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■ご近所トラブル ~ The Lion and the Unicorn I



「かなめちゃんどうしたの? なんか目にクマが出来てるでしょ?」

「うーん、ちょっと最近ちょっといろいろあって眠れなくて」


 朝の登校時に有里朱が『かなめちゃん、目の下にクマできてる。心配だから何があったか聞いて』と言ってきたのでその話題となった。


 俺としてはそこまで気になるほどでもない。ただの寝不足なんだろうと思っていたくらいだ。


「なにかあった?」

「ちょっとご近所さんとね」


 そういえば、かなめの家は一戸建てと聞いたことがある。マンションと違って、ご近所づきあいは大変なんだろうと想像がつく。


「眠れないほど?」

「うん、音が煩くてね」


 これは最近流行りの騒音トラブルなのだろうか。いや、騒音トラブルなんて何十年も前から起きている事だ。メディアで取り上げられるようになって目立ってきただけの話である。


「他の近所の人はその騒音に文句言わないの?」

「……最初の頃は注意してた人も多いけど、ぜんぜん直らないの。そのくせ他人には厳しくて、自分には甘い人だから、ご近所さんも何も言わなくなったの。そしたら、これぞとばかりに夜中に大音量で音楽を流すし」


 うわー、典型的なトラブルメーカーだな、というのが正直な感想。自分としては関わりたくない人種の一つ。


「トラブルはそれだけ?」


 かなめの心労は寝不足によるものだけでない気がする。言葉の一つ一つに脅えを感じた。


「……うん、うちの親も前は注意してたから、玄関の扉に生卵とかぶつけられたりしたの」


 それもよくある話だ。だが、この手のトラブルは警察に相談しても、どうにもならない。


 例えば敷地内に無断で入って来なければ不法侵入にもならないし、家の何かが壊されなければ器物破損で捕まえることもできない。生卵はぶつけられても、掃除をすれば原状復帰できるので、罪に問うことは難しいそうだ。


「警察には相談したんだよね?」


 いちおう聞く。何か法を犯すようなことをやっていれば、警察も動けるだろう。


「うん、でもダメだった。度を超えた騒音とか、道端で言いがかりを付けられてお父さんが殴られそうになった時とかは、警察も話を聞いてくれたけど……」


 まあ、ダメだろうね。それこそ、市議に働きかけて迷惑行為に関する条例を作ってもらわないとどうにもならない。


「迷惑かけられてるのは何軒くらい?」

「うーん、その家のお向かいさんと両隣と、その裏手にある私の家くらいかな。けど、道を歩いている人も、何か気に入らないことがあると因縁をつけられるよ」


 これは一肌脱いでやらなくてはいけないだろう。かなめを守ることも有里朱の願いだ。俺はこの身体に間借りしている限り、それを実行しなければならない。


 とはいえ、今回のご近所トラブルは構図的にはいじめとは正反対だ。


 一人(もしくは一家庭)が周りに対して嫌がらせを行う行為である。ところが本人が嫌がらせであることを認識していない場合、問題のある人に対して無視をしたり、それなりの報復をすると一対多数という構図ができてしまう。そして、これをいじめと勘違いする人間が出てくる。


 だからこそ、いじめはいじめという一つの括りで考えてはいけないのだ。それができない偽善者たちは状況を悪化させ、無責任に加害者を擁護する。


 たしかに多数で一人をいたぶるのは人道的には許せることではない。しかしながら、反人道的な行為を行った人物に対し、不快感を示すことは悪いことなのか? 苦言を呈してはいけないのか?


 それが顕著に表れるのが大手メディアによるネット民への攻撃だ。


 もちろん、嘘の情報を信じて不快感を表したり、ただ誰かを見下すために個人的な攻撃を始めるのは愚かな行為だろう。批判するならそこを見極めなければいけない。


 とにかく、少数が多数に迷惑をかける事件など世界中どこでも起きている問題でもあり、歴史的にも長いトラブルだ。一朝一夕で解決できる案件ではなかった。


「とりあえず、今日、かなめちゃんの家に泊まりに行っていい?」


 明日は日曜日だからちょうど良い。彼女の家の状況を見なくては対策も立てられないだろう。



**



 かなめの家に行く前に、着替えを取りに家に戻る。そしてLINFでかなめの家に泊まることを母親に伝えた。


 行く途中、わざと大回りしてそのトラブルを起こす張本人の家の前を通る。


 駐車場には高級そうな外車。エンブレムの星が特徴的で、このタイプはSクラスでエンジンは六千cc近くある。


 たまたま、玄関前で掃き掃除をしている六十代くらいの女性が見えた。少し痩せて神経質そうな顔をしている。


「なに見てんの!!!!」


 怒号が飛んできた。そして足元に空き缶が投げつけられる。こりゃ刺激しない方がいいなと思い、そのまま無視して足早に歩いていった。


『うわ、怖かったね』

「あれは常に苛々しているタイプだな。一度病院に行った方がいいけど、他人が言っても無理だろうなぁ」

『何かの病気?』

「さあ? 俺は医者じゃないからわからん。原因はたくさんあるし、精神や頭の病気とも限らない」

『どうすればいいんだろうね』

「かなめの家に行ってから対策を練ろう」


 俺たちは大回りして、裏手の反対側の通りにあるかなめの家へと向かった。


 彼女の家は二階建ての平均的な日本家屋。玄関の横には駐車場があり、カブトムシ型の外車が停まっていた。


 インターホンを押すと、かなめががちゃりと扉を開ける。


「あっちゃん、いらっしゃい!」


 笑顔で迎えられる。なんだかとても嬉しそうだ。対する有里朱も、これまた喜んでいるような感情の機微が覗える。


「おじゃましまーす」


 玄関の真正面には二階への階段が見える。左側には廊下があるので、そこはリビングとかキッチンがあるのかな?


「さ、上がって上がって」


 かなめに先導されて二階へと上がっていく。トントントンという階段を上がる足音が心地良い。木造家屋ならではの独特の香りも懐かしかった。


 そういえば実家も木造だもんな。


 二階に上がると階段を中心に部屋が三つある。上って手前の右側がかなめの部屋のようだ。


 その途中で茶トラの猫に会う。


『久しぶりだダイナ』


 アリスが声を上げると、その猫が「ナォー」と鳴いてすり寄ってくる。聞こえないはずなんだけどな?


「久しぶりだダイナ」


 俺は有里朱の言葉を伝えて、顎回りを撫でてやると嬉しそうにゴロゴロと鳴いてくる。わりと人懐っこい猫なんだな。というか、中学時代の有里朱はかなめの家にはけっこう行ってたのか。


「ダイナもあっちゃんに会えて嬉しがっているよ」


 部屋の扉が開けられると、モノトーンの家具が目に入ってくる。ベッドも机も本棚も色合いが統一されていてわりとセンスがいい。成金お嬢様の有里朱とは大違いだ。


『あのー……孝允さん? 今、変な事考えてません』

「いや、変な事どころか、かなめの部屋のセンスがよくて感心してたところだ」

『そ、そうだよね。かなめちゃんって、わたしと違ってわりと大人びているから……』


 自爆していた。自分で言って落ち込んでやんの。と、小学生並の思考に陥る俺。


「ん? あっちゃん、どうかした?」

「なんでもないよ」


 俺はとっさに誤魔化す。声は出てないとは言え、顔には出るからなぁ。


「今、飲み物持ってくるから適当に座ってて」


 そう言ってかなめが部屋を出て行ったので、ローテーブルの近くの座布団が置いてある位置に座った。


 窓は分厚いグレーのカーテンで閉め切られている。この向こうに例の家があるのか。そう想像すると、この部屋にいること自体が恐怖になりえる。


 ご近所トラブルだから、大人同士の醜い争い程度に考えていたが、子供であるかなめも影響を受けているのだ。かなり根深い問題なのだろう。


 それにしてもかなめの部屋はなんだか落ち着く。有里朱の部屋はピンクとか蛍光色が多くて目がチカチカするからな。


「お待たせ」


 かなめが戻ってくる。両手にはトレー、そしてティーカップが二つ。


「あっちゃんコーヒー飲めたよね」


 それに対して『うん』と返事をする有里朱だが、聞こえるはずがない。また、デートの時のように俺が通訳でもやるか?


 と思ったが、今日の目的はご近所トラブルの対策だ。


「コーヒーは飲めるよ。ありがと」


 そう言って差し出されたカップを取る。


 薫り高いコーヒー豆の匂いが鼻孔を幸せにする。これ、インスタントじゃなくてドリップか。


 口を付けてさらに納得、まろやかなコクと酸味の利いた繊細で芳醇なテイスト。


「あれ? あっちゃん、砂糖とミルクはいいの?」


 しまった。会社にいるつもりでついブラックで飲んでしまった。


「あ、いるよ。久しぶりにインスタントじゃないコーヒーを飲んだものだから、ちょっと香りを楽しみたくてね」


 とっさに誤魔化す。嘘は言っていないのでセーフかな。


「……」


 かなめがじっと俺を観察している。目の奥で何か不審さを抱いているようにも感じる。考えてみれば、かなめは中学時代から有里朱を知っているのだ。その違和感に気付いていてもおかしくない。


「どうしたの?」


 俺は何気ない顔で誤魔化す。ここらへんは『なるようになれ』だ。かなめなら、俺の事情を話しても理解してくれるかもしれない。


「あっちゃんも大人になったね。昔のあっちゃんは砂糖たっぷり、ミルクもたっぷりだったもんね」


 まあ、俺の場合は徹夜作業が多かったからブラックを飲み慣れただけなのだが。


 そもそも昔はブラックで飲むのなんてことはしなかった。習慣とは怖いものだ。会社もブラックだったし。


「そういえば、カーテン締めてるのって、やっぱり例の家のせい?」


 その問いかけで、それまで明るかったかなめの顔が陰る。


「うん。ちょっと向かいの家に視線がいっただけで、えらい勢いで怒られるの。卵も投げつけられたし……だから怖くて締め切ってるしかないの。」

「そりゃ災難だ」

「最近はそれだけじゃなくて、夜中に大音量で音楽を鳴らすから眠れなくて」


 このままご近所トラブルがエスカレートしていけば、かなめの精神が持たなくなるだろう。


 早急に対策を考えねばならない。そのためにもまず基本は情報収集と分析だ。


「そうなんだ。じゃあ、とりあえずそのトラブルを起こす家の事を詳しく教えて。名前とか」

「下の名前まではわからないけど、柴手崎しばてざきさんっていう苗字なのはわかってる。表札があるしね。あとは六十代くらいの夫婦が住んでて、お子さんはいないみたいってことぐらい」

「いつくらいに引っ越してきたの?」

「半年くらい前かな。最初はそこまで酷い人とは思わなくて普通に挨拶もしてたと思う」


 引っ越してきた当初は普通だったってのはよくあるパターンだな。


「具体的な被害のあったトラブルはいつから?」

「一ヶ月くらい前にお隣の佐伯さえきさんと何かトラブルを起こしたみたいで、注意をした佐伯さんが逆に警察を呼ばれちゃってね。結局は警察も対処できずに引っ込んだんだけど、最近は周りへの風当たりが強くなっちゃってるの」

「被害妄想で周りが全て敵だと思ってるのかな?」


 精神的な病だと、対処はかなり難しくなる。


「うーん、その佐伯さんとうちの両親とあと数軒集まって話をしているのを柴手崎さんに見られているってのもある」


 なんとなく状況がわかってきた。かなめの家はその佐伯さんのトラブルに巻き込まれた可能性も高い。


「佐伯さんとのトラブルって何かわかる?」

「私は詳しく聞いてないけど、お母さんなら」

「お願い、詳しく聞いてきてくれる? かなり重要な問題だから」


 巻き込まれ型ならば、トラブルの内容によっては佐伯さんと例の家の争いだけに済ませられる。


 ただし、今の段階ではどちらが悪いとは完全に判断できない。柴手崎さんの家を典型的なトラブルメーカーと決めつけるのは早急かもしれん。過去にそういう例がいくつもあるからな。


 部屋を出て行くかなめを見送りながらそんなことを考えた。




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