。ちょっとしたものなら簡単に切断ができるサバイバル道具の一つだ。
それを結束バンドの間に通すと、その両端を両足部分で固定する。
そして二三度動かすだけで、結束バンドは簡単に切れた。ワイヤーソーがない場合は、靴紐でも代用できる。この場合は、靴紐の摩擦熱を利用して結束バンドを溶かし切る方法だ。
「花見川先輩。今、どこですか?」
俺はイヤホンマイクに話しかける。
―「ちょうど建物見える位置にいんで」
「では、例のモノを出しておいてください」
―「了解。やけど、ほんまに一人でいけるん?」
「余裕ですって」
花見川先輩にそう応答すると、今度はナナリーに向けて指示を出す」
「ナナリー。セットアップよろしく」
―「うん、了解だよ。うまくいくといいね」
準備が整ったようなので、煙幕の缶詰を持ちながら悠々と外へと出る。が、その入り口付近には松戸美園とその配下の男たちが待ち構えていた。
「爆発しねえじゃねえか!」
「どういうことだ?」
「騙したのか!?」
男たちは、自分がビビって逃げ出したことを言い訳するかのように、俺が嘘を言ったことを非難する。これだけのビビリなら、ハッタリのしがいがあるな。
とはいえ、一番に逃げたと思われる松戸美園は偉そうにふんぞり返っていた。
「ふん! まあ、いいさ。どのみちあんたは逃げられないよ。外じゃ、その煙幕も役に立たないみたいだしね」
さすがリーダーだけあって状況の把握はしていた。こちらがまだ不利であることに気付いている。
部屋の中では視界を遮る煙幕も、外では煙が拡散されてしまうのだから。
「そうだね。このままじゃ逃げられないね」
と苦笑いの演技をしながら缶詰を投げ捨てると、ナナリーへの第二の指示を出す。
「ナナリー、パイルダーオン!」
それっぽいコードネームを叫ぶと俺は真上を見上げ、落ちてくる赤い円筒形の物体を受け取る。
「なに?」
「なんだと?」
さらに松戸たちの立つその目の前にも、同様の物体が落ちて転がっていく。
「なんだあれ?」
「ドローン?」
相手は上空を飛ぶドローンの存在に気付いたようだ。
「まずいわ! みんな顔を隠して」
撮影されるのだろうと気付いた松戸が顔を手で覆うが、上空のドローンはどこかへと飛んでいってしまった。これらはすべてナナリーの操縦によるものである。もともと手先は器用なので覚えるのにもそれほど苦労はしなかったらしい。某同人の弾幕シューティングゲームも得意みたいだからな。
「撮らないの?」
松戸はドローンが飛び去っていった方を見て呆気にとられていた。かつて配下だった高木たちのように、撮影されてそれを取引材料にされると思ったのだろう。だが、今回は別の目的がある。
「それよりも松戸さん」
「なによ! なんなの?」
「その落としたやつは本物の爆弾だから逃げないと危ないよ」
『爆弾』という言葉に皆が反応して一瞬動きが固まる。爆弾と言われて停止するようでは戦場では生き残れないぞ。
「爆弾?」
「また、俺たちを騙すんだろ」
「いやいや、さっきの嘘だったじゃん」
男がそう言った瞬間、円筒形の物体がパンっと破裂する。屈強な男たちは、小さな威力とはいえ身体がビクリと反応した。額に脂汗がにじみ出ている者もいる。
「それはデモンストレーション用だから爆薬は少なめだよ。こっちの奴はそれの十倍以上はある本物」
手に持った赤い円筒形の物体を見せつける。よく映画やドラマで出てくるような、わかりやすい見た目の爆弾だ。円筒形の中心部には点滅する赤いLEDがついたメカニカルな部分と、それに向けて赤と青のケーブルが繋がれている。もちろん、これはただの飾りなんだけどね。
「そ、そんなことをしたら死人が出るぞ」
「女子高生が大勢の男たちに拉致されて、命の危険があるんです。れっきとした正当防衛になるでしょう?」
まあ、爆弾作った時点でならんけどね。男たちに負い目があるなら、脅しにはなるだろう。
「お、おい、やめろ!」
「み、美園さん、どうするんですか?」
「お嬢……これは分が悪いっす」
俺は円筒形の爆弾もどきを目の前の美園たちへと向ける。といっても、奴らの予想通りこれは爆弾ではない。女子高生が大量に火薬など手に入れられるはずもなく、konozamaでもさすがに売っていない。
ならば何が爆発したのか?
デモンストレーション用に破裂したのは、オークションで入手した某国製のGの付くスマートフォンだ。爆発……いや、破裂したのはリチウム電池に負荷がかかったためである。もともと設計に難があったらしく二束三文で手に入れたもの。
この機種の問題点でもある絶縁テープとセパレータ部分を修復し、意図的に遠隔操作で内部ショートをさせることで簡易爆弾となる。だから、警察に持ち物検査されても咎められることはない。まあ、これを持って飛行機には乗れないけどね。
「とりあえず、どいてくれませんかね? それともわたしと心中したいですか? 諸悪の根源である松戸美園と心中できるのなら本望ですよ」
少しばかりの狂気の演出。こちらも歪んだ笑いを披露する。うまく笑えているかな?
「や、やめ……ち、近づかないで」
配下の男の後ろへと隠れる松戸美園。もうラスボスとしての風格は薄れつつあった。
爆弾もどきを見せつけながら、目の前の男たちをどかしていく。そしてそのまま道路まで出ると花見川先輩に指示を出す。
「デリバリーお願いします」
―「わかった。今行く」
その連絡から一分ほどで、俺たちの前に一台の単車が停まる。独特の形状で、日本刀をモチーフとした先鋭的フォルムとも言われている。某アニメで「宇宙一かっこいいバイク」と称されていた車種だ。
持ち主はもちろん、我ら互恵同盟のメンバー(仮)でもある花見川ゆり先輩だ。まあ、まだ正式メンバーに入ってもらったわけじゃないんだけどね。
先輩の話によると父親の乗っていたバイクを譲り受けたらしい。彼女の誕生日は四月二日で、すぐに免許をとったために二輪に乗ってから一年以上が経過している。つまり二人乗りも一般道でなら問題は無かった。
「乗って」
花見川先輩からヘルメットを受け取ると、それを被って後部座席へと跨がる。同時にイヤホンマイクからかなめの声が聞こえてきた。
―「あっちゃん、松戸さんの両親と松戸議員へのアポが取れたよ。そのまま向かって」
「了解」
俺は爆弾もどきを投げ捨て、花見川先輩の腰あたりに軽く腕を回す。やや筋肉質とはいえ、柔らかい女の子の身体だ。それにとてもいい匂いがする。男の身体だったら下半身が反応して大変なことになっていただろう。でも今は、そんな気持ちさえ薄れていた。
「行ってください」
冷静に告げる。
目的地は松戸美園の家。最終決戦の場所であった。
 




